落語 林家正蔵(八代目) 芝居風呂
古今的志ん朝 秘蔵テープ 「反魂香」 (NHK東西落語特選) S56.7.19.wmv
Kyufun - 'Spirited Away' Background ・九份台湾・千と千尋の神隠しの背景 !
昨夜は久しぶりにテレビで「千と千尋の神隠し」を見たのでふと思い出したのは熊野だ。ジブリのアニメ映画に登場したハクは実は、ニギハヤノコハクヌシという名前の川の神、川の主(ぬし)だったが、日本古来の伝説神話の世界では川のぬし、あるいは水の関係する場所のぬしは水神で、竜や蛇体で表現されている。おそらく古代の人々は川の流れる姿、滝の落ちる形に竜を連想したのがその始まりかもしれない。
それは何万年も昔、大陸や東南アジアから海を越えて日本列島にたどり着いたはるか大昔のご先祖様たちに伝わっていたものがこの日本の風土でさらに広まったのだろうか。たとえば香取鹿島の神々は当時の朝廷の勢力の海路を渡っての関東進出とも結びついて今に続く。なにしろ古代の東海道は陸路ではなく海路だったのだから、ここにも水が大きくかかわっているのだ。
水神は水の流れる形、押し寄せ、押し流す水の姿から竜体、蛇体で表現され、滝の流れも同じく竜体、蛇体を連想させるその姿と、日本人の古来からの自然の中に神々を感じる意識と結びついて神の顕現としてあがめられてきたといってもそう間違ってはいないと思う。
面白いのは東北のおしらさまという民俗信仰がどうも熊野のというか那智の滝信仰ともどこかで結びついているらしいことだ。東北はアイヌの人々の流れ以外では古代の朝廷の関東進出とともに。関西や関東からの移住者で開拓がされていった地域だ。人の流れがはるか東北のほうにまで他の地域の文化を運び広めた結果なのだろう。
私はどちらにも無縁の先祖代々房総半島の人間で、たまたま今は東京にいるだけだし、直接に自分で見たことではないからなんともいえないが、知人のいわく、おしらさまは子供の姿をしていて、背後にいるもっと大きな女神のお使いらしい。もっと大きな女神といってもキリスト教の天地万物の造り主なる唯一神のような存在ではなくて、土地や各家々の守り神のような存在、その人とその家の守り神、妖精のような存在といったところか。それがなぜ、どうして熊野とかかわっているのかなどはこちらに聞かれてもわからない。ただ、日本人の深層にはそういうものも生きているらしいとしかいえないし、私にだってわからない話なので読み飛ばしていただいて結構。私にわかるのは、それは世界宗教の持つ広さや深さには届かない、小さな神々だということだけだ。このへんは夢物語としてお読みになって忘れていただいて結構。こちらも聞いた話なので。
しかし、それでも熊野や東北の深層に残る古代の人々の祈りや願いは、現代人にとってもまったくの無縁のものなどではないことだけはわかる。時代も地域も違っても同じ人間の世界なのだから。
それは何万年も昔、大陸や東南アジアから海を越えて日本列島にたどり着いたはるか大昔のご先祖様たちに伝わっていたものがこの日本の風土でさらに広まったのだろうか。たとえば香取鹿島の神々は当時の朝廷の勢力の海路を渡っての関東進出とも結びついて今に続く。なにしろ古代の東海道は陸路ではなく海路だったのだから、ここにも水が大きくかかわっているのだ。
水神は水の流れる形、押し寄せ、押し流す水の姿から竜体、蛇体で表現され、滝の流れも同じく竜体、蛇体を連想させるその姿と、日本人の古来からの自然の中に神々を感じる意識と結びついて神の顕現としてあがめられてきたといってもそう間違ってはいないと思う。
面白いのは東北のおしらさまという民俗信仰がどうも熊野のというか那智の滝信仰ともどこかで結びついているらしいことだ。東北はアイヌの人々の流れ以外では古代の朝廷の関東進出とともに。関西や関東からの移住者で開拓がされていった地域だ。人の流れがはるか東北のほうにまで他の地域の文化を運び広めた結果なのだろう。
私はどちらにも無縁の先祖代々房総半島の人間で、たまたま今は東京にいるだけだし、直接に自分で見たことではないからなんともいえないが、知人のいわく、おしらさまは子供の姿をしていて、背後にいるもっと大きな女神のお使いらしい。もっと大きな女神といってもキリスト教の天地万物の造り主なる唯一神のような存在ではなくて、土地や各家々の守り神のような存在、その人とその家の守り神、妖精のような存在といったところか。それがなぜ、どうして熊野とかかわっているのかなどはこちらに聞かれてもわからない。ただ、日本人の深層にはそういうものも生きているらしいとしかいえないし、私にだってわからない話なので読み飛ばしていただいて結構。私にわかるのは、それは世界宗教の持つ広さや深さには届かない、小さな神々だということだけだ。このへんは夢物語としてお読みになって忘れていただいて結構。こちらも聞いた話なので。
しかし、それでも熊野や東北の深層に残る古代の人々の祈りや願いは、現代人にとってもまったくの無縁のものなどではないことだけはわかる。時代も地域も違っても同じ人間の世界なのだから。
Nachi Waterfalls (那智の滝), NachiKatsuura City, Wakayama Prefecture