My barn owl and cat
午後のホッキョクグマ舎 ミルクとツヨシ 釧路市動物園 2014.9.30
この子達の弟か妹が生まれたようです。無事に育ちますように。
夏のスヘ?シャルテ?ィナー!ホッキョクグマ親子
夏のスヘ?シャルテ?ィナー!ホッキョクグマ親子
こんにちは~、マリーで~す。
うちのおばはんは何年か前は原稿用紙に手書きでお話を書いていたのは話したわよね。あの人、久しぶりに書いてみようと思ってるんだけど、昔と違って、手や指の故障が進んで手書きでは難しくなってきちゃったもんだから、この際パソコンで、インターネットのブログの場所を使って、直接書いていくつもりなのよ。これも話したような気がするな。
それはいいんだけどね、うちのおばはん、何かっていうと今やらなくてはいけない仕事より、別のことに気を取られちゃうんだわさ。原稿を書かなくてはいけないって時は、冷蔵庫の中の大根をどう使おうかとか、台所やトイレの掃除のほうが気になってくるのよね。昔からそうなのよ。
おまけに今は年末で、そろそろどこでも誰でも冬休みとか、早めのお正月休みに入ってきてるじゃない。うちのおばはんなんて普段から休暇中みたいなもんなんだし、仕事らしい仕事といったら本当なら原稿を書くことのほうがいろいろな意味で大事なお仕事なのに、みんなが休んでるから自分も休みたいとか言っちゃって、はっきり言ったら怠け心全開よ。困るんだわさ。
あの人、この間の土曜日には武蔵関のノートルダム・ド・ヴィの修道院の祈りの集まりに行って、だいぶいろいろ啓発されたらしいのに、すぐ怠け心に取り付かれちゃってるんだもんねえ。そんなことでいいのかい、ちょっと。材料に使えるように書き留めてあるから、これをどう料理するかが問題だって?いい材料は新鮮なうちに下ごしらえしたりしなくちゃ、古くなっちゃうのにさ。
ノートルダム・ド・ヴィって何だって?カトリック教会の修道会にカルメル会って言う会があるのよ。えーと、日本でも人気のある幼きイエスの聖テレジアのいた修道会よ。大聖テレジアとか十字架の聖ヨハネとか、最近の人でよく知られているのはフランスの女性哲学者で深い思索で知られたエーディト・シュタインが、ユダヤ系の人だったのにカトリックに改宗してカルメル会に入ってるわ。ほんでもってナチスに捕まってアウシュビッツで亡くなったんじゃないかしら。日本じゃあまり知られていないけど聖人になってるのよ。
とにかくそのカルメル会の一派で修道院の奥に隠れないで世間の中で生活しているシスター達の会なの。うちのおばはん、上野毛教会のカルメル在世会に年齢で断られちゃってからカルメル会の司祭たちに腹を立ててたけど、怒ってたって何にもならないって思って、それより、自分の祈りや信仰の助けになりそうで、場所も家からも近くて、カトリック神学院や黙想の家で行き慣れている場所だから、せっかく紹介してくれる方もいたし、行ってみようと思ってノートルダム・ド・ヴィの修道院の祈りの会にいくようになったのよ。1ヶ月に1回だから体調がよくなくてもそんなに負担にならないじゃない。
講師のシスターのお話も理屈よりもっと大切なことを思い出させて下さるようなお話だったって、あの人、すごく気に入っちゃったらしいの。あたしもうちのおばはんの愚痴を聞かされなくてすんで本当によかったわ。よっぽどいい内容なのね。
うちのおばはんが若いころにかかわっていたのはカルメル会やフランシスコ会じゃなくてイエスの小さい姉妹の友愛会っていう世間の真っ只中で一般の人たちとかかわりながら生活全体を祈りに向けるような修道会だったの。でもうちのおばはんは自分ひとりになれるのはお風呂とトイレだけのそこの生活に自分は向いてないってわかってたから乗り気になれなかったの。ほんとにほんとのボンビーな生活を生きてる会だったのよ。今もそんなに変わっていないわ。あの会とのかかわりで教えられたことがたくさんあったから、うちのおばはん、お金のない生活にも何とか耐えられるんだわ。
でも、祈り自体ということではやっぱりカルメル会の講座や聖人たちの書いた本なんかのほうが役に立つみたいなの。そんなわけでノートルダム・ド・ヴィとの出会いはちょうどよかったみたいよ。日本は欧米と違ってキリスト教の根も浅いし、修道会というものも根が浅いから、うちのおばはんみたいに、65歳以上になった女性となると超有名人の奥様とか、ご当人が有名人だったとか、ご自分で土地や建物を寄贈できるような大資産家のご家族とかでないと、そんな年齢で修道院に入れる人はほとんどいないけど、そんなことに関係なく、自分の祈りを深める努力はできるし、必要なのよ。
だってさあ、あの人の書いてきた童話や物語だって神様とお話しながら心の中に生まれてきたものを形にしてたのよ。「公園のお風呂ダヌキ」も「終課」もほかのもみんなそうよ。あの人、まじめにお祈りしないと書けないんだわ。あれ、そろそろ今日の分は終わりにしろって?はてなブログの容量が決まってるからこのへんで終わりにするわね。ほんじゃ、またね。
うちのおばはんは何年か前は原稿用紙に手書きでお話を書いていたのは話したわよね。あの人、久しぶりに書いてみようと思ってるんだけど、昔と違って、手や指の故障が進んで手書きでは難しくなってきちゃったもんだから、この際パソコンで、インターネットのブログの場所を使って、直接書いていくつもりなのよ。これも話したような気がするな。
それはいいんだけどね、うちのおばはん、何かっていうと今やらなくてはいけない仕事より、別のことに気を取られちゃうんだわさ。原稿を書かなくてはいけないって時は、冷蔵庫の中の大根をどう使おうかとか、台所やトイレの掃除のほうが気になってくるのよね。昔からそうなのよ。
おまけに今は年末で、そろそろどこでも誰でも冬休みとか、早めのお正月休みに入ってきてるじゃない。うちのおばはんなんて普段から休暇中みたいなもんなんだし、仕事らしい仕事といったら本当なら原稿を書くことのほうがいろいろな意味で大事なお仕事なのに、みんなが休んでるから自分も休みたいとか言っちゃって、はっきり言ったら怠け心全開よ。困るんだわさ。
あの人、この間の土曜日には武蔵関のノートルダム・ド・ヴィの修道院の祈りの集まりに行って、だいぶいろいろ啓発されたらしいのに、すぐ怠け心に取り付かれちゃってるんだもんねえ。そんなことでいいのかい、ちょっと。材料に使えるように書き留めてあるから、これをどう料理するかが問題だって?いい材料は新鮮なうちに下ごしらえしたりしなくちゃ、古くなっちゃうのにさ。
ノートルダム・ド・ヴィって何だって?カトリック教会の修道会にカルメル会って言う会があるのよ。えーと、日本でも人気のある幼きイエスの聖テレジアのいた修道会よ。大聖テレジアとか十字架の聖ヨハネとか、最近の人でよく知られているのはフランスの女性哲学者で深い思索で知られたエーディト・シュタインが、ユダヤ系の人だったのにカトリックに改宗してカルメル会に入ってるわ。ほんでもってナチスに捕まってアウシュビッツで亡くなったんじゃないかしら。日本じゃあまり知られていないけど聖人になってるのよ。
とにかくそのカルメル会の一派で修道院の奥に隠れないで世間の中で生活しているシスター達の会なの。うちのおばはん、上野毛教会のカルメル在世会に年齢で断られちゃってからカルメル会の司祭たちに腹を立ててたけど、怒ってたって何にもならないって思って、それより、自分の祈りや信仰の助けになりそうで、場所も家からも近くて、カトリック神学院や黙想の家で行き慣れている場所だから、せっかく紹介してくれる方もいたし、行ってみようと思ってノートルダム・ド・ヴィの修道院の祈りの会にいくようになったのよ。1ヶ月に1回だから体調がよくなくてもそんなに負担にならないじゃない。
講師のシスターのお話も理屈よりもっと大切なことを思い出させて下さるようなお話だったって、あの人、すごく気に入っちゃったらしいの。あたしもうちのおばはんの愚痴を聞かされなくてすんで本当によかったわ。よっぽどいい内容なのね。
うちのおばはんが若いころにかかわっていたのはカルメル会やフランシスコ会じゃなくてイエスの小さい姉妹の友愛会っていう世間の真っ只中で一般の人たちとかかわりながら生活全体を祈りに向けるような修道会だったの。でもうちのおばはんは自分ひとりになれるのはお風呂とトイレだけのそこの生活に自分は向いてないってわかってたから乗り気になれなかったの。ほんとにほんとのボンビーな生活を生きてる会だったのよ。今もそんなに変わっていないわ。あの会とのかかわりで教えられたことがたくさんあったから、うちのおばはん、お金のない生活にも何とか耐えられるんだわ。
でも、祈り自体ということではやっぱりカルメル会の講座や聖人たちの書いた本なんかのほうが役に立つみたいなの。そんなわけでノートルダム・ド・ヴィとの出会いはちょうどよかったみたいよ。日本は欧米と違ってキリスト教の根も浅いし、修道会というものも根が浅いから、うちのおばはんみたいに、65歳以上になった女性となると超有名人の奥様とか、ご当人が有名人だったとか、ご自分で土地や建物を寄贈できるような大資産家のご家族とかでないと、そんな年齢で修道院に入れる人はほとんどいないけど、そんなことに関係なく、自分の祈りを深める努力はできるし、必要なのよ。
だってさあ、あの人の書いてきた童話や物語だって神様とお話しながら心の中に生まれてきたものを形にしてたのよ。「公園のお風呂ダヌキ」も「終課」もほかのもみんなそうよ。あの人、まじめにお祈りしないと書けないんだわ。あれ、そろそろ今日の分は終わりにしろって?はてなブログの容量が決まってるからこのへんで終わりにするわね。ほんじゃ、またね。