真田丸-31

2016-08-07 21:55:34 | Weblog
ちょっとショックだったのは秀吉は享年62だったということにあらためて気が付き、結構ショックを感じてしまった。昔の人は平均寿命が低かったのですなあ。そんな若い年齢だったのかと驚いた。今と時代が大きく違い、体を作る子供時代の栄養状態も良くなかったのだろうなあ。秀吉さんが哀れでならない。

せっかく天下を取ったとはいえ、自分一代の仕事だったから、幼い跡継ぎしっかりとを育ててくれるような代々の家臣がいなかったのが痛い。三成や清正をはじめとする子飼いの自分で育てた家臣たちはいても彼らもまだそれほどの経験がない。

秀吉がもう長くないとわかると、天下取りのライバルだった家康とその家臣の智将本多正信がさっそく動き出したわけだ。三成もこのままではまずいと、真田父に家康暗殺を持ち掛けたのだが、残念なことにせっかく父昌幸の片腕とも頼む部下で忍びの者の頭領を送り込んだのだが失敗して、腕っぷしの強いほうの本多、つまり本多忠勝に斬られてしまったのだ。

華やかなことの好きだった秀吉なのに、最後は本当に寂しく悲しいものだった。せっかく、すぐに人を呼べるように置かれたベルにも手が届かないままになってしまった。