偶然の成り行きで、先だってたまたまgooブログと平行して書いているgoogleのbloggerのほうでなぜかいつのまにか、このカルメル会の大聖人、アビラの聖テレジアの生誕500年を記念しての巡礼の記録ブログに紛れ込んでしまい、日本語以外はせいぜい片言しかわからないというのに好奇心に駆られて追いかけていったわけだ。
カルメル会についてはそれまで日本のカルメル会しか知らず、実際に見ていたところではどうも感心しないことばかり多くて実はそれほどたいした会とは思えなかったのが本当のところだった。一人だけこの方はすごいと思っていた、日本人のカルメル会士はすでになくなっている。奥村神父様のことではない、もうひとりすばらしい方がいらっしゃったのだ。
それが、この巡礼ブログのおかげで世界のカルメル会の実際の働きを知って、すっかり見直してしまった。カルメル会は祈りの会だが同時に素晴らしい宣教の働いをしている会だということがわかってきたためだ。今頃になってやっと大聖テレジアのすばらしさは祈りだけではなくて宣教する人のすばらしさだとわかったのだ。小さいテレジア様はだからこそ聖人におなりになったわけだ。今頃やっと見えてきた。
それならば、ただのスカプラリオだけのつながりの者ではあってもカルメル会のためにできることはしたいともおもえるようになった。まあ、こんな書き物ぐらいだが。
Videoblog Capítulo 19: Nueva Zelanda
カルメル会についてはそれまで日本のカルメル会しか知らず、実際に見ていたところではどうも感心しないことばかり多くて実はそれほどたいした会とは思えなかったのが本当のところだった。一人だけこの方はすごいと思っていた、日本人のカルメル会士はすでになくなっている。奥村神父様のことではない、もうひとりすばらしい方がいらっしゃったのだ。
それが、この巡礼ブログのおかげで世界のカルメル会の実際の働きを知って、すっかり見直してしまった。カルメル会は祈りの会だが同時に素晴らしい宣教の働いをしている会だということがわかってきたためだ。今頃になってやっと大聖テレジアのすばらしさは祈りだけではなくて宣教する人のすばらしさだとわかったのだ。小さいテレジア様はだからこそ聖人におなりになったわけだ。今頃やっと見えてきた。
それならば、ただのスカプラリオだけのつながりの者ではあってもカルメル会のためにできることはしたいともおもえるようになった。まあ、こんな書き物ぐらいだが。
Videoblog Capítulo 19: Nueva Zelanda