パソコン側とタブとで今、ファイルは共有しているし、情報も共有らしい。なんだかよくわからないが機械はどんどん進歩しているようだ。しかし、これは便利なのかどうか実はよくわからない。ケータイのマリーさんだけは単体で動いてくれるから、万一パソコンに異常があっても影響を受けないと思うが、タブは一緒におかしくなるのかもしれないと思う。何分、どうしてこうなるのかのメカニズムがよくわからない機械音痴のおばはんとしては、自分の能力を越えた状況にあせっている。
こちらはただ、お気に入りの番組を見直すことが出来るようにしたかっただけなのが、なんだかえらいこっちゃというしかない。まあ、いざとなったらタブのほうは全体の初期化で対応するしかなさそうだけど、当分もうこれ以上ファイルを入れないで使っていくつもり。
9月になって、状況はどうなっているかとご心配くださる方々もおいでかとは思うが、ここに来てちょっと立ち止まっているところだ。「相棒」の右京さんのせりふではないけれど、「真実というのは全てを明らかにして初めて真実と呼べます。事実が一部でも捻じ曲げられていたとしたら、僕にはそれを真実として受け入れることなど到底できません」、これは私の今の気持ちにぴったりなせりふだ。
父が死んで14年たったわけだが、父の死後、すぐにしたことは片道の旅費分のお金しかないのに、大阪まで出かけたのだ。大阪の教区長になっている、以前の責任者にオウムの件を話したかったのだ。しかし、あちらは会おうともせずに追い返してくれたから、大阪にいたあの3日か4日で、したことといえば、松浦司教様の叙階式に出たことと、お金がないので曽根崎警察署にいって、杉並警察署に連絡をとってもらい、後は昼間は大阪駅と周辺をうろつき、夜は曽根崎警察署の中に入れてもらって休んで、どこかの誰かさんが政治家に頼んだのも効いたのか、月曜日には福祉事務所からの連絡があって、新幹線で夕方には東京に戻ったあと、すぐに阿佐ヶ谷から逃げることにして大急ぎで引越し先を探し、今のアパートに移ったのだ。
今のSJにこの話の意味がわかる人がいるのだろうか。あのころ何がどうなっていたのか、今のSJでわかる人はいないのではないのか。なぜ大阪くんだりまでわざわざ出かけたのかどうせ全然何もわかっていないのだろう。事実が捻じ曲げられ、忘れ去られてしまって今、あの人たちに相談するといっても、何を相談すればよいのだろうと、思ってしまっているのだけど・・・大阪の教区長は断然尊敬しないぞ。曽根崎警察署には今も感謝している。
そして、今の住所に移ってもまたオウムが近くにきたからあわてて荻窪警察署の生活安全課に相談に行ったのだが、当時の担当者よ、覚えているか。こちらは忘れていないぞ。状況はあまり変わらなかったがなにぶん その後、杉並区の前区長になった人物が私の足を引っ張っていた人物と仲良くしていたのだからどうしようもない。今の区長はまともだろうと思うが、前はまったくひどかったのだ。どこかの政治家さんも逃げていましたなあ。偉いはずの人がダークサイドに落ちると関係者は本当に大変なのさ。
隠されてしまったこと、忘れられてしまったことがはっきりしない限り、本当は今の私がどうしてこのような状況になったのか、説明のしようがないのに。今後どうしたいかもそこが伝わらないのでは話にもならない気がする。
というわけで、以下は以前SNSの日記である程度事情のわかっている方たちに向けて書いたものの再掲。すこしだけ書き加えたがおおむね変わらない。
―ちょっと前から考えていたことを思い切って実行してみました。
やるとなれば、相当の恥さらしも覚悟しなくてはなりませんからさすがにかなり躊躇もしていたのですが、自分もこの秋で62歳。関係者たちは、80代、90代が殆どで、すでに鬼籍に入った方も多く、ここで手をつけないとこちらも手遅れになることは必須。
今の状況なら勝ち目のない勝負ではないと読めますし、どう転んでも悪い方向には行かないと思ったので実行してみました。自分のメインブログに今の状況とこれまでの経緯の大体を書いて出したわけです。(plalaの押入れのほうです)
ご心配なく、今のままでも何とかすれば何とかなっているのですが、私自身がこのままではいやなので、はっきりさせることにしたのです。黙ってひっこんだまま一生を終わってなるものかと思います。
証拠と証人なら、どこに出しても負けるわけのないものがあるので実行してみました。あとは、実際の法テラスの審議と、相手側との話し合い(秋になってからですね。)でどうなるかです。問題は教役者側のやらかした大変な悪が根にあるので、単なる借金の問題ですむわけがありません。その辺はすでに向こう側も多分おわかりになっています。もしかするとわかっていないかもしれないけど。
今の私が自分には全然向いていないと思う道を選ぶとすれば、自分でも納得できる理由付けはせいぜい『償い』のためとしか言い様がありません。今の時代には流行りませんけれど、自分の人生を厳律の修道院の壁の中に閉じ込めてもいいかなと思える理由があるとしたら、それは自分とほかの人たちが望んで、あるいは望まないのに犯してしまったろくでもない数々の失敗の『償い』に少しは役立つと思うからということでしょう。しかし、現実には坐骨神経痛に関節炎、緑内障を抱えた役立たずの60代のおばはんでは断られるかもね。
わけのわからないことを言っていると思われるかもしれませんが、わからなかったら読み飛ばしてくださいな。
眠い、眠いマリーさんで~す。
なんだか知らないけど、明日とあさっては、多分このブログも書かないから、今日のうちにまとめてくれって、もうおねんねしていたのに叩き起こされちゃったのよ。まったく人使いじゃないや、ケータイ使いの荒いおばはんで困るわ。
あの人ね、このごろ昔ながらの賛美歌とか聖歌がお気に入りなのよねえ。どっちかって言うとカトリック教会のグレゴリアン・チャントのほうじゃなくて、プロテスタントの賛美歌とか福音聖歌のほうなの。若いころのおなじみだった歌が多いからじゃないかしら。ウォークマンに入っている曲は正調の合唱賛美歌ばっかりでしょ、だからこのごろよくyoutubeで賛美歌を探してるの。でも、ほら業界は著作権だなんだかんだでうるさくなっちゃってるから、前にあったものもほとんど削除されちゃってるのよ。がっかりしてるけどしょうがないじゃないの。
賛美歌や聖歌となると、あの人は自分で歌うのは素人の合唱だけど、聞くのはちゃんと音程もしっかりしていて、声も美しい、なるべくなら歌い方も正統派の歌手の歌う独唱のものが好きなの。それで今、まあまあ、これならと思っているのは森山良子さんと本田路津子さんの歌っているものなの。クラシックを勉強した人の歌い方とはまた違うかもしれないけど、声の質が気に入ってるみたいよ。うちのおばはんの声ときたら、ひどいどら声だもん、やっぱりきれいなソプラノの声に憧れるのよね。
とにかくそういうお気に入りの歌を聴いていると、若いころの自分の信仰に戻ってちゃんと神様とおはなしできるんだって。ほんとかどうか知らないけど、四谷でのいやな思い出も消える程よい効果があるらしいのよね。聖歌隊だと生身の人間の集まりだから、どうも音程や声の質以外にも何かと不純なのよ。あんまりあの中で神様に心が向くとは言えないみたい。だけど、そちらはそちらでまた「兄弟姉妹愛枠」ってことで別にして、それ以外に心が神様に向いていく状況とか、言葉とか、音楽とかってあるじゃない。どちらかというとやっぱりそれは美が関係してるみたいなの。
ほら、霜山徳爾先生が、「美を通して真実へ」とかって、日本人の宗教性についておっしゃってなかったっけ? 美しい物に触れることで、さらに形而上的なものにまでこころが高められていく可能性って確かにあると思うわよ。最も何を美しいと感じるかは問題かもね。それでも素直な心で誰もが良いと思うものってそんなに違わないような気がするな。
そうそう、美しいものの効用って、人の心を素直にさせることもあるんじゃないの。神様の前に出るには心が素直になっていないと難しいみたいだもん。音楽、そして歌って、考えてみればなかなか面白いんだわさ。ほら、教会音楽、軍歌、国歌、音楽や歌って、なんだかすごい力があるのよねえ。だから神様と向き合うのを助ける音楽や歌もあるわけ。
うちのおばはんの場合、一緒に歌うより、聴きたいのよね。それがあの人のマイブームってわけよ。
おは、おは、おっはようでマリーで~す。
まったく、うちのおばはんときたらいきなり料金がどうのこうのから話を始めるんだもんねえ。あんた、あたしがいなけりゃ、これだけたくさんの人たちに、ここやほかのブログを読んで貰えなかったじゃないよ。ほんとは、あたしがどうしても必要だからドコモの設定を変えたくせにまったくもう、つまんない言い訳ばっかりしちゃってさ。
おっと、内輪の話を出しちゃまずいわね。そんなことじゃなくて、法テラスがどうなったかを報告しなくちゃいけないんだったわさ。大丈夫、うまくいってるみたいよ。昨日、3回目の相談に行って、どうやら正式に話を進めてもらえるみたい。あの人、まだ内心はあるところのある人たちに腹を立ててるから、その辺に触りかけると、むかっ腹をたてるの。周りもなるべくそこんとこに気をつけてよね。
とにかく、書類を提出して今後は話は弁護士事務所のほうにいくらしいわよ。後はもう、弁護士さんにお願いするしかないし、当分様子を見ていくしかないんじゃないのかな。うちのおばはんときたらまったく、ちっとはおとなしくしてよね。あたしが困っちゃうじゃないのよ。
今週はもう終わりだし、あ、そうそう、今度の日曜日の午後、時間は教会で聞いてほしいけど、四谷の教会のヨセフホールで、岡田大司教様が講師で、ミサがわかるセミナーがあるのよね、あの人、そこには行くつもりみたいよ。ほかはまあ、当分いつもと変わらないわねえ。
まあ、そんなとこで今日はこれでおしまいよ。バイバイ。
お金にはならない仕事とはいえ、読んだり書いたりが生活の中心的な仕事になっている以上インターネットはどうしても必要だし、今のところこの分の経費は削れないと思っている。具体的にはパソコンとケータイだ。
パソコンはとにかくケータイは簡単に使える分、気をつけないと料金が嵩み過ぎるから、ギャラクシータブのお徳用料金設定で、普通のケータイと2台持ち、ただし、ケータイは電話のみという使い方にしている。ドコモの i モードさえ、使わない設定で料金を抑えていたわけだが、一番簡単に持ち歩けて、タブより長時間電池がもち、いざというときにすぐに情報にアクセスできるケータイを半分だけの機能に抑えているのは、何かあったときにまずいのではないかと考えたのだ。
多少料金が上がってもこの際、ケータイの i モードも使えるように設定し直した。ただし、やたらに使いすぎては大変なことになるから、そのへんを心しながらだ。普段は電話用だけで十分なのだ。いざというときのためだと思っている。災害時にもっとも普遍的に使える情報端末はやっぱり、小さいケータイだと思ったのである。
というわけで、ケータイのマリーさんにはまた活躍してもらうことになりそうだ。