エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

散文小説3

2013-07-21 21:32:53 | 小説
ビールを飲んで神宮球場をあとにした。とにかくあるいた。坂の下のミスタードーナツの看板から上がって行くと、代々木ゼミナールから夏期講習の予備校生たちがドットでてきた。ぼくは艶やかな彼らの若草の流れるような潮流にはじき出されそうになる。
JR山の手線に乗ると大塚で降車して、ビッグシティーへとあるいた。区民図書館から、踏切を通過するとENEOSのガソリンスタンドがあり、できることなら給油をしたかった。プラスチックの透明なコップのビールで潤したはずの喉がもう渇いていた。
横断歩道を渡り、角を左に曲がると豊島教習所がサンシャインビルに隠れるようにあった。2階建ての室内コースはとても狭いがミニチュアのカーレース場のようで、水色のレーンが渦を巻くような造りだった。
サンシャイン60の最上階からは高尾山のような曲線が薄く見えた。階段で降りて東急ハンズの前で、服は汗だくになってしまった。そしてブックオフでゲームを買って帰宅した。
朝起きると、ポーチを身につけ散歩をした。川べりを朝6時に走った。たまには小川沿いに有酸素運動をするのもいい。その道すがら駅前の商店街のマクドナルドに入って、Lサイズのファンタを飲んだ。
所沢駅から三峰山に向かった。この前会ったクマの親子と一緒に切株をテーブルにしてお茶をした。家から水筒にハーブティーを入れて持ってきていた。小熊はあまり好まなかったようだが、親のクマはハーブティーに喜んでくれてそのままぼくたちは日がくれるまで談笑した。駅まで向かえにきてくれたクマの親子に「またいつかお茶をしましょう」と社交辞令を言うと、手を振る彼らを背に西武秩父線で、ぼくは所沢まで行き、アパートに帰ると眠った。
その次の日、西武ドームに野球を見に行った。僅差で西武が勝ち、ぼくは、可愛らしいビールの売り子さんからプラスチックカップの270円の200mlのビールを購入して、飲んだ。30円は彼女にチップとしてあげたのだがすこし困惑された。後ろの席の客には、冷笑されたが、ぼくはアメリカンナイズなチップ制度を試したことに後悔はしなかった。所沢のアパートに帰ると、眠った。
起きると、雨が降っていた。しばらく晴ればかりの日がつづいていたから、気持ちが落ち着く。
部屋で鹿の木彫をした。淡々と1つは荒く削って鹿の形を作り出した。しかし細部や表面の磨きが残っている。完成までには50%いくかいかないかのものだ。そしてまた鹿の木彫もはじめた形を作り出す作業の途中である。雨は止んでいた。その日はとても暑かった。そして眠った。
次の日、気分転換に喫茶店に行って、そのあとビルの深夜警備のアルバイトを5日連続でした。そして帰宅して、眠った。木彫の継続を進めていくことでしか、深夜のビル警備という楽なのだが高リスクなアルバイト生活から抜け出すには方法がないようだ。
フリーターには無職者も定義的には含まれることもあるらしい。
フリーターからいつはたして正社員になれるのか。就職できるのかはたぶんぼくの甘えた生活と性格の改善に掛かっているのだろう。
所沢のマクドナルドで本を読んで木彫りのイメージの参考にした。
三峰山に行くと、切株をテーブルにしてやはり水筒に入れたハーブティーでお茶をしながらクマに木彫りのアドバイスを貰った。彼はとても適切な、ぼくの木彫りの良い点と欠点を指摘してくれた。帰り際の西武秩父線内で、いつかクマに恩返しできたらいいなとぼくは月の輝く車窓に想いを馳せた。

散文小説2

2013-07-20 18:34:49 | 小説
自助グループに行ってみることにした。月2回、木曜日と土曜日にしか行われない回数の物足りなさを感じながらも、とりあえず木曜日の自助会に参加することにした。ぼくを待っていたのは新しい絶望だった。女性はおろからそこに通っている男性陣ともうまく会話できなくて居場所がこの世の中のどこにもない気がした。通えど馴染むことはできなかった。
廃れた商店街をふらついて、ゲームセンターを出ると、向かいにある不動産屋の広告を見る。風呂無し賃貸の4畳ほどの木造アパートの部屋が家賃3万で張り出されていた。遠くない将来のぼくにはおあつらえ向きな場所になるであろうという予感がしていた。
次の日、三峰山のハイキングコースをふらついていた。野生の熊とおぼしき動物にぼくは「あっちに美味しそうな木の実があるよ」と指をあさっての方向に示し言った。野生の熊とおぼしき彼はそばにいた子熊を連れてぼくの指した方向へと行った。
山をあとにすると、御花畑駅で電車がくるのを待った。水筒を持ってきていて良かったわけだ。コンビニどころか、民家を見つけることさえひと苦労な東京の圏外は田舎と呼ぶにも難しい場所だ。電車で秩父、所沢とわり合いに直ぐに行くことができた。
次の日、池袋に向かいサンシャインシティーの60階までエレベーターでのぼった。上から見る景色で三峰山らしき曲線が見えたが、かすみがかっていてやはり東京から雄大な山が、見えないことを実感して、サンシャインを出て松屋で牛めしの並を食べて帰った。
次の日、所沢駅から御花畑駅に行った。三峰山のハイキングコースを行くとやはり野生の熊とおぼしき動物がいて、ぼくは彼の傍をただ通り過ぎて彼もまたそんなぼくを見送ることもなく子熊に木の実を食べさせてやっていた。その日はよく眠ることができた。
次の日、所沢駅に行くとぼくは街の中のゲームセンターを素通りしてとある喫茶店に入った。朝、人がいないから読書には最適だ。あまり通いつめるといつの間にか店員の視線が冷ややかになってくるから気を付けなくてはならない。滞在時間は1時間~2時間が関の山だろうか。本は読めて20ページであろう。とても心地の良い快適な喫茶店だった。ウェイトレスの女性がみな輝いていた。家にかえる。
午後1時前には薬を飲む。日課であり生きていくためのことだ。たとえば糖尿病のインシュリン注射と抗鬱薬(SSRI)は毎日飲まなくては、血中濃度が保てないという理由で似かよっているように素人知識で思う。ぼくはSSRIを毎日50mg摂取しなくては精神のバランスが保てない。いまの自分はそんなに大変だろうか?昼でも夜でも、ただ薬2粒を口に放ってお茶か水で流し込めばいい決して大変ではない。むしろ楽であるとさえ感じる。通例だとコーヒーとかお茶とかのカフェインが入っているものは薬とくに精神薬を飲む上では良くないとされるが、ぼくはおかまいなしに、何年間もアイスコーヒーや緑茶、烏龍茶、オレンジジュース、レッドブルに至るまで色んな飲料で抗鬱薬や抗不安薬を飲んできた。
予約していた整体師の専門学校の説明会にいくことにした。専門学校は御茶ノ水付近にあった。
御茶ノ水駅に付いて地上に出るとファミリーマートでレッドブルを買って飲んだ。
整体師の専門学校の説明会が終わる頃には、街はすっかり夜になっていた。さっき入ったファミリーマートの前に備えられてるゴミ箱に、整体師の専門学校の説明会で、貰った大量のパンフレットやプリントを、ゴソッと入れ込んだ。うまくすべてゴミ箱の中に入ってくれた。家にかえると応募して面接も受けていた学校の用務員の仕事の採用通知がきていた。
次の日、恵比寿駅から徒歩10分の私立ルザンヌ学園にいった。用務員の仕事はハードなのとどうしても女子学生に見とれてしまうということで1週間で依願退職した。

次の日、新橋のチェーン展開していると思わしきカフェの木目調の広大なフロアーの一角で、アイドルイベントへの参加準備をしていた。時刻は午前10時55分。
注意書きをよく読むと11時30分には会場に入っていた方が良いみたいなのであったけれど、ゆりかもは5分で新橋から目的の駅へ着くようだ。
もう11時ちょうどになろうとしていた。カフェの2階には、日曜日のお昼前ということで、人もまばらであったのだか、就活生が何やら合同説明会!?への参加準備をしていた。
ハタチ前後のスーツを着た大学生がたくさんいて、先輩の話しを熱心にメモなどしていたからとても感心した。
ぼくも老け込むにはまだ早過ぎる年齢の若者に違いないのだけれど、就活生達にはみずみずしさがあった。
本物の若さとはあのようなものの事を言うのかもしれないとぼくは薄いカフェラテを飲みながら思う。氷は溶け始めてグラスは汗をかいている。
カフェの冷房はどこでもがそうであるようにとても強くアイスカフェラテにした事を後悔した。ホットにしていればお腹を壊したり、のどをやられて風邪をひく心配をしなくても済む。
新橋のカフェの周りにはオフィスビルが多くて、日頃テレビで見かけるような古い鉄道やスクリーンのある様子とはだいぶ違っていて無機質な街に思えた。改札口が違うだけでまるで別の街のような印象になってしまうほどに新橋という駅も街も巨大なものなのだ。
大学を中退して、就活もできずにフリーターから無職へと雪崩れるように転がり落ちた自分とはとても対照的な雰囲気を感じて居心地はあまり良いものではなかった。
アイドルイベントの参加準備をしていることも決して人に褒められるようなものではない。しかも1人で太ったお洒落ではない格好をした男がポツンと座席の一角にいるのはあまり自然なことではないように思えた。
ゆりかもめは大きく旋回して下には高速道路にたくさんの車が見えた。晴れであったから立体駐車場と人工樹林が一緒におさまった景色はとても美しく感じられた。いわゆるインド系の外国人もそれを見ていた。
目的の駅で降りると、アイドルイベント会場へと急いだ。時刻は12時。余計な自己卑下な考え事をしていたから遅れた。悪い癖はなかなか治らない。
人の固まりがチラホラと出来ていてなんだかぼくは急に気恥ずかしくなったのだが、申し込み用紙に記入して受付でイベント券を3枚手に入れると安堵のため息をついた。ぼくの臆病な性格もやはりそのままだ。会場に足を踏み入れると熱気があり、まだシステムを把握しきれていなかったからウロウロとしてしまった。イベント券3枚を消費するにはあっという間であった。
しかしとてもエネルギーをもらう事ができたし、楽しかった。
ゆりかもめ~新橋と帰路についたのだが、なんだか落ち着かずにさっきとは反対側の新橋駅前にいってみた。黒くゴツゴツとした表面の汽車があり、新橋の駅前はランチタイムも遠に過ぎた昼という事もあって、人はまばらフルスクリーンに写し出された流行歌はぼくの所在ない心と同じに虚しかった。歩きだすと見慣れたチェーン店が所々にある。
ビックカメラでUSBメモリーの2GBのものを購入した。ノートパソコンの容量も少ないし調子もおかしい。
小さな紙袋を背負っていたリュックサックに仕舞うとオフィス街を歩いた。
どのビルも50階以上はあるようにぼくには見えて、そんな高い場所で働くだけのエネルギーも安定性もない現状を味わう。ビルはどれも綺麗で良く磨かれている。窓拭きの清掃マンはとてつもなく大変だ。
ぐるっとビルに囲まれる。中では慌ただしく仕事が行われていて日本の消費などを動かす頭脳労働が繰り広げられているのかと巡らせ、植林のレンガに腰を降ろした。携帯電話でピカピカと光るビル群を撮影する。そしてぼくはJR新橋駅から自宅へとかえった。

散歩の記憶(飯田橋)

2013-07-05 22:04:46 | 小説
長い階段だった。地下を掘り下げた大江戸線の飯田橋駅は地上に出るまでにうねるような階段やエレベーターを何回も上る必要があった。東京しごとセンターに個別面談の予約を入れている9時までの空白を埋めなくてはならなかった。歩き出して私はベーローチェの前に行ったのだが、まだ開いていなかったので信号機を渡り坂を登って行った。JR飯田橋のグリーン色の看板が見える。川を跨ぐように作られた坂道には通勤のサラリーマンやOLがたくさんいて、ジーパン姿の私は恥ずかしかった。桜が咲いている季節で、川べりの撮影する人達が何人かいて、私も1枚だけケータイの写メに収める。JR飯田橋の反対側の道路に立ち止まり見える川はやはりそんなに澄んではいなかった。忙しい朝でさえスーツ姿の紳士なサラリーマンも桜を撮影している。川は緑に濁っているように見える。はたしてそこに魚は住んでいるのかわからなかったが釣りには向かなそうだった。坂の中腹から登りきると御茶ノ水方面への道が続いている。引き返して大江戸線の飯田橋まで戻る頃には、ベーローチェは開いていた。200円のアイスコーヒーをオーダーすると段が高くなっている禁煙ルームに入りくつろいだ。何よりも地下鉄に久しぶりに乗ったことで疲れていた。

東京しごとセンターの待機用に備えられたベンチまで来ていたのは時刻が8時30分を回る頃だった。私の他に若い求職者が何人かいた。まだ30分は時間をつぶす必要があった。
エドウィンのハンドバッグから地元の役所にあったプリントを広げた。そこに東京しごとセンターの事は記載されていたから予約の電話をして今日に至っている。しおれたプリントをしまいしばらくぼぅとしていた。
9時になると求人誌の陳列棚に求職者ちは吸い寄せられるように行き。それぞれに7冊も8冊も抱えるようにタウンワークなどとは違うレアでそれなりの価値がある求人誌を持ち去っていった。それを見送ると私は2階の個別面談室でキャリアカウンセラーに就職よりも、ダイエットを勧められた。
しょげるように近代的なビルを出て大江戸線の飯田橋駅まで戻る。
私は徒労の何物でもなかったその日の就労活動を後悔はしなかった。なぜならばケータイの中にはシーズン真っ只中の桜の写真があるのだから。たとえ1枚であれたぶんその日に飯田橋でなかったら撮れなかったものに違いない。

風のようなロックミュージックが聞こえる

2013-06-24 09:05:39 | 小説
拙速にupをした幾つかの記事を整理した。
もしかしたら、空手家のつもりで素手で熊を倒せるかもしれない(@_@)!!
謎の出前様、テンキュー(^-^)☆!

おとといと昨日で原稿用紙10枚を新しく書きました。
報告するようなことではないのだけれどね。なにせ趣味なので・・・(^-^)!
20枚目まできたのでこのまま、また100枚程度まで書こうと思っています。やはりぼくにはパソコン書きよりも水性インキでの手書きの方が全然書きやすいようです。Pilot社製品はいいね。
とりあえず、98枚の中編は清書作業を残して引き出しにしまっています。
新しく書きはじめた小説は、まだ原稿用紙20枚目なのですが、とりあえず100枚は越した枚数にしたいと思っています。できれば150枚~200枚を目標にしたい。
そうすればとりあえずのぼくの引き出しの中の小説(物語)のストックは2編になる。また地道にいつもとなんにも変わらずに地元の喫茶店で原稿用紙に水性インキのボールペンで小説(物語)を書き続けていこうと思った。
なんかあんまり小説とか正直読んだことないんだけれど書くのは趣味として楽しいんだよね。喫茶店じゃないと書けないけれど。
まともに読んだ小説は100冊あるかないかくらいのような気がする。(もしかしたらもうちょっと多く物語を読んでいるかもしれないが・・・)
ネガティブな心理学の本とか、エッセイみたいなのしか読んでないけれどいいのかな・・・などと思いながら書いてはいるのですが・・・(@_@)!
趣味とはいえほんとうの読書家、小説好きの方々からは叱られそうです。
とりあえずなんか手書きっていい。
パソコンの電子画面がぼくはなんだか苦手みたいです。iPhoneのタッチパネルの液晶画面は平気なのに、何かの違いがあるのでしょうかね!?
でもパソコンは昔からなんだか苦手で、手書きか携帯でのメモとかの方が好きだった。パソコンはできることが多すぎてついインターネットで色々と見てしまいいつの間にか当初の書くという目的を忘れてしまうんですよね。iPhoneもそうではあるけれどやはりパソコンのなんでも見れる、できる度に比べると限定が多いような気もするのです。手書きはまあようするに基本スタイル、根本スタイル、源流なのでそれで自分なりの趣味の世界を広げられたら良さそうだ。

いちおう下の塗り絵は装丁で、家のEPSONのプリンターで印刷してホチキスで綴じて勝手に1冊だけの自分の為だけの本にするのもいいかもしれない。
なんてまぁそれはあくまでも極論で。



ちなみに題名はまだ決めてない。けれど、村上春樹さんの『風の歌を聴け』って絶妙にかっこいい題名で、そんな風なタイトルを付けられたら面白い。

散文小説 1(試しup)

2013-06-08 19:40:16 | 小説
行く当てのないままぼくは東京湾の岸辺を歩いていた。倉庫には搬入作業をしているミニクレーン車が積み荷をゆっくりと地面に降ろそうとしている。
錆び付いた金属片が落ちていた。空き缶が潰れてもなく転がっている。コールタールのむせ返るような匂いや、東京湾の濁った水は6月の梅雨時にはある意味ではふさわしいものであった。停めてあった日産のマーチに乗る。
流線型の青い車体がひと気のない夕方の高速道路を時速80kmで進んで行く。
休憩エリアでトイレを済ますと、ふと思い立ち来た道を戻り、高速を降りた。ゴーストタウンへとなりつつある夕暮れの都心のビル群を幾つも通り過ぎてそのたびにぼくは社会参加出来ていない自らの境遇との差異を痛感した。 汐留はやはりオフィス街だ。ドライブになんてとても向いていない。そこから注意深くUターンをした。
反対車線には幸い車は来ていなかった。
高速道路に上がると時速100kmで飛ばした。ハンドルが車体の速度に引っ張られて自然と動く。夕暮れはまだ梅雨だというのに夏の終わりさえ感じさせるくらいに、澄んだオレンジ色に輝いていた。昼間、曇っていたからだろうか。
ハンドルを握る手に力を入れ、ブレーキを少し効かせる。車内メーターは92kmからより下がろうとしている。アクセルを踏む足をそのままにして車線からはみ出ないようにと前との車間距離に気をつけた。ぼくはただ前を見て日産のマーチを走らせ続ける。
ETCをくぐり抜け、高速を降りた。フロントガラスから見えるファミリーレストランの人影はとても楽しそうで、家路へとぼくを焦らせた。
駐車場に停めると、カギをしてアパートの部屋に入った。アパートの2階は伸びて絡まったツタが窓辺に見えるくらいまで到達していた。夏を前にして植物さえもその活力を何よりもみなぎらせようとしていた。ぼくはその日はドライブの疲れで夜の8時には消灯し、眠りについた。
起きると雨が降っていた。アスファルトを大粒の雨が叩き、灰色の空が曇りガラス越しに見えた。
外へ出ると思ったよりも降りは激しくビニール傘をさして駐車場まで行き、車を発進させた。
中古買取店に着くと、査定のためにキーを預けてたまたま近くにあった映画館でホラーを見た。
映画館を出るとビニール傘をさして歩いてあじさいが雨で濡れていた。アスファルトは雨水を吸収する事なくスニーカーのぼくの足元を滑りやすく不安定にさせているように思えた。
査定は納得のいく金額であった。
歩いて駅に向かう、ビニール傘はぽつぽつと音を立ててぼくの心を和ませた。駅前の喫茶店で一息つく事にした。6月ももう終わろうとしている。
クーラーは微風であったが雨で肩が濡れた柄物のシャツを冷たく刺激した。
ぼくは風邪をひくことを恐れていた。ホットのコーヒーを頼むと生暖かいお絞りで顔を覆い暖気をもらう。それから適当に濡れた服やズボンを吹いて、テーブルの上の少年ジャンプを読んだ。
コーヒーも冷める頃、雨は上がっていた。駅に向かうさなか上を見上げると、昨日東京湾で見た夕暮れよりも梅雨時に相応しいような美しく淀んだ夕暮れがあった。
電車は混んでいた。やはり社会参加していない後ろめたさをスーツのサラリーマンやOLと同じ車内でいる事で実感する。
アパートに着くと、服を脱いでシャワーを浴びた。そしてTシャツとボクサーパンツのまま夜の9時には眠りについた。

起きて外へ出ると快晴であった。一旦ズボンを履きに部屋に戻り財布とカギと携帯電話だけを持って出掛けた。
久しぶりに乗る自転車は懐かしかった。車を売ったお金で買う事ができた。まだ乾ききらないアスファルトを新調したばかりの自転車のゴムタイヤはギュルギュルと軋んだ音をなびかせた。やはりぼくには自動車よりも自転車が合っているのだなと思う。
その日はとにかく自転車で走り回った。夕暮れのなかをすでに終わった幾つかのロマンスを思い出して走った。
もう過去のロマンスとは出会えないという事をまだ梅雨の抜けきらない夕暮れに思った。
アパートに帰ると、木製のミニテーブルの上で小説を書いた。ボールペンで手書きで、4月から書き溜めていた小説の98枚目を書いた。取り敢えず中編は書き終えられた。
三日月の夜の下、窓を開けて発泡酒を呑んだ。そしてまた中編を今度は50枚でもいいから書こうと思った。酔いが回り自然と眠りについた。
7月になろうとしていた中編の小説に取り掛かるために文房具店に原稿用紙を買いに、自転車を走らせた。
雲はあまり見られなかった。たぶん梅雨は明けてしまったのだろうか。
文房具店で原稿用紙の20枚の157円のものを4セット買った。
帰り際にいつも見ていたあじさいが散り始めていた。
本格的な夏はこれからぼくにいや万人にのしかかり喜びと苦しみを与えようとしている。
アパートに帰り、眠った。
起きると快晴だった。壁の柱にピンで留めてある日めくりカレンダーの「30」を破いた。「1」が出現して、日めくりの紙の上のほうには小さく7月となっていた。ぼくは木製のミニテーブルの前に座ると20枚の原稿用紙セットのビニールを開けて1枚取り出すと、水性インキのボールペンで50枚の短編を書き始めた。
セミが鳴く声が電信柱に染みてぼくのアパートを少しだけ揺らす。夏はもう始まってしまった。