エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

温故知新

2014-05-29 02:37:22 | 日記
戦意喪失。しばらくひきこもるかな・・・。6月のはじめくらいまで。
でも揺らぎやすいぼくは明日になったらまた小説エッセイを書いて傷つくのかもしれない。

ぼくはまた性懲りもなく16歳の少年を主人公に1人称の小説を書いています。
原稿用紙100枚を目標で現在20枚目を書いています。95%以上のフィクションとその当時のぼくのリアリティーを織り交ぜていて、表現や文体や固有名詞や描写といったことに気を付けています。
会話を書くことが苦手かもしれないということにやっと気が付いて地文で枚数を稼いでいる感じです。
人称は俺や私が合わないので消去法でぼくというセンチメントな主語になってナルシズムに陥ることが多く、その度に森鴎外の文体を思い出して参考にして書いています。明治の文豪はやはりかっこいい。文章のきれと強さを森鴎外には感じて学匠文人だった超エリートの凄みが明治・大正という華やかな時代の音色にのって伝わります。『ヴィタ・セクシャル』という小説は読みやすく漱石をうまく読み込めない男性脳のぼくにはやはり鴎外だなと確信めいた文学でのお手本の存在を知ることができた作品です。
鴎外はなんでも将棋をやらなかったそうでその意味でも好感がもてます(ぼくは将棋が弱い・・・)まだメディアもそこまで発達していなかった背景が漱石や鴎外が古来稀な文豪であることを支えてもいるようです。現代では吉本隆明さんいわく秘密を保つのが難しい時代になり大家が生まれにくいそうで、一方でTwitterやweblogといった便利なツールがあり、それらを使って書籍の販売部数を伸ばすといった利得もあるわけでやはり複雑ですね。

世界中で起きている
争いなどが収束していけば会社
組織
などにも平和が波及してゆくかもしれないとキリスト教のエッセイを読みながら思いました。ぼくはきょうもNETサーフィンをして

検索

したり動画を視聴したりして静かな幸せを噛み締めたいと思っています。

久しぶりにweblogの行間を開けたら不自然になってしまった・・・。お許しを