令和元年(2019)5月に亡くなった母の遺品です
昨日 我が家に持ち帰りました
物の無い時代に 筆もいい筆ではなかったと思いますが
きちっと丁寧に書かれてあります

高一 というのが 何歳なのか調べようとしましたが
何回も改正され よく分かりません
母の住んでいたところは 大田舎で 熊が出るようなところです
今から 90年位前のことですよ
時代も時代です
日本中が みんな貧乏でしたから
いい筆ではなかったと思いますが
いい字ですね (上から目線
)
きっと 中学1年か2年だったと思います
感心しきり
しかし 「聖戦へ民一億の體当たり」 だなんて
今 毎朝 放送されている NHKの連ドラ「エール」を思わせますね
作曲家古関裕而は 戦意高揚の曲を 求められていますね
母は 13歳か14歳で 学校でこの字
現在の 小中学生の字の課題は
平和に関する字が多いです
「平和」 「希望」 「出発」 「宇宙」 ・・・
1948年生まれの私は いい時代に生まれてきましたが
息子や娘には 今からどんなことが待っているのでしょうか
コロナ ・・・
過去の怖い病 天然痘や スペイン風邪 などなど
医学の力で乗り切ったように
コロナも乗り切っていきたい
医療従事者や ワクチン開発者のかた
有難うございます
感謝
↓ 参考資料
明治19(1886)年の小学校令では、尋常小学校4年、高等小学校4年とされましたので、
尋常小学校に6歳で入学して10歳で卒業、高等小学校に10歳で入学して14歳で卒業でした。
その後、明治33(1900)年に小学校令が改正され、高等小学校の課程が「2年または4年」とされましたので、
12歳で高等小学校を卒業することもありました。 さらに小学校令は、その後、明治40(1907)年に改正され、
尋常小学校6年、高等小学校2年とされましたので、尋常小学校は6歳で入学して12歳で卒業、
高等小学校は12歳で入学して14歳で卒業となりました。
なお、当時の義務教育は尋常小学校のみで、高等小学校は義務教育ではありませんでした。