その頃 私はフルタイムで働いておりました
大手スーパーで パート勤務でした
事故後 仕事を続けていけるだろうか?? と
8:30~16:15 こんな勤務体制でした
息子が 所沢のリハビリテーションに転院するまで
今の お嫁さんが 付き添いをしてくれていました
しかし、彼女の家は 東京です
・・・・・で 我が家に泊まって 毎日 病院まで 送迎してました
う~~ん 誰が? 娘だったかな~ 迎えに行ったのは 私だったような
我が家は 息子の事故から 生活が 一変しました
結婚前の彼女でしたが、我が家に泊まり 息子のお世話をしてくれました
息子の事故で 頭が混乱していたのに そこに 彼女の存在で
それも、我が家で 一緒に暮らすようになり
今、私は その頃の事を思い出そうとしましたが うろ覚えです
しかし、彼女が息子の付き添いをしてくれたので 私は仕事を続けられたようです
息子は ベッドに腰掛ける事もできませんでした
後から教えてもらった事なんですが
オレの体は
コンニャクの上に 上半身が乗ってるようだ
これって 想像できますか?
つまり 不安定って事なんです
手のひらを広げ そこに 鉛筆を立てて
オレの体は この鉛筆のように フラフラして 上半身が不安定なんだよ
こう 説明してくれました
ですから 単に 車椅子に乗って 動かすのも 座ってる お尻の感覚がないし
ほんとに 恐怖だったと 思います
ですから 車椅子を上手に動かすのも とても大変な訓練が必要になってきます
若いから 回復も 運動神経も よかったので あっという間に 上達していました
息子の回復は 予想以上に早く
家の改築が 間に合いません・・・・・ヤバイです
病院では 治療する事もないので 『早く 退院してください いつになりますか?』 っと
看護師さんからは 顔を合わせると そのような事を 聞かれたようです
家の中の エレベーターが 完全に動き 使えるようになったら 退院しよう・・・と 決めました
しかし、エレベーターが 動いても まだ 大工さんが入っていたので
大工さんと 息子に 気を使っていました
次回に つづく