日本酒ピンバッジ倶楽部

日本酒ピンバッジ倶楽部で活動、2024年に解散。日本酒ピンバッジのコレクター・プロデュースもしています。

風の森 笊籬採り ピンバッジ

2024-12-24 22:16:12 | 奈良の酒

 例年、クリスマスシーズンが近づくと油長酒造さんの「風の森 笊籬採り」が出てきます。

 タンク内のモロミの中に笊籬(竹カゴの様なもの)と呼ばれるスクリーンを沈めてモロミと清酒を分離する独自で画期的な技法で、モロミも清酒もほぼ空気に触れることがありません。上槽された清酒を吸い上げてタンクに移し、窒素ガスを注入させながら充填瓶詰するので、溶存酸素濃度率が極端に低い状態(無酸化状態)鮮度抜群で蔵出しされます。

 なぜかこのシリーズにはピンバッジが付いてくるので、ついついお小遣いをはたいて買ってしまいます。

 今年は藍色のピンバッジ、素敵です。

 

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美吉野醸造「花巴」日本酒ピンバッジ倶楽部

2023-10-20 16:57:31 | 奈良の酒

美吉野醸造は、紀伊半島の中心・吉野川を臨む六田(むだ)に1912年に蔵を構えました。

 紀伊半島は山深いその立地ゆえに漬物や味噌・醤油など塩漬けを行わないと腐ってしまうぐらい、自然と発酵が進む多湿な山林地帯です。

 この吉野の発酵・保存食文化と共にある酒造りとは何かを考えてゆくことで、他の地域で「あたりまえ」である米の品種、精米歩合、酵母、温度制御による安定させる酒造りから、吉野という地域での「あたりまえ」を見つけるため、風土に育まれた米や水を、風土が残した菌で活かす事、発酵による酸を抑制する酒造りではなく、酸を解放する酒造りにたどり着き、普通の数倍の時間と手間がかかっても吉野に寄り添った酒を造ることが美吉野醸造の強い思いで、手造りだからこそできる「米の旨味が伝わる酒」を醸しています。

今回は、美吉野醸造の花巴のラベルをのピンバッジのデザインにしました。

 「花」はヤマザクラ、「巴」は、ひろがりを意味しているそうですが、白地に赤い花と巴、その上に冴えた黒い漢字の花巴、良い出来です。

美吉野醸造の代表銘柄「花巴」は、明治時代まで、吉野山にある蔵元で醸されていましたが、火事で蔵が焼失し、銘柄が途絶える危機となりました。

 1912年、現在の吉野川のほとり吉野六田の地に拠点をつくり、先代の橋本をはじめとする4軒で合名会社を設立し、代々大切に受け継がれてきた、清酒銘柄「花巴(はなともえ)」に誇りをもち、引き継いだのです。

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千代酒造「春の利き酒会2023」櫛羅ピンバッジ

2023-04-25 19:48:16 | 奈良の酒

 2023年4月23日の日曜日、奈良県御所市大字櫛羅にある千代酒造さんの「春の利き酒会2023」に伺いました。近鉄奈良線御所市の駅に降り立ち、20分ほど西へ歩くと新緑の葛城山が近づいてきます。

ふと、交差点で見上げると信号機の横に櫛羅東の表示が、千代酒造さんへ近づいてきました。

板塀に白い壁、甍の屋根が美しいです。

入り口脇には、石屋の中にお地蔵さんが祀られていました。

 日本の山岳信仰である修験道の開祖と言われ、天狗ともいわれる役小角(役行者、役優婆塞)の生まれた地、葛城山の麓、奈良県御所市に千代酒造があります。

 千代酒造さんは、日本酒は”米の酒”であると同時に”水の酒”であるという蔵のこだわりがあり、葛城山の恵みである地下水を汲み上げ、仕込み水につかっています。良い酒を造るためには、良い米を使うという願いから1996年酒蔵の周りで自作の山田錦を育て始めたそうです。水と米ともにこの土地の恵みを生かす酒造りを続けることを願っているそうです。

 千代酒造さんのお酒の銘柄は、葛城さんの古の呼称である「篠峯」と蔵の地名である「櫛羅」です。今回の利き酒会でたくさんのお酒を試飲しましたが、ようやく今回プレゼントのピンバッジのモデルとなったお酒が現れました。「純米大吟醸 櫛羅 生酛仕込一火原酒」です。

この櫛羅ピンバッジ、ブルーのボトルはラッカーで仕上げ、ラベル部分と肩ラベルの文字まで細緻に再現されています。相当力を入れて作られたピンバッジだと思います、堺社長いいできですねぇ。

お酒も、ピンバッジを肴に、すいすい飲めました!

 

 

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大倉本家「大倉」日本酒ピンバッジ倶楽部

2023-01-26 16:42:42 | 奈良の酒

 大倉本家のお酒の中でも、この大倉シリーズは、純米酒にこだわり、原料米は半分以上をひのひかりなど自家栽培米、あるいは地元農家契約栽培米を使用し、大倉隆彦社長のキャラクターと共に癖の強い関西人に大人気のお酒を醸しています。

 一度でも大倉社長にお会いした方は、短髪に眼鏡、タオル鉢巻きにピチピチのシャツの前掛け姿で、下ネタを飛ばすその個性に驚くことでしょう。しかし意外なことに(失礼)その多くのファンは女性で、普段は下ネタなどに厳しそうな方ほど、彼に魅力を感じるようです。おそらくその最大のファンは、奈良県の五位堂の大倉本家エキマエノミセにおられるキリッとした美人の奥様だと思いますが・・・。

 お酒は、生原酒・火入れ原酒共に無濾過、加水火入れ酒は素濾過でお酒本来のうまみを残すために活性炭は使用せず、また、火入れはすべて一本ずつ手作業で瓶燗し、すべてのお酒は氷・低温貯蔵しています。

大倉山廃純米吟醸は、ほのかな甘みに酸味と旨味、後口に切れがある飲みやすい酒です。

今回は、赤い浮世絵の女性と先代社長の筆による特徴的な「大倉」の文字のラベルをそのままピンバッジにしました。

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大倉本家「金鼓」日本酒ピンバッジ倶楽部

2023-01-25 21:03:27 | 奈良の酒

 二上山(にじょうさん)は、大阪府南河内郡太子町と奈良県葛城市にまたがる山で、金剛山地北部の葛城さんの北に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がある双耳峰で、石器に使われた讃岐岩(サヌカイト)の産地でもあります。かつては大和言葉で「ふたかみやま」と呼ばれていました。

二上山(にじょうざん・ふたかみやま)の麓、奈良県香芝市に蔵元大倉本家があります。

 

 

 1896年(明治29年)大倉勝治商店として創業。

 以降、元々蔵付き酵母が強いのか、山廃仕込み中心の蔵元として酒造りを続けてきました。「手間隙はかかるが、これが大倉本家のこだわりであり、この蔵でしか出せない味」通常の倍以上の時間と労力をかけ自然の乳酸菌の育成を導く山廃もとという酒母を使用する「山廃仕込み」で造っています。

 かつては、地元でのシェアも高く、一時は3000石ほど造っていた時代もありましたが、2000年~2002年(平成12年~14年)の間3年間酒造りを休業せざるを得ない事態となります。当代の大倉隆彦社長は、当時は横浜で会社員として勤務していましたが、父の病気を機に奈良に戻り、大倉本家4代目蔵元となります。2004年から熟練の但馬杜氏 井谷恒雄氏を口説き落として再開にこぎつけ、現在も酒造りに励んでいます。

 

 大倉本家の特徴は、山卸廃止もと(やまおろしはいしもと)、現在も佳撰(旧2級酒)においてまで山廃造りで仕込んでいます。

 1928年(昭和3年)頃より、奈良県神社庁の委託を受け、御神酒(濁酒)の造りをしています。再開後も、その濁酒用の免許を再交付してもらい、現在も清酒のルーツである「水もと仕込み」で濁酒(どぶろく)を造ることができる、日本でも数少ない蔵元の一つです。

 

金鼓ラベルは昔から変わらない味のある酒で、

「萬歳の 祝て打や きんつづみ」 
才蔵(さいぞう) の鼓にあわせて太夫が舞う
萬歳が好きであった初代が、このフレーズから『金鼓、きんこ』と名付けたと伝わっています。
現在の『金鼓』ラベルは、墨彩むかし絵の大家である松下紀久雄さんが描きおろしによるもので、この絵の太夫と才歳の表情の如く、飲む方の心を和ませる酒となるよう願っているそうです。

 

 

 

 先人から伝え受けた 水もと仕込み の技と山廃 でしか出せない蔵の味、自家栽培米 ひのひかり で仕込んだこだわりの味と創業以来育んできた技法、個性ある質のよい酒造りを目指し「 酒は本来 素朴・端正をもって極上とする」信念と蔵人の酒造りに対する心意気が、大倉本家の奈良の地酒「金鼓」に脈々と生き続けています。

 

出典、参考文献・HP

大倉本家 HP

『万葉集』

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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