それは、今年の5月の始めでした。
4月の末にニコニコ超会議のイベント、マニアックフェスタVol.6へ日本酒ピンバッジマニアとして出展し、終えた翌日に、FBで門前仲町の折原商店に結城酒造の浦里美智子杜氏が来ることを知り、訪ねました。
2021年の12月に私たち日本酒ピンバッジ倶楽部が応援し、結ゆいボトルタイプのピンバッジを造らせていただいたご縁もあり、東京での再会を喜び、「結ゆい」を呑み羽田に向かいました。
美智子さんの笑顔と、お元気なお姿に、よいご縁を頂いたと思いながら大阪に戻ったのです。
それから数日が経過し、FBを見ていた所、2022年(令和4年)5月11日 結城酒造さんが全焼したとのニュースが・・・。
詳細は、すでに報道されているので、ここでは記しませんが、とてもショックでした。
もちろん、当事者である結城酒造の方々のお気持ちは、いかばかりかとお察しいたします。
数日間は、何かお手伝いできないかとあれこれ考えていましたが、火災後の現地の状況が徐々にFBやネットニュースなどに掲載され、還暦を超えた親父が現地に駆けつけても・・・と自重していました。
そうこうするうちに関西でもぽつぽつと結城酒造さんを応援する居酒屋さんや酒屋さんが「呑むことで応援」として、小規模ですがチャリティイベントを開催する動きがあり、できるだけ足を運ぶようにしていました。
でも、もう一歩踏み込んだ応援をしたい、と思う気持ちもあり、モヤモヤした気持ちが続いていました。
私が運営として参加している日本酒ピンバッジ倶楽部は、その会則に入会資格として「日本酒を嗜み、蔵元を応援する心を持ち、倶楽部員はみなボランティアで活動している」や、目的として「私達は日本酒ファンであり、・・・、苦戦する蔵元を応援すべく、」の文言があります。
ある居酒屋の女将さんから「今こそ、日本酒ピンバッジ倶楽部の出番やね。」の言葉がでたとき、FBでつながっていた浦里美智子さんへ思い切ってメッセージを送りました。
実は、美智子さんのSNSでの発信を度々拝見していた私は、今回の火災のお詫びと、応援頂いた方へのお礼の言葉を頻繁に発信されているのが気になっていました。
「すみません」や「ありがとう」の言葉は、あまりにも多く発すると、その人の心を疲れさせるのではないか・・・。自分がこの言葉を発するときのことを考え、心を込めれば込めるほどエネルギーを使ってた事を思い出したのです。
「美智子さん大丈夫かな?」の気持ちを込めて、以下の事をお伝えしました。
「私にできる事が一つあります。ピンバッジを作る事です。これから沢山の方々の応援を受ける美智子さんに、そのお礼の印としてその方々への返礼のピンバッジを作らせていただけないでしょうか。」
暫くして美智子さんから、「是非、お願いできればと思います。」の返事を頂きました。
「結ゆい・ありがとう」ピンバッジです。特別純米酒と純米吟醸酒のラベルをベースにデザインしました。
そして、このピンバッジは 8月7日に東京都練馬区で開催された結城酒造チャリティイベント「結びの会」のスタッフピンとして配られる事になりました。
私自身は、東京へ行く事は適わなかったのですが、多くの結城酒造さんを愛する方々の胸に付けられ、輝いているピンバッジをSNS上で見かけるたびに、私たちの活動は、少しはお役に立てたのかなぁ・・・とひっそりと思うのです。