無差別殺人事件(=テロ)は、いつの時代もどこの国でもあります。
最近の我が国では、秋葉原無差別殺人事件、川崎無差別殺人事件が目新しいところです。
いずれも引きこもりの男が無関係な市民を巻き込んだテロ行為でしょう。
少し前なら、集団引き込もりともいえるオウム真理教の起こしたサリン事件がありました。
ところで、立川志らくのコメントが「死にたいなら一人で死んでくれ。」とコメントしたといいます。
この発言の「一人で死んでくれ」は言葉のあやでしょう。
志らくの真意は「どんな場合でも他人に危害を加えるな!」にあるのではないかと思われます。
いずれの事件も「ヒト様に迷惑をかけていけない」という道徳心の欠如が根幹にあるような気がします。
そうだとすれば、家庭教育・義務教育における道徳教育の欠如という社会問題こそが解決されるべきではないでしょうか。
しかし、問題は社会環境の多様化も影響しし、より複雑化しています。
「引きこもり=ダメ人間=犯罪予備軍」という決めつけもいささか短絡的に過ぎます。
例えば、芸術家や小説家などは何か月も長期にわたって家宅に引きこもるのはよくあると言われます。
社会との交流が少なくてもまともに生活している友人・知人たちは身近にも少なからず居います。
特に首都圏のマンション住まいともなると頻繁に会合などがある場合を除き、ほとんど交流がないのは珍しくはないでしょう。
引きこもりよりも問題なのは、何らかの精神的なストレス障害が起きたかも知れないと自覚したとき、あるいは家族にそういう不安が生じたときに相談できる専門の公的機関がないことです。
まさに、デーブ氏の言う専門のカウンセリングを受けることが重要だろうと思われます。
日本では一般に、まだカウンセリングの重要性が認識されていないことは確かなようです。
そういう意味では、日本社会のメンタル面での対応が未熟です。
10年以上も前から、カウンセリングの重要性は指摘されていたにも関わらず、いまだにシステムが構築されていないのは、政府・行政の認識不足と手抜きでしょう。
今のところ、無差別殺人テロを回避するには、個人の自己防衛しかありません。
そういう意味では、中世の戦国時代の戦乱期と同じでしょう。
現代日本人の最も苦手とする危機意識の分野です。
「自分の身体や自分の家族は自分たちで守る。」
政府や役所任せにはできないのです。
法治国家とはいえど、今のところは、自己防衛しかないと覚悟を決めるしかなさそうです。
『ひきこもりの英訳は“Hikikomori”、日本特有の難問を解決するためにすべきこと
社会週刊新潮 2019年6月13日号掲載
川崎通り魔事件
〈死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。なんで弱い子どものところに飛び込んでんだって〉。
川崎の無差別殺傷事件を受け、落語家の立川志らくが情報番組で口にしたこの発言は、大きな波紋を呼んだ。
20人を殺傷し自刃した岩崎隆一容疑者(51)に放たれた“一人で死んで”は正論か、暴論か。
尽きることなき論争の陰で、「無差別大量殺傷事件」が炙り出した問題の本質とは――。
数多くの殺人犯への取材経験を持つノンフィクションライターの窪田順生氏は、「岩崎に対して過度に配慮すると、同じ境遇の人たちの被害者意識を増幅し、事件を誘発してしまう」と指摘する。
被害者意識こそが、犯行に及ぶ人間の背中を押すのだという。
***
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』(msn news)
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/06160800/?all=1
最近の我が国では、秋葉原無差別殺人事件、川崎無差別殺人事件が目新しいところです。
いずれも引きこもりの男が無関係な市民を巻き込んだテロ行為でしょう。
少し前なら、集団引き込もりともいえるオウム真理教の起こしたサリン事件がありました。
ところで、立川志らくのコメントが「死にたいなら一人で死んでくれ。」とコメントしたといいます。
この発言の「一人で死んでくれ」は言葉のあやでしょう。
志らくの真意は「どんな場合でも他人に危害を加えるな!」にあるのではないかと思われます。
いずれの事件も「ヒト様に迷惑をかけていけない」という道徳心の欠如が根幹にあるような気がします。
そうだとすれば、家庭教育・義務教育における道徳教育の欠如という社会問題こそが解決されるべきではないでしょうか。
しかし、問題は社会環境の多様化も影響しし、より複雑化しています。
「引きこもり=ダメ人間=犯罪予備軍」という決めつけもいささか短絡的に過ぎます。
例えば、芸術家や小説家などは何か月も長期にわたって家宅に引きこもるのはよくあると言われます。
社会との交流が少なくてもまともに生活している友人・知人たちは身近にも少なからず居います。
特に首都圏のマンション住まいともなると頻繁に会合などがある場合を除き、ほとんど交流がないのは珍しくはないでしょう。
引きこもりよりも問題なのは、何らかの精神的なストレス障害が起きたかも知れないと自覚したとき、あるいは家族にそういう不安が生じたときに相談できる専門の公的機関がないことです。
まさに、デーブ氏の言う専門のカウンセリングを受けることが重要だろうと思われます。
日本では一般に、まだカウンセリングの重要性が認識されていないことは確かなようです。
そういう意味では、日本社会のメンタル面での対応が未熟です。
10年以上も前から、カウンセリングの重要性は指摘されていたにも関わらず、いまだにシステムが構築されていないのは、政府・行政の認識不足と手抜きでしょう。
今のところ、無差別殺人テロを回避するには、個人の自己防衛しかありません。
そういう意味では、中世の戦国時代の戦乱期と同じでしょう。
現代日本人の最も苦手とする危機意識の分野です。
「自分の身体や自分の家族は自分たちで守る。」
政府や役所任せにはできないのです。
法治国家とはいえど、今のところは、自己防衛しかないと覚悟を決めるしかなさそうです。
『ひきこもりの英訳は“Hikikomori”、日本特有の難問を解決するためにすべきこと
社会週刊新潮 2019年6月13日号掲載
川崎通り魔事件
〈死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。なんで弱い子どものところに飛び込んでんだって〉。
川崎の無差別殺傷事件を受け、落語家の立川志らくが情報番組で口にしたこの発言は、大きな波紋を呼んだ。
20人を殺傷し自刃した岩崎隆一容疑者(51)に放たれた“一人で死んで”は正論か、暴論か。
尽きることなき論争の陰で、「無差別大量殺傷事件」が炙り出した問題の本質とは――。
数多くの殺人犯への取材経験を持つノンフィクションライターの窪田順生氏は、「岩崎に対して過度に配慮すると、同じ境遇の人たちの被害者意識を増幅し、事件を誘発してしまう」と指摘する。
被害者意識こそが、犯行に及ぶ人間の背中を押すのだという。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』(msn news)
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/06160800/?all=1