5月27日(火)アルテミス・カルテット
~クァルテットの饗宴2014~
紀尾井ホール
【曲目】
1.ブラームス/弦楽四重奏曲第1番ハ短調 Op.51-1
2. クルターク/小オフィチウム-アンドレーエ・セリヴァーンスキーを追悼して Op.28
3. ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131
【アンコール】
メンデルスゾーン/弦楽四重奏曲第2番イ短調 Op.13 ~第2楽章
ドイツ出身のアルテミス・カルテットは、創立当時のメンバーは1人しか残っていないものの25年の活動歴を持ち、世界中で高い評価を受けているが、これまで僕は殆ど意識していなかった。今回は10月に来日予定のテツラフ・カルテットとセット券の販売だったため聴いてみることにしたが、これが素晴らしい体験となった。
まず目を引いたのは、このカルテットはチェロ以外の3人が立って演奏すること。チェロも高い台に椅子を乗せて弾くことで、4人は目の高さが揃う。体を大きく動かした能動的な演奏を想像したが、アクティブな演奏を聴かせつつも、単に血気盛んに迫ってくるのではなく、むしろそうしたアグレッシブな面はここぞという時のために内に秘め、カルテットにとって恐らく最も重要とも言えるアンサンブルの精度と深度で聴き手に強く迫ってきた。これは、単に呼吸や音程が揃っているとか、音がよく溶け合っているとかいう次元を遥かに越え、ひとつの大きな生命体を感じさせる一体感。
1曲目のブラームスが始まるや、木の温もりを感じる深く練られたハーモニーに魅了された。4人が同じ空気を吸って、そこにこのカルテットの色が加えられ、再び空間に放たれた吐息は、まさにブラームスのイメージにピッタリの渋い魅力を湛えているだけでなく、内面でメラメラと燃える生命力がみなぎっているのが感じられた。落ち着きと温もりに溢れている一方で、若々しい熱気と勢いもみなぎり、彫りの深い造形美を持ち、生き生きとしたブラームスに酔いしれた。
次の小オフェチウムの作者、クルタークはリゲティと同門で、メシアンやミヨーのクラスで学んだこともある現代の作曲家。無調を基本とした断片的な小品を集めたこの作品は、ウェーベルンやベルクの音楽も想起させる。アルテミス・カルテットは、現代の作品を演奏する時によくある気負いもなく、無機的とは対極的な情感豊かな詩情を漂わせた。短い曲の一つ一つが表情と色彩を持ち、手のひらにのせた羽毛にそっと息を吹いて、羽毛が柔らかく宙に舞うような軽やかで繊細な演奏。
後半はベートーヴェンの大作。冒頭のフーガの4つ目の音に出てくるアクセントの「重さ」がパートによって異なることには違和感を覚えたが、アルテミス・カルテットはこの曲でも気負うことなく、柔軟で生きのいい演奏を繰り広げた。集中力も十分で高いテンションを保ちつつ、様々な要素を持つこの複雑な音楽に統一感を与えていた。しかし、それほどの演奏をしてもなお、この曲は本性を現してくれないなぁ、と思ってしまったのは、自分の理解力の不足にあるのかも知れない。ただ、この作品は単に高いテンションで精巧なアンサンブルを実現しても、本質をあぶりだすことは出来ない難しさがあると思う。僕にとってこの音楽は未だに難解だが、この曲には底知れぬ魅力が仕舞われているように感じる。そんな魅力が姿を表すような、啓示とも言える稀有の演奏に巡り合うことをただ待っているだけでは、出会いの日は来ないかな… 聴く側にも努力が求められる作品と言えるかも知れない。
~クァルテットの饗宴2014~
紀尾井ホール
【曲目】
1.ブラームス/弦楽四重奏曲第1番ハ短調 Op.51-1
2. クルターク/小オフィチウム-アンドレーエ・セリヴァーンスキーを追悼して Op.28
3. ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131
【アンコール】
メンデルスゾーン/弦楽四重奏曲第2番イ短調 Op.13 ~第2楽章
ドイツ出身のアルテミス・カルテットは、創立当時のメンバーは1人しか残っていないものの25年の活動歴を持ち、世界中で高い評価を受けているが、これまで僕は殆ど意識していなかった。今回は10月に来日予定のテツラフ・カルテットとセット券の販売だったため聴いてみることにしたが、これが素晴らしい体験となった。
まず目を引いたのは、このカルテットはチェロ以外の3人が立って演奏すること。チェロも高い台に椅子を乗せて弾くことで、4人は目の高さが揃う。体を大きく動かした能動的な演奏を想像したが、アクティブな演奏を聴かせつつも、単に血気盛んに迫ってくるのではなく、むしろそうしたアグレッシブな面はここぞという時のために内に秘め、カルテットにとって恐らく最も重要とも言えるアンサンブルの精度と深度で聴き手に強く迫ってきた。これは、単に呼吸や音程が揃っているとか、音がよく溶け合っているとかいう次元を遥かに越え、ひとつの大きな生命体を感じさせる一体感。
1曲目のブラームスが始まるや、木の温もりを感じる深く練られたハーモニーに魅了された。4人が同じ空気を吸って、そこにこのカルテットの色が加えられ、再び空間に放たれた吐息は、まさにブラームスのイメージにピッタリの渋い魅力を湛えているだけでなく、内面でメラメラと燃える生命力がみなぎっているのが感じられた。落ち着きと温もりに溢れている一方で、若々しい熱気と勢いもみなぎり、彫りの深い造形美を持ち、生き生きとしたブラームスに酔いしれた。
次の小オフェチウムの作者、クルタークはリゲティと同門で、メシアンやミヨーのクラスで学んだこともある現代の作曲家。無調を基本とした断片的な小品を集めたこの作品は、ウェーベルンやベルクの音楽も想起させる。アルテミス・カルテットは、現代の作品を演奏する時によくある気負いもなく、無機的とは対極的な情感豊かな詩情を漂わせた。短い曲の一つ一つが表情と色彩を持ち、手のひらにのせた羽毛にそっと息を吹いて、羽毛が柔らかく宙に舞うような軽やかで繊細な演奏。
後半はベートーヴェンの大作。冒頭のフーガの4つ目の音に出てくるアクセントの「重さ」がパートによって異なることには違和感を覚えたが、アルテミス・カルテットはこの曲でも気負うことなく、柔軟で生きのいい演奏を繰り広げた。集中力も十分で高いテンションを保ちつつ、様々な要素を持つこの複雑な音楽に統一感を与えていた。しかし、それほどの演奏をしてもなお、この曲は本性を現してくれないなぁ、と思ってしまったのは、自分の理解力の不足にあるのかも知れない。ただ、この作品は単に高いテンションで精巧なアンサンブルを実現しても、本質をあぶりだすことは出来ない難しさがあると思う。僕にとってこの音楽は未だに難解だが、この曲には底知れぬ魅力が仕舞われているように感じる。そんな魅力が姿を表すような、啓示とも言える稀有の演奏に巡り合うことをただ待っているだけでは、出会いの日は来ないかな… 聴く側にも努力が求められる作品と言えるかも知れない。