5月29日(木)広上淳一 指揮 NHK交響楽団
《2014年5月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. シューベルト/交響曲第5番変ロ長調D.485
2.マーラー/交響曲第4番ト長調
S:ローザ・フェオラ
広上淳一がN響B定期に登場するのは4年振り。シューベルトとマーラーの、どちらも小ぶりのシンフォニーをどんな風に「料理」してくれるか期待・・・
まずはシューベルトだが、こちらはおおらか伸び伸びオーラが全開で、悦びいっぱいの演奏。鳴るべき音、聴こえるべきメロディーが、胸いっぱいのおいしい空気を吸って奏でられ、これに呼応する対旋律や、ハーモニーを担う内声や、ベースラインのパートも「ぼくらもいるよ」と言っているように存在感を自然に示し、オーケストラ全体が楽しげに笑い、歌っていた。第2楽章のような親密な音楽では、人情味溢れるおっかさんの温もりみたいなものが伝わってくる。音楽全体が「ウェルカム!」と迎えてくれる親しみを感じた。
しかし後半のマーラーの4番では、おおらか伸び伸びオーラの中で自由に泳いでいた観のある演奏から一転、ギュッと絞られて密度が凝縮し、音には輝きと艶が加わり、息もつかせぬテンションの高い演奏になった。様々な音楽が共存するのはマーラーの特徴だが、ここではそれらが調和ではなく、明らかにお互いに強烈なバトルを繰り広げていた。
僕はこれまでこのマーラーの4番はとてもチャーミングで愛らしく、胸キュンの場面にも事欠かない、マーラーの巨大な交響曲群のなかにひっそりと佇む一輪の花のような愛すべき作品だと思っていたが、今夜の演奏を聴いて、そんなイメージは実はイリュージョンだということに気づいた。広上/N響の奏でるこのシンフォニーには、どんなに愛らしいフレーズにもその奥に毒が仕込まれているよう。
これまでのイメージが、ディズニーの映画に登場する小人たちが繰り広げるファンタジー溢れる物語だとすれば、今日の演奏は小人は小人でも、「こびとづかん」に出てきそうな、とんでもない悪さをする「侏儒」の物語。「かわいい!」なんて思っていたら本当にヒドイ目に遭う。第3楽章だけはそれでもどっぷり甘い夢に浸れるかと思いきや、夢見心地で聴いているとそれが突然途切れて、夢の儚さを感じずにはいられないような演奏だった。
第4楽章でソプラノソロを歌ったローザ・フェオラは、そんな演奏に相応しく、磨きのかかった美声を駆使して聖と俗の間を巧みに行き来しつつ、密度の濃い歌を聴かせてくれた。そこには小悪魔的な魅力も光っていた。いつもは、ソプラノが静かに歌を閉じてオケの後奏が鳴り終わると、うっとり気分の溜息が出るのだが、今夜は最後まで油断できない気分だった。けれど、このリアルで何とも巧い演奏には溜息が出た。
《2014年5月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. シューベルト/交響曲第5番変ロ長調D.485
2.マーラー/交響曲第4番ト長調
S:ローザ・フェオラ
広上淳一がN響B定期に登場するのは4年振り。シューベルトとマーラーの、どちらも小ぶりのシンフォニーをどんな風に「料理」してくれるか期待・・・
まずはシューベルトだが、こちらはおおらか伸び伸びオーラが全開で、悦びいっぱいの演奏。鳴るべき音、聴こえるべきメロディーが、胸いっぱいのおいしい空気を吸って奏でられ、これに呼応する対旋律や、ハーモニーを担う内声や、ベースラインのパートも「ぼくらもいるよ」と言っているように存在感を自然に示し、オーケストラ全体が楽しげに笑い、歌っていた。第2楽章のような親密な音楽では、人情味溢れるおっかさんの温もりみたいなものが伝わってくる。音楽全体が「ウェルカム!」と迎えてくれる親しみを感じた。
しかし後半のマーラーの4番では、おおらか伸び伸びオーラの中で自由に泳いでいた観のある演奏から一転、ギュッと絞られて密度が凝縮し、音には輝きと艶が加わり、息もつかせぬテンションの高い演奏になった。様々な音楽が共存するのはマーラーの特徴だが、ここではそれらが調和ではなく、明らかにお互いに強烈なバトルを繰り広げていた。
僕はこれまでこのマーラーの4番はとてもチャーミングで愛らしく、胸キュンの場面にも事欠かない、マーラーの巨大な交響曲群のなかにひっそりと佇む一輪の花のような愛すべき作品だと思っていたが、今夜の演奏を聴いて、そんなイメージは実はイリュージョンだということに気づいた。広上/N響の奏でるこのシンフォニーには、どんなに愛らしいフレーズにもその奥に毒が仕込まれているよう。
これまでのイメージが、ディズニーの映画に登場する小人たちが繰り広げるファンタジー溢れる物語だとすれば、今日の演奏は小人は小人でも、「こびとづかん」に出てきそうな、とんでもない悪さをする「侏儒」の物語。「かわいい!」なんて思っていたら本当にヒドイ目に遭う。第3楽章だけはそれでもどっぷり甘い夢に浸れるかと思いきや、夢見心地で聴いているとそれが突然途切れて、夢の儚さを感じずにはいられないような演奏だった。
第4楽章でソプラノソロを歌ったローザ・フェオラは、そんな演奏に相応しく、磨きのかかった美声を駆使して聖と俗の間を巧みに行き来しつつ、密度の濃い歌を聴かせてくれた。そこには小悪魔的な魅力も光っていた。いつもは、ソプラノが静かに歌を閉じてオケの後奏が鳴り終わると、うっとり気分の溜息が出るのだが、今夜は最後まで油断できない気分だった。けれど、このリアルで何とも巧い演奏には溜息が出た。