10月3日(火)エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団/スーパー・コーラス・トーキョー
~スーパー・コーラス・トーキョー特別公演~
東京文化会館
【曲目】
1.ワーグナー/ジークフリート牧歌
2.マーラー/カンタータ「嘆きの歌」
S:浜田理恵/MS:小山由美/T:福井敬/Bar:堀内康雄
「嘆きの歌」という曲のタイトルはよく見かけるが、この曲を今まで聴いたことがあるのかどうか定かでなかった。でもマーラーの声楽付きの大規模な作品を、マーラーで定評のあるインバル指揮都響で聴けるのはいい機会だと思ってチケットを購入した。今ではすっかりご無沙汰してしまっているが、都響の会員だった学生時代に聴いたインバルと都響のマーラーは強く印象に残っているし、こうして一人の指揮者と長く良い関係を続けること自体が大したことだ。長い年月で築き上げ、熟成されたに違いないこのコンビでの演奏は楽しみだった。
さて、聴いたことがあるのかどうかわからなかった「嘆きの歌」を実際聴いてみたところ、多分この曲を聴くのは全く初めてという感触だったので、曲自体の感想を少し・・・ この曲はマーラーが20歳の頃に書いた最初期の作品ということだが、節回しといい、楽器の使い方といい、息遣いまで、後年の数々のマーラーの名曲と比べても遜色のない充実した音楽だと感じた。ただ、「歌」の深さとか「歌」へのこだわりが、まだ突き詰められていなくて、あっさりとしているところが大きな違いだろうか。
この演奏会は「スーパー・コーラス・トーキョー特別公演」ということで、合唱団がメインだったようだ。確かにいい響きを作っていたし、各パートの精度もレベルの高さを感じたが、前宣伝で期待したほどのすごい合唱かどうかはよくわからなかった。このオラトリオでは、合唱の存在感が前面に出ることがあまりなかったのも、合唱の印象が薄い原因かも知れない。
この曲の主役はあくまでオーケストラではないだろうか。都響の演奏は最近も聴く機会は多いほうだが、インバルが指揮台に立ったことで特別音が変わったという印象はなかった。けれど、しなやかで伸びのある弦と安定した管が、濃密で木目の細かいアンサンブルを奏で、「嘆きの歌」の物語を雄弁に伝えていた。第3部で入る舞台裏で演奏するバンダも安定していて、メンバーの層の厚さを感じた。
合唱と4人のソロは役割としても概して叙事的な表現に徹し、長く歌い続けることも少ない。マーラーの後年の作品に見られる歌への執着心がまだここでは少ない。もう少し歌でエモーショナルなものを伝えてくれるとおもしろいだろうなと思う。ソリストがオケの後ろに配置されていたが、これはどうなんだろう。この配置が、歌の印象を更に薄めた原因ではないかとさえ思った。ステージの奥では客席から遠いし、オケの後ろでは生の肉声は大編成のオケの音に太刀打ちできない。せっかくいい歌手を揃えたのに、その本領があまりよく聴こえてこず、詳しいコメントのしようがない。それでもソプラノの浜田さん、テノールの福井さんの歌は濃厚な表情がよく伝わってきたが。
ちなみに今夜の席は3階Rの1列目。ここは値段もお手ごろで音もいいので、東京文化会館ではこの辺りに座ることが多いが、ソリストがあそこに立ってしまうとやっぱり遠い。それともう一つ気になったのは、あまり長いフレーズが与えられないソロや合唱が、歌うたびに立ったり座ったりを繰り返すのは視覚的にも落ち着かなかった。
~スーパー・コーラス・トーキョー特別公演~
東京文化会館
【曲目】
1.ワーグナー/ジークフリート牧歌
2.マーラー/カンタータ「嘆きの歌」
S:浜田理恵/MS:小山由美/T:福井敬/Bar:堀内康雄
「嘆きの歌」という曲のタイトルはよく見かけるが、この曲を今まで聴いたことがあるのかどうか定かでなかった。でもマーラーの声楽付きの大規模な作品を、マーラーで定評のあるインバル指揮都響で聴けるのはいい機会だと思ってチケットを購入した。今ではすっかりご無沙汰してしまっているが、都響の会員だった学生時代に聴いたインバルと都響のマーラーは強く印象に残っているし、こうして一人の指揮者と長く良い関係を続けること自体が大したことだ。長い年月で築き上げ、熟成されたに違いないこのコンビでの演奏は楽しみだった。
さて、聴いたことがあるのかどうかわからなかった「嘆きの歌」を実際聴いてみたところ、多分この曲を聴くのは全く初めてという感触だったので、曲自体の感想を少し・・・ この曲はマーラーが20歳の頃に書いた最初期の作品ということだが、節回しといい、楽器の使い方といい、息遣いまで、後年の数々のマーラーの名曲と比べても遜色のない充実した音楽だと感じた。ただ、「歌」の深さとか「歌」へのこだわりが、まだ突き詰められていなくて、あっさりとしているところが大きな違いだろうか。
この演奏会は「スーパー・コーラス・トーキョー特別公演」ということで、合唱団がメインだったようだ。確かにいい響きを作っていたし、各パートの精度もレベルの高さを感じたが、前宣伝で期待したほどのすごい合唱かどうかはよくわからなかった。このオラトリオでは、合唱の存在感が前面に出ることがあまりなかったのも、合唱の印象が薄い原因かも知れない。
この曲の主役はあくまでオーケストラではないだろうか。都響の演奏は最近も聴く機会は多いほうだが、インバルが指揮台に立ったことで特別音が変わったという印象はなかった。けれど、しなやかで伸びのある弦と安定した管が、濃密で木目の細かいアンサンブルを奏で、「嘆きの歌」の物語を雄弁に伝えていた。第3部で入る舞台裏で演奏するバンダも安定していて、メンバーの層の厚さを感じた。
合唱と4人のソロは役割としても概して叙事的な表現に徹し、長く歌い続けることも少ない。マーラーの後年の作品に見られる歌への執着心がまだここでは少ない。もう少し歌でエモーショナルなものを伝えてくれるとおもしろいだろうなと思う。ソリストがオケの後ろに配置されていたが、これはどうなんだろう。この配置が、歌の印象を更に薄めた原因ではないかとさえ思った。ステージの奥では客席から遠いし、オケの後ろでは生の肉声は大編成のオケの音に太刀打ちできない。せっかくいい歌手を揃えたのに、その本領があまりよく聴こえてこず、詳しいコメントのしようがない。それでもソプラノの浜田さん、テノールの福井さんの歌は濃厚な表情がよく伝わってきたが。
ちなみに今夜の席は3階Rの1列目。ここは値段もお手ごろで音もいいので、東京文化会館ではこの辺りに座ることが多いが、ソリストがあそこに立ってしまうとやっぱり遠い。それともう一つ気になったのは、あまり長いフレーズが与えられないソロや合唱が、歌うたびに立ったり座ったりを繰り返すのは視覚的にも落ち着かなかった。