10月5日(金)新国立劇場オペラ公演
新国立劇場
【演目】
ブリテン/「ピーター・グライムズ」
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【配役】
ピータ・グライムズ:スチュアート・スケルトン/エレン・オーフォード:スーザン・グリットン/バルストロード船長:ジョナサン・サマーズ/アーンティ:キャサリン・ウィン=ロジャース/姪1:鵜木絵里/姪2:平井香織/ボブ・ボウルズ:糸賀修平/スワロー:久保和範/セドリー夫人:加納悦子/ホレース・アダムス:望月哲也/ネッド・キーン:吉川健一/ホブソン:大澤 建
【演出】
ウィリー・デッカー
【美術・衣装】ジョン・マクファーレン
【演奏】
リチャード・アームストロング指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団
20世紀を代表するイギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」はオペラ史上に輝く名作だと、今夜初めてこのオペラを実際に鑑賞して心底感じた。今夜の公演は、優れた上演が余すところなく素晴らしい作品の真価をあぶり出した。
まずは音楽。前衛音楽が真っ盛りだった時代、ブリテンは保守的な作風を通したという見方もあるが、このオペラを聴けば、ブリテンがいかに新たな時代を切り開く作曲家であったかがわかる。歌はとても声楽的で、オケの音には心地良ささえ感じるが、これは過去の音楽の二番煎じのようなものではなく、どこを切っても新鮮でオリジナリティに溢れている。音楽は、主人公ピーター・グライムスの屈折した、ときに愛を渇望する心や、エレンの慈愛深さや焦燥・苛立ち、民衆のゾッとするほど身勝手な感情の吐露などをリアルに、深く雄弁に描写する。そして場面転換で挿入される間奏曲の情景描写の見事さ。絶叫のような咆哮からヴェールで包み込むデリケートな表現まで、実に多彩な手法を駆使しつつ、底辺には一貫した水脈が流れ、音楽としてのブレがない。
そして、この音楽の素晴らしさを音として具現した合唱も含めた歌い手達とオーケストラ。アームストロング指揮の東フィルは、デリケートさとダイナミズムを兼ね備え、色彩感豊かで切り口も鮮やかに、リアリティ溢れる生きた音楽を奏でた。後半では更に深度の深い透明感が欲しいと感じるところがあったが、不満に感じるところはない。
新国立劇場の合唱に感嘆したのは今回に限ったことではないが、改めてそのスゴさを思い知った。圧倒的なパワーと輝きで、群衆心理に踊らされた凄まじい集団の情念が体当たりでぶつかってきた。歌だけではなく、集団として統制の取れた動きも素晴らしく、無情な物語に引きずり込まれて行った。
ソリストの役で核となるのはピーター・グライムズとエレンだが、これを担ったスケルトンとグリットンの歌唱も言うことなし。スタミナ的にも大変と思われるピーター役だが、スケルトンの存在感は全幕を通して威光を放った。異端児の孤独さや感情をコントロールできない怖さ、愛を渇望する執念など、赤裸々な感情表現のテンションがひとときも途切れることなく訴えかけてきた。エレンを歌ったグリットンは、スケルトンの存在感にいささかも押されることなく、懐の深さと強い信念に貫かれた人物像を鮮やかに表現した。
バルストロード役のサマーズ、アーンティ役のウィン=ロジャースはどちらも人間味豊かな味わいを出していて良かった。日本人キャストは出番は多くなかったが、姪の役の鵜木絵里と平井香織の艶やかな色気を感じる歌をはじめ、 みんな役を十二分に果たしていた。
現代にも通じるテーマを扱った20世紀のオペラには、今回のような現代的な演出が適している。装飾的なものを廃した舞台装置、黒白赤だけというモノトーンの色づかいは珍しいものではないが、演出のデッカーはシンプルさがもつ圧倒的なパワーを最大限に引き出した。印象的だったのが光と群衆の扱い。光や影で人物を浮かび上がらせる手法に加え、光と影でステージを巧みに切り分け、それが心理的にも様々な効果を生んだ。
群衆の動きでは、群衆心理が伝染病のように増殖し、全体が意思を呈し、手のつけられないほどのバワーを獲得していく様子には身の毛もよだつような怖さを感じた。ビーター・グライムズは非情な異端児として描かれていただけでなく、子供に憐れみの片鱗を覗かせる場面も用意されていた。そして、この演出で一番考えさせられたのはキリスト教の扱い。十字架を錦の御旗のように振りかざして民衆を煽ったり、聖書?を隠れ蓑代わりにして無関心を装う様子から、 人々の心の拠りどころとなり、愛情や慈悲の源となるはずの宗教が、人々の都合のいいように利用されていて、人の無情や身勝手さを助長した。
この世にはびこる人間の醜さや弱さが情け容赦なく押し寄せ、心に重くのしかかってくるスゴい上演を体験し、身も心もすっかり打ちひしがれてもおかしくないのだが、終演後はただネガティブな感情に支配されるというのではなく、得も言われぬ感動でトリハダがおさまらなかった。それは、これほどシビアなテーマで人の心を根こそぎに揺さぶる作品とその上演を体験したことの感動。世界のどこのオペラハウスに持っていっても高く評価される公演だと確信した。
新国立劇場
【演目】
ブリテン/「ピーター・グライムズ」
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【配役】
ピータ・グライムズ:スチュアート・スケルトン/エレン・オーフォード:スーザン・グリットン/バルストロード船長:ジョナサン・サマーズ/アーンティ:キャサリン・ウィン=ロジャース/姪1:鵜木絵里/姪2:平井香織/ボブ・ボウルズ:糸賀修平/スワロー:久保和範/セドリー夫人:加納悦子/ホレース・アダムス:望月哲也/ネッド・キーン:吉川健一/ホブソン:大澤 建
【演出】
ウィリー・デッカー
【美術・衣装】ジョン・マクファーレン
【演奏】
リチャード・アームストロング指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団
20世紀を代表するイギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」はオペラ史上に輝く名作だと、今夜初めてこのオペラを実際に鑑賞して心底感じた。今夜の公演は、優れた上演が余すところなく素晴らしい作品の真価をあぶり出した。
まずは音楽。前衛音楽が真っ盛りだった時代、ブリテンは保守的な作風を通したという見方もあるが、このオペラを聴けば、ブリテンがいかに新たな時代を切り開く作曲家であったかがわかる。歌はとても声楽的で、オケの音には心地良ささえ感じるが、これは過去の音楽の二番煎じのようなものではなく、どこを切っても新鮮でオリジナリティに溢れている。音楽は、主人公ピーター・グライムスの屈折した、ときに愛を渇望する心や、エレンの慈愛深さや焦燥・苛立ち、民衆のゾッとするほど身勝手な感情の吐露などをリアルに、深く雄弁に描写する。そして場面転換で挿入される間奏曲の情景描写の見事さ。絶叫のような咆哮からヴェールで包み込むデリケートな表現まで、実に多彩な手法を駆使しつつ、底辺には一貫した水脈が流れ、音楽としてのブレがない。
そして、この音楽の素晴らしさを音として具現した合唱も含めた歌い手達とオーケストラ。アームストロング指揮の東フィルは、デリケートさとダイナミズムを兼ね備え、色彩感豊かで切り口も鮮やかに、リアリティ溢れる生きた音楽を奏でた。後半では更に深度の深い透明感が欲しいと感じるところがあったが、不満に感じるところはない。
新国立劇場の合唱に感嘆したのは今回に限ったことではないが、改めてそのスゴさを思い知った。圧倒的なパワーと輝きで、群衆心理に踊らされた凄まじい集団の情念が体当たりでぶつかってきた。歌だけではなく、集団として統制の取れた動きも素晴らしく、無情な物語に引きずり込まれて行った。
ソリストの役で核となるのはピーター・グライムズとエレンだが、これを担ったスケルトンとグリットンの歌唱も言うことなし。スタミナ的にも大変と思われるピーター役だが、スケルトンの存在感は全幕を通して威光を放った。異端児の孤独さや感情をコントロールできない怖さ、愛を渇望する執念など、赤裸々な感情表現のテンションがひとときも途切れることなく訴えかけてきた。エレンを歌ったグリットンは、スケルトンの存在感にいささかも押されることなく、懐の深さと強い信念に貫かれた人物像を鮮やかに表現した。
バルストロード役のサマーズ、アーンティ役のウィン=ロジャースはどちらも人間味豊かな味わいを出していて良かった。日本人キャストは出番は多くなかったが、姪の役の鵜木絵里と平井香織の艶やかな色気を感じる歌をはじめ、 みんな役を十二分に果たしていた。
現代にも通じるテーマを扱った20世紀のオペラには、今回のような現代的な演出が適している。装飾的なものを廃した舞台装置、黒白赤だけというモノトーンの色づかいは珍しいものではないが、演出のデッカーはシンプルさがもつ圧倒的なパワーを最大限に引き出した。印象的だったのが光と群衆の扱い。光や影で人物を浮かび上がらせる手法に加え、光と影でステージを巧みに切り分け、それが心理的にも様々な効果を生んだ。
群衆の動きでは、群衆心理が伝染病のように増殖し、全体が意思を呈し、手のつけられないほどのバワーを獲得していく様子には身の毛もよだつような怖さを感じた。ビーター・グライムズは非情な異端児として描かれていただけでなく、子供に憐れみの片鱗を覗かせる場面も用意されていた。そして、この演出で一番考えさせられたのはキリスト教の扱い。十字架を錦の御旗のように振りかざして民衆を煽ったり、聖書?を隠れ蓑代わりにして無関心を装う様子から、 人々の心の拠りどころとなり、愛情や慈悲の源となるはずの宗教が、人々の都合のいいように利用されていて、人の無情や身勝手さを助長した。
この世にはびこる人間の醜さや弱さが情け容赦なく押し寄せ、心に重くのしかかってくるスゴい上演を体験し、身も心もすっかり打ちひしがれてもおかしくないのだが、終演後はただネガティブな感情に支配されるというのではなく、得も言われぬ感動でトリハダがおさまらなかった。それは、これほどシビアなテーマで人の心を根こそぎに揺さぶる作品とその上演を体験したことの感動。世界のどこのオペラハウスに持っていっても高く評価される公演だと確信した。
同じ日の観劇でしたね。
めったにありつけないブリテンのオペラ上演。
尾高さんの情熱のたまものであったと思います。
キリスト者としてのブリテンは、平和主義をつらぬき、アウトサイダーをモデルにしたオペラもたくさん残しましたね。
そして、今回の演出における群衆の扱いは、pocknさんのご指摘のとおり、わたしも大いに感銘をうけ、かつ恐ろしくなりました。
閉幕後、呆然としながら、どうやって帰ったかあんまり覚えてませんが、気がつくと酒を飲んでました(笑)。
ぜひまた!
ブリテンのオペラを観るのは実は初めてだったのですが。
音楽も内容も素晴らしくて、まだまだ知らない世界があり過ぎることが嬉しくもありました。
ちょっと気になっているのは、エレンが最後の場面の礼拝で、
いっしょに祈りの言葉を唱えていたかどうかというところが、
4階からはよくわからなかったこと。
あそこでエレンが他の村人達と一緒に祈りを捧げていたら
ちょっと救いがなさ過ぎる気もしますが、
人は生きるためには己を滅する必要もある、ということでしょうか。
とても考えさせられる場面も多い上演でした。
久々に是非また一杯やりましょう!
ピットのオーケストラがTSOだったらとは思いましたが、スケルトン、グリットン、ウィン=ロジャースなどの声楽面の充実以上に、誰もが指摘していた新国立劇場合唱団の凄さが、効いていました。
デッカーの演出の力で大きかったのでしょうか?
ともかく、「軍人たち」の演出にも感じた、奈落の底に転がすような急峻な傾斜を使う舞台はデッカーの独壇場でした。
舞台が傾いているのは4階から見るとすごく威圧感がありました。あれは演技に一層の深刻さを加えていたように思います。
でも、そんなバランスの悪い場所でも役者達の動きが滑らかできびきびしていて、
これは高いところから見ているせいで傾いて見えるのだろうか・・・? と本気で思ってしまいました。