9月17日(木)ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 NHK交響楽団
《2015年9月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. ベートーヴェン/交響曲第1番ハ長調 Op.21
2.ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調 Op.55 「英雄」
N響新シーズンは今年もブロムシュテットで幕を開けた。ベートーヴェンのシンフォニー2つというすっきりとしたプログラムを見ただけで、清々しくエネルギッシュな快演は間違いないだろうし、「エロイカ」では世紀の名演に出会えるかも!という期待を胸に、昨日ウィーンから帰国したばかりで眠いのは確実だが、「寝てはなるものか」と気合いを込めて臨んだ。
第1シンフォニーは、管とピッチカートで始まる最初の音が、なんとも瑞々しくふくよかでいきなり嬉しくなった。3度目の反復進行の、スーッと波が引くような自然な収まり方、すでに6つの音を聴いただけで魅了されてしまった。そして繰り広げられて行ったシンフォニーの音絵巻は、期待通りの快演。
ブロムシュテットはまたひとつ年齢を重ねたわけだが、キビキビとした拍節感や軽快さ、 スピード感、そしてエネルギーの充溢ぶり、どれを取っても衰えや翳りは全く感じさせない。そして、そうした若々しさだけでなく、最初の1音からはっきり示されていたが、どんな短いパーツでも優美に歌い、生き生きと語りかけ、内声パートのほんのちょっとした「合いの手」ひとつにしても心憎く聴かせ、これだけ細部にまで神経を行き届かせながら、全体としてはすっきりとスピーディーにまとめあげる。これこそブロムシュテットの真骨頂だろう。
目まぐるしく変化する速いパッセージでも決して鈍くも重くもならず、瞬時に反応して軽々と演奏してのけるN響の力量にも改めて舌を巻いた。音楽のアピールポイントが惜しげなく開花した秀逸の演奏に、後半のエロイカへの期待が膨らんだ。
その「エロイカ」は、第1シンフォニーと同様にメリハリのはっきり効いた、エネルギッシュに邁進する演奏で、ワクワク感を高めてくれた。音楽の規模も構造もずっと大きいが、ブロムシュテットは音の流れを淀ませることなく、音たちは向かうべき方向に迷うことなく向かい、時にそれらは一筋の強い流れとなって水しぶきを上げる。細部も全体も申し分ない演奏が続く。
ただこれが、演奏を聴き進むにつれて感動が蓄積され、それが大きく膨らんでいき、最後はトリハダと心臓バクバクの状態になるという、自分のなかでの盛り上がり回路となぜか連動しない。第1シンフォニーならこれで良くても、「エロイカ」では、音楽に内在する「巨大な魔物」との闘いがあまりに整然と片付けられてしまってはいないだろうか。僕が期待するこうした大袈裟な格闘は、もはや古臭い演奏なのだろうか。同様のことを3月に聴いたサロネン/フィルハーモニア管の演奏では今夜に増して感じた。だからといって、ティーレマンの泰西名画のような演奏は好きではないのだが…
また、最近は多くの指揮者が採用するベーレンライター新版?による、これまで聴き慣れてきたものと違うことへの違和感が、感動への回路を断っているのだろうか。はっきりとそれに気づくのは1箇所だけだが(第1楽章終盤の一番盛り上がるところで、トランペットが主旋律を吹くのをやめてしまう)、他の違いも、気づかないうちにマイナスに働いてしまっている可能性はある。
とは言え、もしそういうことで感動できないとしたら、ブロムシュテットがこの年齢にしてそれまでの慣例に囚われない新たな挑戦を続けていることを思えば、自分も少し勉強して顔を洗って出直す必要があるのかも知れない。
《2015年9月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. ベートーヴェン/交響曲第1番ハ長調 Op.21
2.ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調 Op.55 「英雄」
N響新シーズンは今年もブロムシュテットで幕を開けた。ベートーヴェンのシンフォニー2つというすっきりとしたプログラムを見ただけで、清々しくエネルギッシュな快演は間違いないだろうし、「エロイカ」では世紀の名演に出会えるかも!という期待を胸に、昨日ウィーンから帰国したばかりで眠いのは確実だが、「寝てはなるものか」と気合いを込めて臨んだ。
第1シンフォニーは、管とピッチカートで始まる最初の音が、なんとも瑞々しくふくよかでいきなり嬉しくなった。3度目の反復進行の、スーッと波が引くような自然な収まり方、すでに6つの音を聴いただけで魅了されてしまった。そして繰り広げられて行ったシンフォニーの音絵巻は、期待通りの快演。
ブロムシュテットはまたひとつ年齢を重ねたわけだが、キビキビとした拍節感や軽快さ、 スピード感、そしてエネルギーの充溢ぶり、どれを取っても衰えや翳りは全く感じさせない。そして、そうした若々しさだけでなく、最初の1音からはっきり示されていたが、どんな短いパーツでも優美に歌い、生き生きと語りかけ、内声パートのほんのちょっとした「合いの手」ひとつにしても心憎く聴かせ、これだけ細部にまで神経を行き届かせながら、全体としてはすっきりとスピーディーにまとめあげる。これこそブロムシュテットの真骨頂だろう。
目まぐるしく変化する速いパッセージでも決して鈍くも重くもならず、瞬時に反応して軽々と演奏してのけるN響の力量にも改めて舌を巻いた。音楽のアピールポイントが惜しげなく開花した秀逸の演奏に、後半のエロイカへの期待が膨らんだ。
その「エロイカ」は、第1シンフォニーと同様にメリハリのはっきり効いた、エネルギッシュに邁進する演奏で、ワクワク感を高めてくれた。音楽の規模も構造もずっと大きいが、ブロムシュテットは音の流れを淀ませることなく、音たちは向かうべき方向に迷うことなく向かい、時にそれらは一筋の強い流れとなって水しぶきを上げる。細部も全体も申し分ない演奏が続く。
ただこれが、演奏を聴き進むにつれて感動が蓄積され、それが大きく膨らんでいき、最後はトリハダと心臓バクバクの状態になるという、自分のなかでの盛り上がり回路となぜか連動しない。第1シンフォニーならこれで良くても、「エロイカ」では、音楽に内在する「巨大な魔物」との闘いがあまりに整然と片付けられてしまってはいないだろうか。僕が期待するこうした大袈裟な格闘は、もはや古臭い演奏なのだろうか。同様のことを3月に聴いたサロネン/フィルハーモニア管の演奏では今夜に増して感じた。だからといって、ティーレマンの泰西名画のような演奏は好きではないのだが…
また、最近は多くの指揮者が採用するベーレンライター新版?による、これまで聴き慣れてきたものと違うことへの違和感が、感動への回路を断っているのだろうか。はっきりとそれに気づくのは1箇所だけだが(第1楽章終盤の一番盛り上がるところで、トランペットが主旋律を吹くのをやめてしまう)、他の違いも、気づかないうちにマイナスに働いてしまっている可能性はある。
とは言え、もしそういうことで感動できないとしたら、ブロムシュテットがこの年齢にしてそれまでの慣例に囚われない新たな挑戦を続けていることを思えば、自分も少し勉強して顔を洗って出直す必要があるのかも知れない。