2010年4月2日(金)東京春祭ワーグナー・シリーズvol.1
東京文化会館
【演目】
ワーグナー/舞台神聖祝典劇「パルジファル」(演奏会形式)
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【出演】
パルジファル:ブルクハルト・フリッツ/クンドリ:ミヒャエラ・シュスター/アムフォルタス:フランツ・グルントヘーバー/グルネマンツ:ペーター・ローズ/クリングゾル:シム・インスン/ティトゥレル:小鉄和広/聖杯騎士:渡邉澄晃、山下浩司/侍童:岩田真奈、小林由佳、片寄純也、加藤太朗/魔法の乙女たち:藤田美奈子、坂井田真実子、田村由貴絵、中島寿美枝、渡邊 史、吉田 静/アルトの声:富岡明子
【演奏】
ウルフ・シルマー指揮 NHK交響楽団/東京オペラシンガーズ/東京少年少女合唱隊
ワーグナーの最後の舞台作品となった「パルジファル」は正味4時間を超える超大作。キリスト教の聖杯伝説がテーマというとっつきにくさもあり、これまで前奏曲や合唱の一部を聴いたことはあるが、ちゃんと向き合うのは実演、録画に限らずこれが初めて。N響がオケを務めるということで、あの新国の「ジークフリート」や「神々の黄昏」の忘れがたい名演の記憶が決め手となって今回「パルジファル」の初体験となった。
弦に木管が加わった柔らかなAs-Durの長い響きが会場を包み込むように拡がっていくのを聴いて、その雄弁で懐の深い世界に最初から引き込まれた。ドイツ勢を軸に日本と韓国の歌手が加わったソリスト達も実力者揃い、また東京オペラシンガーズの艶と輝きのある強力な合唱も絶品で、3拍子揃った素晴らしい演奏。
けれど、第1幕が終わった時点ですでに1時間45分という、演奏会1回分の時間が経過、プログラムにあらすじとして載っていたたったの11行のことを、言葉を繰り返し、長大なオケの間奏が随所に入り、行きつ戻りつたゆたうように進む様に、ワーグナーはこれほどの長い時間をかけて一体何を伝えたいのだろうか… この調子であと2時間以上続くのか、と少々戸惑いも覚えた。
パルジファルへの聖杯の儀式の場面がどこだったのかもわからなかったが、舞台上演であればそのあたりは解消されたのかも知れない。そんな戸惑いはしかし第2幕で消え失せた。花園でパルジファルを誘惑する色気たっぷりの女声合唱、それに輪をかけて妖艶でなまめかしいクンドリの歌、クンドリの誘惑を突っぱねるパルジファルの強い意志に貫かれた毅然とした歌唱。そしてクンドリの激しい悔恨と苦悩と抑え難い肉欲のモノローグ…
場面を追うごとに音楽が熱を帯び、焦燥感を増し、気持ちを激しく揺さぶってきて、第2幕ではすっかりワーグナーの「麻薬」にハマってしまった。このオペラの恐らく核を成すパルジファルとクンドリの激しい応酬を歌ったフリッツとシュスターの力強い声と幅広くドラマチックな表現力は圧倒的だった。フリッツの輝かしい声はローエングリンのような気高さを備えその役柄に相応しく、シュスターの歌唱は凄みのある迫真の極みで、これぞ正真正銘の「狂乱の場」と呼びたくなるようなシーンを見せつけた。
シルマー指揮のN響の充実ぶりもハンパじゃあない。誘惑する場面での繊細な指先で愛撫するような官能的で柔らかな表現の見事さ、激しく感情がたぎる場面での地の底から湧きあがるようなエネルギー、どんな場面でも実に雄弁に伝える表現力にはある種の余裕すら感じさせる。新国の「ジークフリート」での名演に勝るとも劣らぬ演奏で、久々に文句なしのN響の底力を見せつけてくれた。
そして第3幕、グルネマンツ役のローズの人間味溢れる包容力ある歌や、アムフォルタスを歌ったグルントヘーバーの絶望の淵に立たされた「叫び」の迫真性、アムフォルタスに「聖杯を取り出せ」と迫る男声合唱の濃厚で鬼気迫る扇動的な圧力、そして、天上から降り注ぐ女声合唱の響きの中で迎える最後のシーンの神々しさ。演奏会形式ということで、歌手たちは振り付けめいたことも殆ど行わないにもかかわらず、この「舞台神聖祝典劇」の劇中にすっかり引きずりこまれてしまった。
残念だったのは、音楽が静寂へと帰して幕となったその直後に、余韻を味わう間もなく汚い「ブラボー」の叫びと共に拍手が始まってしまったこと。シルマーはしばらくじっと拍手が一旦収まるのを待っていたようだったがあきらめてしまった。最後の大切な瞬間があのブラボーで台無しにされた。
開演から5時間以上が経っていた。第1幕が終わったときは「長さ」に戸惑いを覚えたが、2幕、3幕と聴いてきたら、もうそんな「長さ」はすっかり忘れてしまい、いつまでも演奏が続いて欲しい、とさえ感じるようになっていた。
音楽が徐々に徐々に熱を帯び、抑え難い激情へと膨れ上がって行くこうしたリアルな感情の盛り上がりは、時間をかけて初めて実現され得るものだということを思い知った。そういえば「トリスタンとイゾルデ」の最終場のあのイゾルデのモノローグにもこんな抑え難い感情の長い吐露があったっけ。ワーグナーの作品が無駄に長いわけではない、という恐らくワグネリアンにとっては当たり前のことを再認識する公演でもあった。
東京文化会館
【演目】
ワーグナー/舞台神聖祝典劇「パルジファル」(演奏会形式)
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【出演】
パルジファル:ブルクハルト・フリッツ/クンドリ:ミヒャエラ・シュスター/アムフォルタス:フランツ・グルントヘーバー/グルネマンツ:ペーター・ローズ/クリングゾル:シム・インスン/ティトゥレル:小鉄和広/聖杯騎士:渡邉澄晃、山下浩司/侍童:岩田真奈、小林由佳、片寄純也、加藤太朗/魔法の乙女たち:藤田美奈子、坂井田真実子、田村由貴絵、中島寿美枝、渡邊 史、吉田 静/アルトの声:富岡明子
【演奏】
ウルフ・シルマー指揮 NHK交響楽団/東京オペラシンガーズ/東京少年少女合唱隊
ワーグナーの最後の舞台作品となった「パルジファル」は正味4時間を超える超大作。キリスト教の聖杯伝説がテーマというとっつきにくさもあり、これまで前奏曲や合唱の一部を聴いたことはあるが、ちゃんと向き合うのは実演、録画に限らずこれが初めて。N響がオケを務めるということで、あの新国の「ジークフリート」や「神々の黄昏」の忘れがたい名演の記憶が決め手となって今回「パルジファル」の初体験となった。
弦に木管が加わった柔らかなAs-Durの長い響きが会場を包み込むように拡がっていくのを聴いて、その雄弁で懐の深い世界に最初から引き込まれた。ドイツ勢を軸に日本と韓国の歌手が加わったソリスト達も実力者揃い、また東京オペラシンガーズの艶と輝きのある強力な合唱も絶品で、3拍子揃った素晴らしい演奏。
けれど、第1幕が終わった時点ですでに1時間45分という、演奏会1回分の時間が経過、プログラムにあらすじとして載っていたたったの11行のことを、言葉を繰り返し、長大なオケの間奏が随所に入り、行きつ戻りつたゆたうように進む様に、ワーグナーはこれほどの長い時間をかけて一体何を伝えたいのだろうか… この調子であと2時間以上続くのか、と少々戸惑いも覚えた。
パルジファルへの聖杯の儀式の場面がどこだったのかもわからなかったが、舞台上演であればそのあたりは解消されたのかも知れない。そんな戸惑いはしかし第2幕で消え失せた。花園でパルジファルを誘惑する色気たっぷりの女声合唱、それに輪をかけて妖艶でなまめかしいクンドリの歌、クンドリの誘惑を突っぱねるパルジファルの強い意志に貫かれた毅然とした歌唱。そしてクンドリの激しい悔恨と苦悩と抑え難い肉欲のモノローグ…
場面を追うごとに音楽が熱を帯び、焦燥感を増し、気持ちを激しく揺さぶってきて、第2幕ではすっかりワーグナーの「麻薬」にハマってしまった。このオペラの恐らく核を成すパルジファルとクンドリの激しい応酬を歌ったフリッツとシュスターの力強い声と幅広くドラマチックな表現力は圧倒的だった。フリッツの輝かしい声はローエングリンのような気高さを備えその役柄に相応しく、シュスターの歌唱は凄みのある迫真の極みで、これぞ正真正銘の「狂乱の場」と呼びたくなるようなシーンを見せつけた。
シルマー指揮のN響の充実ぶりもハンパじゃあない。誘惑する場面での繊細な指先で愛撫するような官能的で柔らかな表現の見事さ、激しく感情がたぎる場面での地の底から湧きあがるようなエネルギー、どんな場面でも実に雄弁に伝える表現力にはある種の余裕すら感じさせる。新国の「ジークフリート」での名演に勝るとも劣らぬ演奏で、久々に文句なしのN響の底力を見せつけてくれた。
そして第3幕、グルネマンツ役のローズの人間味溢れる包容力ある歌や、アムフォルタスを歌ったグルントヘーバーの絶望の淵に立たされた「叫び」の迫真性、アムフォルタスに「聖杯を取り出せ」と迫る男声合唱の濃厚で鬼気迫る扇動的な圧力、そして、天上から降り注ぐ女声合唱の響きの中で迎える最後のシーンの神々しさ。演奏会形式ということで、歌手たちは振り付けめいたことも殆ど行わないにもかかわらず、この「舞台神聖祝典劇」の劇中にすっかり引きずりこまれてしまった。
残念だったのは、音楽が静寂へと帰して幕となったその直後に、余韻を味わう間もなく汚い「ブラボー」の叫びと共に拍手が始まってしまったこと。シルマーはしばらくじっと拍手が一旦収まるのを待っていたようだったがあきらめてしまった。最後の大切な瞬間があのブラボーで台無しにされた。
開演から5時間以上が経っていた。第1幕が終わったときは「長さ」に戸惑いを覚えたが、2幕、3幕と聴いてきたら、もうそんな「長さ」はすっかり忘れてしまい、いつまでも演奏が続いて欲しい、とさえ感じるようになっていた。
音楽が徐々に徐々に熱を帯び、抑え難い激情へと膨れ上がって行くこうしたリアルな感情の盛り上がりは、時間をかけて初めて実現され得るものだということを思い知った。そういえば「トリスタンとイゾルデ」の最終場のあのイゾルデのモノローグにもこんな抑え難い感情の長い吐露があったっけ。ワーグナーの作品が無駄に長いわけではない、という恐らくワグネリアンにとっては当たり前のことを再認識する公演でもあった。
演奏会形式だからでしょうか、とても音楽に集中できました。
N響もよかったですね。
N響にはワーグナーやシュトラウス、ヴェルディのオペラなどをもっともっとやってもらいたいです。
来年はローエングリン、これも楽しみですね!
実はわたしも、同じ日に聴きました。
幕間は、外の売店で、おにぎり頬張ってました。
充実の5時間を堪能しました。
N響の実力をまざまざと見せつけられましたが、最後のあのブラボーには大いに閉口しましたね。まったく。
来年は、当然の流れとして、パルシファルの息子ローエングリン。春のワーグナー楽しみですね。
それにしても、東京はワーグナーの聖地のような状態になってます(笑)
「東京ワーグナー」ですか、ホントそんな感じですね。これほどの公演は本場ドイツでもなかなかないのではと思いました。
毎年春のこのフェスティバルでワーグナーを一本ずつ上演するという企画、ずっとオケはN響でやってもらいたいです。