11月10日(木)デーヴィッド・ジンマン指揮 NHK交響楽団
《2016年11月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. モーツァルト/クラリネット協奏曲イ長調 K.622
【アンコール】
エデン・アヴェス/ネイチャー・ボーイ
Cl:マルティン・フレスト
2.グレツキ/交響曲第3番 Op.36「悲歌のシンフォニー」
S:ヨアンナ・コショウスカ
ジンマンが指揮台に上る11月のN響B定期は、モーツァルトとグレツキという全く毛色の異なる音楽の二本立てプログラム。
モーツァルトでは、小規模な編成のオケが奏でる柔らかく瑞々しく、歌心を感じる前奏に、フレストがこれまた何ともデリケートなクラリネットの調べを乗せた。フレストのクラリネットは実に陰影に富み、自由に解き放たれ、時には気まぐれや遊び心を覗かせ、モーツァルト最晩年の傑作を自由自在に料理する。フレーズの終わりをカデンツァ風に装飾して引き伸ばすときの微弱音は、無風のなかにかすかにたなびく煙のよう。
第2楽章では、フレーズ全体をそんな奇跡の弱音で奏で、オケはデリケートな色づけを施しつつ淡い影を添える。確かにすごいが、この曲はこんなに意識的に作らなくてもいいのではと、中学の頃からこの曲をひたすら愛する僕は思ってしまう。それに、低い音へどんどん沈んで行ってしまうバセットホルンでのメロディーラインにはやっぱり慣れない。モーツァルトがどうしたかったかは自筆譜がないので想像するしかないそうだが、昔聴き慣れていた普通のクラリネット版で聴きたいってのは、向上心のない聴き方なのかも知れない。
後半はグレツキの交響曲。一時期、世界で大ブレークした曲だそうだが僕は知らなかった。弦だけの、なが~いテーマによる、なが~いなが~いカノンが延々と続いたあとにソプラノの祈りのような歌が入り、そのあとはまた弦が、前半のカノンの逆パターンを延々と続けて第1楽章が終わる。レントのテンポをひたすら保ち、厳粛な祈りと瞑想の儀式に立ち会っている気分。オケのプレイヤーはさしずめその儀式を執り行う清貧と禁欲に徹する聖職者たちといったところ。折り重なる弦のハーモニーは清澄で真っすぐに、聞き手の心の深いところへじわりじわりと沁みてきた。
固唾を飲んで聴き入っていた聴衆が多いせいか、楽章間で激しい「咳コール」が起こる。第2楽章も、そして第3楽章も、殆ど変わらないテンポと曲想で、瞑想状態を持続させる。大編成の管弦楽がステージに乗ってはいるが、響きの主体は常に弦で、管楽器は弦の響きに色付けしたり、補強する役割に徹している。ソプラノのコショウスカの歌唱は、この音楽に相応しく清澄で気高く、また情感も深く、全てを大きく柔らかく包み込んでいった。
それにしても、全てがレントのテンポで、ハーモニーの変化も緩やかで、「刺激」と言えるものが殆どない音楽で全ての楽章が統一されているシンフォニーというのは、ある意味型破り。音楽のエッセンスとしては共通点も感じるアルヴォ・ペルトもびっくりするのでは?体験としては面白かった。実際に儀式で使われたら効果は大きいかも知れない。
CDリリースのお知らせ
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~
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1. モーツァルト/クラリネット協奏曲イ長調 K.622
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Cl:マルティン・フレスト
2.グレツキ/交響曲第3番 Op.36「悲歌のシンフォニー」
S:ヨアンナ・コショウスカ
ジンマンが指揮台に上る11月のN響B定期は、モーツァルトとグレツキという全く毛色の異なる音楽の二本立てプログラム。
モーツァルトでは、小規模な編成のオケが奏でる柔らかく瑞々しく、歌心を感じる前奏に、フレストがこれまた何ともデリケートなクラリネットの調べを乗せた。フレストのクラリネットは実に陰影に富み、自由に解き放たれ、時には気まぐれや遊び心を覗かせ、モーツァルト最晩年の傑作を自由自在に料理する。フレーズの終わりをカデンツァ風に装飾して引き伸ばすときの微弱音は、無風のなかにかすかにたなびく煙のよう。
第2楽章では、フレーズ全体をそんな奇跡の弱音で奏で、オケはデリケートな色づけを施しつつ淡い影を添える。確かにすごいが、この曲はこんなに意識的に作らなくてもいいのではと、中学の頃からこの曲をひたすら愛する僕は思ってしまう。それに、低い音へどんどん沈んで行ってしまうバセットホルンでのメロディーラインにはやっぱり慣れない。モーツァルトがどうしたかったかは自筆譜がないので想像するしかないそうだが、昔聴き慣れていた普通のクラリネット版で聴きたいってのは、向上心のない聴き方なのかも知れない。
後半はグレツキの交響曲。一時期、世界で大ブレークした曲だそうだが僕は知らなかった。弦だけの、なが~いテーマによる、なが~いなが~いカノンが延々と続いたあとにソプラノの祈りのような歌が入り、そのあとはまた弦が、前半のカノンの逆パターンを延々と続けて第1楽章が終わる。レントのテンポをひたすら保ち、厳粛な祈りと瞑想の儀式に立ち会っている気分。オケのプレイヤーはさしずめその儀式を執り行う清貧と禁欲に徹する聖職者たちといったところ。折り重なる弦のハーモニーは清澄で真っすぐに、聞き手の心の深いところへじわりじわりと沁みてきた。
固唾を飲んで聴き入っていた聴衆が多いせいか、楽章間で激しい「咳コール」が起こる。第2楽章も、そして第3楽章も、殆ど変わらないテンポと曲想で、瞑想状態を持続させる。大編成の管弦楽がステージに乗ってはいるが、響きの主体は常に弦で、管楽器は弦の響きに色付けしたり、補強する役割に徹している。ソプラノのコショウスカの歌唱は、この音楽に相応しく清澄で気高く、また情感も深く、全てを大きく柔らかく包み込んでいった。
それにしても、全てがレントのテンポで、ハーモニーの変化も緩やかで、「刺激」と言えるものが殆どない音楽で全ての楽章が統一されているシンフォニーというのは、ある意味型破り。音楽のエッセンスとしては共通点も感じるアルヴォ・ペルトもびっくりするのでは?体験としては面白かった。実際に儀式で使われたら効果は大きいかも知れない。
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