シューベルトが仲間たちと自作を演奏する集いが由来の「シューベルティアーデ」と題してシューベルトの200回目の誕生日である1月31日を中心に、プライ自身の企画によってサントリーホールでシューベルトの歌曲だけの6回のリサイタルシリーズが組まれた。3大歌曲集に加え、詩人に焦点を当てたリサイタルが行われる意欲的なプログラムのうち、第3回のゲーテの詩による歌曲を集めたリサイタルと、「白鳥の歌」を歌った最終回のリサイタルを聴いた。どちらも感銘深い素晴らしい演奏会だったが、ここではハプニングも起きた後者の感想を挙げておく。
この日の演奏ほど深く、熱く、厳しく心に迫って来た「白鳥の歌」はあとにも先にもない。ステージに立つプライが大きく見えた。それと同時に「鳩の使い」では歌詞が堂々巡りしてしまい、明らかに困惑の影がその表情に浮かんだことも、前から3列目の中央に座っていたことから看て取れた。
歌が止まってしまったときはよっぽど手に持っていた歌詞カードを差し出そうと思ったが、もしそれをしていたら、プライが歌詞を忘れてしまったことに気づいていないお客にも知らしめてしまうことになったので思い留まってよかった。今思えば、次の歌詞が出て来なくても誤魔化して歌い進むことはできただろうに、敢えて2度も演奏を中断してきちんと言葉を届けようとしたプライの姿勢からは、誠実な真の芸術家魂を感じる出来事だった。
感想に記しているが、この「事件」が引き金になって引退してしまうことさえ危惧したが、プライはこの年の暮れにも約束通り日本に再び来てくれて、素晴らしい「冬の旅」を聴かせてくれた。プライとの別れになってしまったこの演奏会の感想も掲載しておきたい。
(2020.5.31)
ヘルマン・プライの「詩人の恋」
フィッシャー=ディースカウの「シューマンの夕べ」
フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」
ペーター・シュライアーの「美しき水車屋の娘」
♪ブログ管理人の作曲♪
「金魚のお墓」~金子のみすゞの詩による歌~
(S:田村茜)
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pocknのコンサート感想録アーカイブス ~ブログ開設以前の心に残った公演~ 1997年 2月5日(水) ヘルマン・プライ(Bar)/ミヒャエル・エンドレス(Pf) ~シューベルティアーデⅥ.最晩年の歌曲~ サントリーホール Ⅰ.シューベルト/冬の夕べ、星、秋、水鏡、流れの上で(Hrn:松崎 裕)㊝ Ⅱ.シューベルト/歌曲集「白鳥の歌」㊝ このシリーズ2度目のプライのリサイタル、今回は奥さんといっしょだ。 今夜は一連のシューベルト・シリーズ最後のコンサートで、「白鳥の歌」を含むシューベルト最晩年の歌曲が取り上げられた。 甘美で物悲しく、深みを持った晩年の作品の数々をプライはしっとりと味わい深く歌い上げた。 プライの声は本当に深く、やわらかく、光彩を放っている。 歌詞の一つ一つをかみしめるように慈しみながら発していく。 おそらくは50年も常に前向きにシューベルトを歌い続けてきたであろうプライであってこそ表現できる境地だ。 衰えを感じさせない張りとつやのある声をいまだに備えていることもただの味わい深さだけに終わっていない強みだ。 緊張、弛緩のダイナミックスの幅がたいへん広く、歌絵巻を見ているような迫力がある。 「冬の夕べ」や「春の憧れ」のようなしっとりとした歌で心に染みる歌を聴かせる一方で、先週の「魔王」もそうだったが、今回の「アトラス」や「影法師」で聞かせる戦慄をもよおさせる切迫感も他の歌手では到達しえないようなすご味も聴かせる。 「流れの上で」はこれまた素晴らしい松崎さんのホルンとの絶妙のアンサンブルを聴かせてくれた。 開演前に「途中での拍手はしないように」というアナウンスがあったにも拘わらず、「セレナード」でまだピアノが鳴り止まないうちに一人の客が大きな拍手を鳴り響かせてしまった。 おまけに次の「我が宿」の後もパラパラと拍手が始まり、プライが手で遮る始末。 せっかく続いてきた緊張の糸がきれてしまうような無神経な客に腹が立った。このことでの動揺があったのだろうか、最後の「鳩の使い」でプライは歌詞を忘れてしまい、もう1度やり直したがまたうまくいかず、ステージに引っ込んでしまった。 戻ってきてからは素晴らしい歌でコンサートを締めくくり万雷の拍手を浴びたが、これがあの無神経な拍手に起因しているということは十分に考えられることだ。 たいへん気の毒に思い、まさかとは思うがあのせいで引退を考えるなどということにはなってもらいたくない。 奥さんは涙を浮かべて初めて聴く生のプライの歌に感激したし、12月にはオケ版の「冬の旅」を歌いにまた来日の予定なのだから。 プライにはまだまだその素晴らしい歌を聞かせ続けてほしい。 |
この日の演奏ほど深く、熱く、厳しく心に迫って来た「白鳥の歌」はあとにも先にもない。ステージに立つプライが大きく見えた。それと同時に「鳩の使い」では歌詞が堂々巡りしてしまい、明らかに困惑の影がその表情に浮かんだことも、前から3列目の中央に座っていたことから看て取れた。
歌が止まってしまったときはよっぽど手に持っていた歌詞カードを差し出そうと思ったが、もしそれをしていたら、プライが歌詞を忘れてしまったことに気づいていないお客にも知らしめてしまうことになったので思い留まってよかった。今思えば、次の歌詞が出て来なくても誤魔化して歌い進むことはできただろうに、敢えて2度も演奏を中断してきちんと言葉を届けようとしたプライの姿勢からは、誠実な真の芸術家魂を感じる出来事だった。
感想に記しているが、この「事件」が引き金になって引退してしまうことさえ危惧したが、プライはこの年の暮れにも約束通り日本に再び来てくれて、素晴らしい「冬の旅」を聴かせてくれた。プライとの別れになってしまったこの演奏会の感想も掲載しておきたい。
(2020.5.31)
ヘルマン・プライの「詩人の恋」
フィッシャー=ディースカウの「シューマンの夕べ」
フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」
ペーター・シュライアーの「美しき水車屋の娘」
♪ブログ管理人の作曲♪
「金魚のお墓」~金子のみすゞの詩による歌~
(S:田村茜)
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