11月29日(日)鈴木雅明 指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/交響曲第5番 ハ短調 Op.67![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
♪ ハイドン/神の聖ヨハネのミサ・ブレヴィス~「アニュス・デイ」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_heart.gif)
2.ベートーヴェン/ミサ曲 ハ長調 Op.86![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
S:中江早希/A:布施奈緒子/T:櫻田 亮/B:加耒 徹
今年の最大級の楽しみだった鈴木雅明指揮N響+BCJによる「ミサ・ソレムニス」は中止になってしまったが、ベートーヴェンのもう一つの大作ミサであるハ長調ミサを鈴木雅明/BCJで聴けると知り駆けつけた。通常通りの着席でほぼ満席となったホールに響いたハ長調ミサは、ベートーヴェン・イヤーに相応しい、世にも素晴らしい忘れ得ぬ演奏となった。
その前に「運命」が演奏された。冒頭の運命の動機は、ことさらアグレッシブに畳み掛けることなく提示された。その後のテンポやアゴーギク、ディナミークも普段聞き慣れたもの。オーソドックスな外観だが、中身は濃密で重量感があり、安定している。内声に至るまでどの声部も丁寧に豊かに表現され、目立たないパートも役割を明確に示し、息づいていた。楽章が進むごとに熱気が増し、ベートーヴェンの強い意思が伝わってきた。オーボエの装飾音がおしゃれだったりも。終楽章は白熱の演奏。人間ベートーヴェンの内面から涌き出る熱いエモーションが迫ってきた。
そしてハ長調ミサ。コロナ禍でのBCJの演奏会で行われていた合唱が最前列の配置は取らず、従来通り合唱がオーケストラの後方に2列で並んだ。その前にハイドンのミサから一部が演奏されたが、これはハ長調ミサの感想の中で紹介したい。
何よりもこの演奏から感じたのは、前半の「運命」を更に上回る「人間ベートーヴェン」の熱くて強烈なメッセージ。それはミサの典礼文を、厳粛な儀式の言葉から解放して、もっとエモーショナルなものをそこから喚起しようとしたベートーヴェンの思いを、鈴木/BCJが十分にくみ取って聴き手に伝えてくれたこと。
この曲の前に演奏されたハイドンの「アニュス・デイ」は、本当はアンコールとして用意していたそうだが、感染防止対策としてハ長調ミサでは合唱がフルメンバーで乗れないため、この曲だけフルメンバーでこのタイミングで披露された。「これとベートーヴェンがどんなに異なる音楽であるか、両者を比べれば委嘱した侯爵がなぜベートーヴェンの曲を拒絶したかがわかる」という鈴木氏の話が添えられたハイドンの作品は、天上的な美しさを湛えていた。これに対しベートーヴェンの作品は、非常にエモーショナルでアグレッシブ。ハイドンの音楽がミサを執り行う聖職者によって奏でられる音楽だとすると、ベートーヴェンの音楽は会衆も一緒に歌って神を賛美し、人生を賛美し、更に人類愛を高らかに謳歌するような音楽だ。その意味でこれはミサを越えたミサと云えるかも知れない。
BCJの演奏は、歌詞がそうした気持ちに直結し、何を伝えたいかが明確な迫真の訴えとして、まるでゴスペルを思わせるような熱い血と感情の噴出を伴って届けられた。艶と輝きのある合唱で、明快に発せられる生きた言葉はストレートに聴き手の心に共振し、オケの無駄のない雄弁さもただならぬリアリティを感じさせた。
BCJ精鋭の4人のソリストも申し分ない。ソリストの寄せ集めと違い、調和という点でも非常にハイレベルなアンサンブルを聴かせてくれた。今年のBCJのマタイとロ短調ミサでとても印象に残っていた布施さんの、「世の罪を除きたもう主よ」の深く鋭く心に刺さる迫真の歌唱が特に素晴らしかった。バッハのスペシャリストであるBCJがベートーヴェンでこのような演奏を聴かせるのはある意味すごいが、熱いバッハを演奏する彼らにとって、ベートーヴェンのハードルは高くはないのだろう。
今日この場に居合わせることができたことを幸せに思う。こんな演奏を届けてくれた鈴木氏とBCJに心から感謝したい。
鈴木雅明/N響のシューベルト 2020.10.29 サントリーホール)
鈴木雅明/BCJの「マタイ」 (2020.8.3 東京オペラシティコンサートホール)
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1.ベートーヴェン/交響曲第5番 ハ短調 Op.67
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今年の最大級の楽しみだった鈴木雅明指揮N響+BCJによる「ミサ・ソレムニス」は中止になってしまったが、ベートーヴェンのもう一つの大作ミサであるハ長調ミサを鈴木雅明/BCJで聴けると知り駆けつけた。通常通りの着席でほぼ満席となったホールに響いたハ長調ミサは、ベートーヴェン・イヤーに相応しい、世にも素晴らしい忘れ得ぬ演奏となった。
その前に「運命」が演奏された。冒頭の運命の動機は、ことさらアグレッシブに畳み掛けることなく提示された。その後のテンポやアゴーギク、ディナミークも普段聞き慣れたもの。オーソドックスな外観だが、中身は濃密で重量感があり、安定している。内声に至るまでどの声部も丁寧に豊かに表現され、目立たないパートも役割を明確に示し、息づいていた。楽章が進むごとに熱気が増し、ベートーヴェンの強い意思が伝わってきた。オーボエの装飾音がおしゃれだったりも。終楽章は白熱の演奏。人間ベートーヴェンの内面から涌き出る熱いエモーションが迫ってきた。
そしてハ長調ミサ。コロナ禍でのBCJの演奏会で行われていた合唱が最前列の配置は取らず、従来通り合唱がオーケストラの後方に2列で並んだ。その前にハイドンのミサから一部が演奏されたが、これはハ長調ミサの感想の中で紹介したい。
何よりもこの演奏から感じたのは、前半の「運命」を更に上回る「人間ベートーヴェン」の熱くて強烈なメッセージ。それはミサの典礼文を、厳粛な儀式の言葉から解放して、もっとエモーショナルなものをそこから喚起しようとしたベートーヴェンの思いを、鈴木/BCJが十分にくみ取って聴き手に伝えてくれたこと。
この曲の前に演奏されたハイドンの「アニュス・デイ」は、本当はアンコールとして用意していたそうだが、感染防止対策としてハ長調ミサでは合唱がフルメンバーで乗れないため、この曲だけフルメンバーでこのタイミングで披露された。「これとベートーヴェンがどんなに異なる音楽であるか、両者を比べれば委嘱した侯爵がなぜベートーヴェンの曲を拒絶したかがわかる」という鈴木氏の話が添えられたハイドンの作品は、天上的な美しさを湛えていた。これに対しベートーヴェンの作品は、非常にエモーショナルでアグレッシブ。ハイドンの音楽がミサを執り行う聖職者によって奏でられる音楽だとすると、ベートーヴェンの音楽は会衆も一緒に歌って神を賛美し、人生を賛美し、更に人類愛を高らかに謳歌するような音楽だ。その意味でこれはミサを越えたミサと云えるかも知れない。
BCJの演奏は、歌詞がそうした気持ちに直結し、何を伝えたいかが明確な迫真の訴えとして、まるでゴスペルを思わせるような熱い血と感情の噴出を伴って届けられた。艶と輝きのある合唱で、明快に発せられる生きた言葉はストレートに聴き手の心に共振し、オケの無駄のない雄弁さもただならぬリアリティを感じさせた。
BCJ精鋭の4人のソリストも申し分ない。ソリストの寄せ集めと違い、調和という点でも非常にハイレベルなアンサンブルを聴かせてくれた。今年のBCJのマタイとロ短調ミサでとても印象に残っていた布施さんの、「世の罪を除きたもう主よ」の深く鋭く心に刺さる迫真の歌唱が特に素晴らしかった。バッハのスペシャリストであるBCJがベートーヴェンでこのような演奏を聴かせるのはある意味すごいが、熱いバッハを演奏する彼らにとって、ベートーヴェンのハードルは高くはないのだろう。
今日この場に居合わせることができたことを幸せに思う。こんな演奏を届けてくれた鈴木氏とBCJに心から感謝したい。
鈴木雅明/N響のシューベルト 2020.10.29 サントリーホール)
鈴木雅明/BCJの「マタイ」 (2020.8.3 東京オペラシティコンサートホール)
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