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足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

留学体験記 Uni-DUE(WS2004~)

2022年08月16日 | ドイツ留学相談室
ドイツ留学体験記

ここではドイツ留学(オーストリア、スイスのドイツ語圏を含む)をした獨協大学の学生の体験記を中心に紹介しています。体験記には、現地での手続き、授業の様子や寮生活、街の様子、これから留学する方々へのアドバイスなどが記されています。情報としては新しくありませんが、いつになっても決して色あせることない先輩達からの貴重なメッセージがたくさん綴られています。ご自身の留学に是非役立ててください。そして、あなた自身の留学体験をお寄せください。

このページでは、獨協大学のサーバー上で公開していた体験記のうち、著作者からこちらのサイトへの掲載に許諾を頂いた方の体験記のみ掲載しています。新たに体験記を掲載したい方(ドイツ語圏の大学で正規の授業の受講で留学した方であればどなたでも)、旧サイトに掲載されていた体験記をこちらでも掲載して構わないという方は、是非お知らせください。この記事下の「コメントを投稿する」から連絡ください。投稿されたコメントは公開せず、個別にお返事を差し上げます。

 デュースブルク=エッセン大学

(WS2004~)
WS 2008/2009 bis SS 2009 中 誠也さんからの体験記
1年間の留学を終えて
 2008年の10月から留学が始まって、早いことにもう1年がたってしまいました。今から振り返ると、あっという間のひと時で、留学は、大変だったという一言に尽きるような気がします。

大学生活
 2009年の夏学期には、ドイツの移民に関するゼミに参加しました。授業の内容としては、ドイツの移民に関する事柄を大まかに捉えるものでした。具体的には、グローバル化と社会の変化、移民の統合政策、移民の教育機会の不平等、熟練移民の移動などです。この中で、私はインドのIT熟練移民とドイツ版グリーンカード政策について発表し、レポートも書きあげて、長期休暇期間中の今は、成績を待っています。

 今学期を通じて、自分の留学のテーマがこれまでドイツの移民と経済に重点を置いていたものが変わって、移民と教育に焦点を当てることにしました。より根本的な問題点は、教育にあるのではないかと思ったからです。

 ドイツ語の方も、以前の状況に比べては改善されましたが、まだまだ留学にゆとりを持てるような段階ではありません。留学でゆとりの持てるようなドイツ語の水準に達するためには、もはや永遠に努力を続けなければならない課題のように思えます。

休暇中の旅行
 夏休みの間は、私の家族がドイツとフランスに行きたいとのことで、私は通訳と案内をしました。ドイツ旅行の計画を立てて、ホテルを予約して、鉄道券を買ってなどなど。そして、空港で再会できた時は、1年近く経っていたので、懐かしいのと同時に、うれしかったです。旅行の時は、家族を引率して、特にレストランではメニューを説明して等々で大変でしたが、私の説明したことを家族が理解してくれたようで、安心しました。家族もドイツが気に入ったようで、またきっと一緒に街を回る時が来ると思います。

今後の進路と留学の続行
 ドイツへ留学する前からそうでしたが、留学中も、今後の進路についていつも考えていました。自分は将来何になりたいのかについてです。その答えが、ようやく夏学期の終わりごろにとりあえず―暫定的なものかもしれませんが―出たと思います。将来の可能性として、公務員などいろいろ考えましたが、学問の道を進むことにしました。つまり、これからも学問を極めて、ドイツにある教育学の大学院への進学も視野に入れることにしました。

 この将来的な目標を達成するために、ドイツ語のさらなる向上をはじめ、ドイツでしか学べないものをさらに体験し、学ぶことを決め(教育における移民の統合政策、再生産理論など)、留学を延長することにしました。とりわけ留学において大切なことは、留学先でしか学べないものを学びとってくることのように思うので、様々な情報に網を張りながら、そしてこれまでの留学で学んだことも活かしながら、ますます充実した留学にすることがこれからの新たな目標です。


ヒルデスハイムの市場広場


トリアーの皇帝浴場(Kaiserthermen)

中 誠也さんからの中間報告
下宿先
 私は大学の学生寮を利用せず、以前日本で知り合った彼女のアパートに同居することにしました。場所はデュースブルクのマルクスロー(Marxloh)といい、大学から路面電車で30分ほどのところにあります。

この地区にはトルコ系の住民が多く住んでおり、2008年10月にドイツ国内で最大級のモスクが完成しました。また、治安が悪いことでも有名な町です。

大学生活  遂にドイツの大学に留学することが決まって、当初は様々なことが学べるという期待でいっぱいでした。しかし、授業の内容を理解するのには本当に骨が折れました。例えば、"Vergleichende Soziologie des Kapitalismus als Gesellschaftsform"という社会学の授業では、(1)受講生の対象が大学院生レベル(マスター)であったこと、(2)授業に参加する準備としてのテキスト(15~50ページ)を毎週読むこと、(3)説明される内容をドイツ語で理解することの以上3点が特に大変でした。


工場跡地の公園(Landschaftspark Nord)

 興味深いゼミだったのですが、授業に慣れるまでの間(授業が始まってから4週目までがピーク)は、留学しないほうが良かったのではないかと思ってしまうほど精神的な苦痛に見舞われた憂鬱な日々を過ごしていました。「ドイツで学びたいことがあるのに授業が分からない。私は学生として何しに来たのだろうか。」といった具合に、自分に対するストレスや不満がたまりにたまった状態で、ドイツ語が分からない自分に失望していました。ですが、「今はできなくても、後からできるようになるから、頑張って。」という彼女の言葉に支えられ、何とか冬学期を乗り切ろうと腹をくくり、苦労しつつも乗り越えることができました。留学をすることは、簡単なことではありません。様々な面(生活、学習、精神面など)で努力が必要です。


ドイツの高校でのプラクティクム(生徒たちは6年生)

高校でのプラクティクム
2009年3月上旬からドイツの高校(Gymnasium)でプラクティクムをしています。この高校では日本語のコースもあり、生徒たちが一生懸命に日本語を勉強している姿を見て、「私もドイツ語の勉強を頑張らなくては」と良い刺激になりました。他にもドイツ語、英語、宗教(カトリック)、美術、歴史、政治学の授業に参加させてもらっています。日本とドイツの授業の違い、クラスの雰囲気など様々なものが新しく、生徒たちには「日本語で名前を書いてください。」と頼まれ、休憩時間がなくなってしまうほどでした。生徒たちは好奇心旺盛で、授業が終わると一斉に様々な質問を私にしてくれました(一人ずつ順々に答えていきました)。

ドイツ語の話すいい勉強になったり、またトルコ出身の生徒も多く異文化交流にもなったりして、彼らからたくさん勉強させてもらいました。

留学を考えていらっしゃる方へ
(1)授業の履修
 学びたい授業が行われている大学において、授業を選ぶときの助言をしたいと思います。まず、その授業の対象が修士(マスター)なのか学士(バチェラー)であるかに注意する必要があります。レベルによっては、既に学んだ内容で十分な場合や、あるいは独学で事前に学ぶ必要がある場合があるからです。事前の準備によっては、授業時のドイツ語が難しくても授業が理解できると思うからです。特にゼミにおいてテキストを事前に読むと、授業中に重要な言葉(キーワード)として、あるいはテキストで学んだ新しい単語が使われる確率が高くなるので、効率的な授業の理解につながると思います。

(2)ゼミのテキストを読む
 日本とドイツのゼミの形式(重点の置き方)が異なるためにテキストを読まなければなりません。そこで、私が気づいた範囲内において日本とドイツのゼミの違いについて説明したいと思います。

 ドイツの学生が大学の授業で積極的に質問するのには理由があると思います。ドイツ人学生に聞いたところによると小学校からアビトゥアーの試験までの間で、積極的に質問することが生徒に求められています。この様な教育を受けた生徒たちが学生になっているからです。また、大学の先生も学生からの意見・質問を積極的に求めており質問等をしやすい環境が整っていることが、ドイツの教育の特徴といえるかもしれません。

 ドイツのゼミでの主体は教授です。確かに日本と同様に学生による発表に対する議論はありますが(短期集中ゼミでは発表が主で、議論が少ない場合もあります)、学生からの意見や、課題図書に何と書いてあったかを教授が学生に聞く形式のゼミが中心となっていると感じました。課題図書という教授側と学生側の共通した前提(事前の準備次第で授業へ積極的に参加できるはずです。自主的に調べたり、あるいはテキストについての質問等の準備をしたりすること)を基に議論や授業を行うので、議論を行いやすい土壌があると感じました。

 一方、日本のゼミ(少なくとも私の参加したゼミにおいて)では、ある学生の発表に教授や学生が批評や意見、感想などを述べる形式をとっています。発表の内容が相手に上手く伝えられたかや、聞き手が発表内容の理解・整理ができたかによって、議論の内容は、聞き手全員に発表の内容が行き渡ったかどうかにかかっているということです。また、学生の理解度によっては、発表した学生と教授との議論が中心になりやすく、学生が意見を述べにくいという状況になりやすいと思います。

 つまり、ゼミにおける日独の違いは、ドイツでは積極的に質問をする教育を受けた学生たちによる、参加者共通のテキストに基づく(情報共有が事前に行えている)議論が中心で、日本では一人または一部の学生たちによる発表を通じての議論が中心となっており、取り扱う議論の内容が共有されにくい点です。そのため日本では議論がしにくい要因があるのではないかと思います。

(3)ドイツ語のレベル
 留学に必要なドイツ語のレベルは、C1以上がやはり適当であると感じました。その理由としては、ドイツの諸大学が課しているDSHのレベルに相当するからです。ドイツで留学することはできても、果たして学べるかどうかという点について考えてみるとドイツ語の能力が極めて重要な要因となるからです。留学はできても授業は分からないとなると留学の意義が無念ながら失われてしまいます。私の見解になりますが、このような事態を防ぐためにDSH・TestDaFが存在し、ドイツ語を学ぶ土台を作ることが求められていると思います。また、1~2年程度の交換・認定留学生であれば、ドイツ語能力の向上に加えて、ゼミなどで学んだ専門的な知識(自分が何を勉強したいのか、そのテーマ)が求められていると考えています。

 個人的な経験ですが、私は大学から初めてドイツ語を学び、2年時(教職等の授業があり、十分な準備ができなかったのですが)にTestDaFの勉強をしました。率直に言って新しい語彙・問題数が多すぎて手に負えませんでした。3年時の今は、Goethe-Zertifikat C1の勉強をしています。


旅行したゴスラー(Goslar)の街並み

 ここで述べておきたいことは、留学に必要だから留学向けのドイツ語のTestDaFの勉強をすることは、留学の準備に最も良く、また個人に合うあるいは合わない(私にとってはとても難しかった)などにもよると思いますが、自分のドイツ語のレベルに沿った勉強が必要であると感じました。すなわち、ZD(B1)を取得したら、B2へ、それからC1へといったステップを踏まえた方がより勉強しやすいのではないかと思います。

SS 2008 bis WS 2008/2009 呉屋花織さんからの体験記
私が留学した先は、デュースブルクという町にある大学で、隣にあるエッセンという町の大学と統一された総合大学です。デュースブルクはデュッセルドルフから電車で15分くらいなので、空港に行くにも、買い物にデュッセルドルフまで出るのも便利な町です。私が住んでいた町は、デュースブルクの隣にあるミュールハイムという町でしたが、デュースブルクには最近新しいショッピングモールも完成したので何かと便利です。町並みや景色は住んでいたミュールハイムの方が好きでした。


エッセンにある湖。夏は信じられないほど多くの蛍が見えます。

大学では主に政治学に関してのゼミを履修しました。欧州連合(EU)に関して興味があったので、それに関するゼミをいくつか履修していました。春学期に関しては中間報告にまとめてあるので省略します。

冬学期に履修したのは2つのEUに関するゼミ(一つは聴講)と、ドイツ語と日本語を比較するゼミでした。EUに関するゼミでは、本当に多くのことを学びました。内容がとても濃く、そして新しく、毎回とても興味深かったです。一つの授業でEU拡大と東方拡大に関して発表し、レポートを提出しました。ドイツの大学で書くレポートは、大体15ページから20ページ書くのが普通なので、初めは苦労しましたが、慣れれば意外と書けるようになります。その分内容も濃くなりますので、本当にためになりました。ドイツ語と日本語に関するゼミでは、どのようにして言語を習得するのかや、日本語とドイツ語の比較などをしました。私は敬語に関して比較した発表とレポートを作成しました。

留学の目的は、ドイツ語を習得することと、EUに関して学び、そして単位を取得してくることでした。単位を取得するということは、現地の学生と同じように発表をしてレポートを作成することです(ゼミに関しては)。幸い政治学の先生方は留学生に親切な人たちばかりで、よく相談に乗ってくださりました。そのおかげで無事に目標だった10単位(5科目)を取得することができました。それは本当に大変なことで、今でもやり遂げたことが不思議なくらいです。そしてそれを助けてくれたドイツ人学生に感謝しています。

これからドイツに留学したいと考えている人に、本当に留学を薦めたいです。そのためには自分が何をしたのか、何を勉強したいのかを真剣に考えることが大切です。もちろん、初めはただドイツに行きたいという気持ちでいっぱいかもしれませんが、それだけでは留学の意味はありません。

ドイツの大学では本当に多くのことが学べます。EUに関して勉強したいと考えている学生にとって、デュースブルク大学はオススメです。もし留学するのであれば、事前に日本で学びたいことの本を集めて、ドイツに持っていくことをお勧めします。予習・復習には欠かせず、また日本語で内容を理解しておくと、あとでドイツ語の本を読むときに分かりやすくなります。

最後に、私は4年の4月から留学したので就職活動は全くしませんでした。2月に帰国し、進路に悩みましたが就職することにして就職活動を始めました。幸いにも就職先はすぐ決まり、ドイツ系の会社で働くことになりました(現時点では単位が認定されたのか不明なので、卒業見込みです)。


クリスマスに飾り付けしたクリスマスツリー。

ドイツに留学したことが、将来にも生かせることができ、本当にうれしく思っています。そして、留学させてくれた大学、また手助けしてくれた先生方に本当に感謝しています。

呉屋花織さんからの中間報告
私は2008年4月からデュースブルク大学に留学しています。大学4年の4月からの留学ということで、私の中ではこの1年が大学最後の年になると決意して来ました。卒業単位はもちろん足りていないので、ここで全ての単位を取ることを目標に頑張っています。

生活
 夏学期が始まる1ヶ月前、3月にドイツに到着し、入学までの手続きを終えました。一人ではとても大変だったろう手続きも、先に留学していた先輩から助けてもらったり、獨協大学で知り合ったドイツ人学生に手伝ってもらったりして、問題なく終えました。こういう手続きは、一人で無理せずに誰か知り合いのドイツ人に手助けしてもらったほうがいいと思いました。なぜなら、外国人一人で行くよりも、ドイツ人と一緒に行った方が役所の方がスムーズに手続きしてくれるからです。また、一つでも書類が足りないと何度も足を運ぶ羽目になりますが、FAXなどで対応してもらえる可能性も広がります。

 住まいはアパートで一人暮らしをしています。普通の留学生であれば大学の寮に入るところを、無理を言って大学に近いアパートを借りました。元々、一番大学に近い寮に入る予定でしたが、6人部屋しか空いてないと言われ、個人的に無理だったのでやめました。きっと寮生活のほうが友人を作りやすいし、楽しそうだと思いましたが、アパート暮らしでも友人はでき、気楽に生活しています。また住んでいるのはデュースブルクの隣にある、ミュールハイム( Mülheim an der Ruhr) です。小さいですが、近くにはルール川が通っていて、静かで景色がきれいな街です。

大学生活
 私はドイツ語学科3類選択なので、まず興味があったEUやヨーロッパの政治・経済に関するゼミを探しました。ドイツの大学のゼミは日本とは少し形が違い、規模が小さい講義のようでした。日本では1年間一つのゼミに所属し、仲間の輪を作るようなところでしたが、ドイツでは特にそういう雰囲気はなく、単位に必要なゼミにいくつか参加し、日本でもやるようにプレゼンと課題レポートを提出して終える感じでした。

 今学期はまず3つのゼミを選びました。

・Deutsch-Deutsche Beziehungen(Seminar)
このゼミでは、戦後からドイツ統一までの東西ドイツについて、連合軍側の立場やどのようにして再統一できたのかについて学びます。

・Die Gemeinsame Außen- und Sicherheitspolitik der EU(Hauptseminar)
このゼミではEUの外交政治と安全保障政治に関して学びます。特に現在のEUの様子について講義を受けました。

・Lebenslagen in der Wohlfahrtsgesellschaft(Seminar)
このゼミではドイツの社会保障制度や格差社会に関して学びます。

しかし、ドイツのゼミの内容の濃さには手も足も出ませんでした。日本では日本語しかありませんので、資料も限られてきますが、ドイツの歴史なのだから資料は限り無し、その上フランス語や英語の資料まで飛び出してくるのでなす術もありませんでした。ですが、基本的な知識が少しでもあれば、今何に関して講義を受けているのかや、色々な専門語はドイツ語で調べておけば、少しは授業を楽しめると実感しました。このゼミ、どんどん人が減り最後は5人になっていました。そのおかげで、いつも内容はとても濃く苦労しました。

 EUに関するゼミでは、とにかく先生が話し、主な資料は一切なし、一体今日は何について講義を受けるのか、当日になるまでわからないようなゼミでした。それでも現在のEUに関する様々な事柄に関して講義され、ゼミの学生もひっきりなしに先生に質問して討論していました。雰囲気が良く、来期の内容にも興味があるので来学期もこの先生のゼミを取ろうと考えています。

 ドイツの社会保障に関するゼミでは、本当に眠くなりました。辞書に載っていても日本語で理解できないような統計用語ばかり、毎回スライドに映される統計資料、数字ばかりで本当に参りました。さらに、グループ発表と毎回課される100P単位の資料に関するミニレポートを提出しなくてはいけなく(全部のなかから5回の提出ですが)、その資料もさっぱり意味不明で涙が出るほどでした。グループ発表は学生が一緒に手伝ってくれて、無事発表することができました。

ドイツ語の語学学校
 ドイツ語に関しては、初めは大学の語学コースへ行っていました。私は全ての授業(ゼミも含む)をキャンパスデュースブルクで取っていたので、キャンパスエッセン(歴史や語学系のキャンパス)に比べるとレベルや内容が少ないことや、授業の質に関して疑問を持ち、自分でデュッセルドルフにある語学学校へ通うことにしました。その語学学校には日本人が多く通っていますが、丁寧な授業で先生方も親しみやすく、今も継続して通っています。

アルバイト
 ドイツに来る前にインターネットでアルバイトの広告を見つけ、ドイツの大学が始まる前の1週間、デュッセルドルフのメッセでアルバイトをしました。それは大型機械や精密機械の展示会で、私はある日本企業でお客様の接待(普通のウェイトレス)として働きました。一応簡単なドイツ語の通訳という仕事内容もありましたが、それに関してはほとんどなく、日本食を提供する際に少し食べ方の説明などをしました。また将来ドイツで働きたいと話していたら、他の日本の会社の方に紹介していただけるなどの機会を与えてもらい、とても充実したアルバイトになりました。それから大学で日本の経済に関して研究している大学院生の下で、日本企業に電話でアンケートをとるという仕事もしました。この仕事は大体2週間くらいでしたが、会社に電話をかけるという普段なら絶対しないことをさせてもらい、いい社会勉強となりました。

まとめ
アパート暮らしにしたおかげでお金の出費は増えました。家賃に光熱費、インターネット代。しかし、小さいアパートで大家さんが隣に住んでおり、何か困ったことがあると丁寧に対応してくれ、人生で初めて庭の芝刈りも体験しました(契約にあるので)。ただ市内から離れているので交通の便がよくないのが難点です。この半年はドイツに来たことで安心し、のんびりと生活していました。これまでも何度かドイツに来たことがあったので大抵のことには驚きませんでしたが、気まぐれな天候にはまだ慣れません。

 夏休みは2つの課題レポートを仕上げなくてはいけないので特に大きな予定はまだありません。できればドイツ内を少し回り、パリかアムステルダムあたりを旅行したいと考えています。

 冬学期では残りの単位のために2つのゼミを履修する計画です。また興味のある授業をとりたいです。

 最後に、これから留学予定の人への小さなアドバイスですが、獨協大学へ留学しに来ているドイツ人学生と交流しておくことは、こちらへ来てからも大きな助けになってくれると思います。異国に少しでも知り合いがいるということはとても心の支えになると思いますので、積極的に頑張って欲しいと思います。

WS 2007/2008 bis SS 2008 (匿名希望)さんからの体験記
留学生活とはいえ私にとって時間が過ぎるのがとても早く、日本に戻ってきてしまったのが嘘のようです。改めてドイツで過ごした一年間を振り返ると、私の留学は充実していたのかなあと感じます。

デュースブルクでの生活は二年次に参加した短期留学プログラム以来二度目であったこと、これまで多くの獨協の学生が派遣されていること、また出発前に日本で仲良くなったデュースブルクの学生がいたこと等、さほど生活に不便を感じないだろうと考えていましたが、実際は生活していた寮で住む日本人は私だけであること、来たばかりのため友達もおらず現在ほど語学能力がなかったため、住民登録等初めの諸手続きは想像以上のものでした。

 授業は、前期はドイツ語能力の向上を目指し主に語学コースを、後期はそれだけでなく専門知識の向上も目指し専攻であるドイツ文学の授業を中心に履修登録をしました。


欧州サッカー選手権を巨大モニターで観戦しているサポーター

その他文学だけでなくドイツに関する様々な知識を得たかったため、前学期を通じて専門外の授業も聴講していました。ドイツ語での授業はやはり毎回分からない部分が数多くあったため、放課後は友人や担当教授、タンデムパートナーとの勉強会の日々でした。時にはオリエンテーション時に仲良くなったチューターが手伝ってくれることもありました。

私は空き時間は勉強会に費やしていたのでドイツ以外の授業を入れることができませんでしたが、大学では文系・理系ともに多くの授業が行われているので、今となれば私の履修した科目と関連のある他学部の授業も参加できる余裕があったらもっと良かったなと思います。

 タンデムパートナーとはとても相性が良く、勉強の教え合いもあっという間に時間が過ぎ気づいたら5.6時間経っていたというのが日常茶飯事で、時々息抜きで近郊の街へ散策やオランダへ日帰り旅行に出かけていました。そんな彼女も現在日本で留学をしているので、メールや電話で連絡を取り合い色々な話をしています。

休日はよく寮内の友達と市場や散歩に出かけ、一緒にご飯を作って過ごしていました。それに寮は世界各国から留学生が集まっていたため、世界中の友達ができるだけでなく彼らの文化を多方面から垣間見ることができ、私にとってはとても興味深いものでした。また趣味である弓道もドイツで是非続けたいと思い、週に一度ドイツ人の弓道団体に参加し、春の合宿では多くのドイツ人とスポーツによる国際交流を体験することができました。

 外国での生活は楽しいことよりそうでないことの方が断然と多く常に課題の山積みでしたが、それは当り前の事であると思っていたので苦労を「苦労」と感じることは一度もありませんでした。しかし今考えるとそう感じられたからこそ続けられたのであり、留学も成功したのではないかと思います。この一年間は一生の思い出や重要な経験になっただけでなく、私自身をも様々な面で人間的に成長させられたのではないかと思います。

WS 2006/2007 bis SS 2007 廣仲雅美さんからの体験記
夏学期も私は大学が無料で行っているドイツ語コースに参加し、そのほかにヨーロッパ経済、外国語としてのドイツ語教育、旧東西ドイツの文学、歴史の講義に参加しました。

ドイツ語コースはデュースブルク、エッセン大学の両方にありどちらにも参加することが可能です。前回はほとんどがエッセンでした、交通の便、天候の関係で通うことが結構大変でした。今回は交通の便のよいデュースブルクでコースを取ろうとしたのですが、前期、エッセンで教えていた先生がとても丁寧でやはり今回もエッセンで取ることにしました。夏ということもあり特に苦には感じませんでした。

語学コースではプレゼンテーションの仕方やレポートの書き方も学びました。実際にプレゼンテ-ションを行ったことは大変でしたがよい経験になっています。ドイツ語コースに参加していたことで他の外国人学生とも仲良くなりました。イタリア人の学生と仲良くなり週に一回は食事を共にするようにもなりました。そこでお互いの夢を語ったり、日本の紹介、イタリアの紹介を狭い部屋でしたことは本当に今思うと懐かしく思います。

ヨーロッパ経済の講義はデュースブルクで行われました。参加していた学生が少なかったことが印象的でした。最初の授業に資料をコピーするよう指示されたのですが、資料は教授のホームページ上に記載されているのでそれをダウンロードすれば良いのかと思っていたのですが、間違いでした。教授は資料を大学の前にあるコピー屋に置いておくから各自コピーしてきなさいと指示をしていたのです・・・。勘違いしていた私は一人だけ資料がなくパニック状態になりました。しかし近くにいた学生が親切にも、すべてゆっくりと説明してくれたので理解できました。

旧東西ドイツの文学はとても興味深いと思います。旧東ドイツ、旧西ドイツ担当の教授が2人で行っています。戦後の東西文学はとても面白く、表現方法や背景を教授が説明してくれるのでドイツ語が完璧に理解できなくとも、私は理解できているという実感はありました。

後期は、ドイツ語コースや講義だけでなく私の研究テーマについての本も読み知識を深めようと努力をしました。私の研究テーマに関する資料が日本には少なかったので是非たくさん読みたいと思っていました。そのために私は主にエッセンの図書館によく行き勉強しました。

前期はまだドイツ語力がそこまでなかったので辞書を引くことに集中し内容の理解ができませんでした。しかし後期は単語力も前期よりは増え、読むことに関してそこまで苦手意識はありませんでした。それでも難しい表現やわからない部分は友人にわかるまでたずねました。時にはドイツ人学生からも「またか?!」と言われましたがそんな時は「egal」です!やり続けることが大事です。私の友達は親切で大体は内容を噛み砕いて説明してくれたので、本当に助かりました。

今回留学を通して本当にさまざまなことを学びました。留学前まではドイツという言葉の響きに甘美なイメージを抱いていた私ですが、実際現地に住み、自分の目で見て、すべて自分でやることは本当に予想以上大変なことでした。接客一つにしても電話でのアポイントメントをとるにしても日本人と対応の仕方がまったく違うので、時々悲しい気持ちになったり、気分を害した経験も多々ありました。

しかしそこで学んだことは「日本は日本、ここはドイツ。」と割り切って強い気持ちをもつことでした。自分が納得いかないときには「私はそうは思いません。」と一言言うことがドイツでは大切なことだと思います。私はそれが頭でわかっていても最初の4ヶ月は口に出せませんでした。泣いていてもどうしようもないと割り切る、この力をつけたことで大きく成長したと思っています。

これから留学をされるみなさん、また留学を希望しているみなさん、是非その気持ちを行動に移してみてください。行動したことはいつか自分を振り返ったときに足跡としてしっかりと残るものだと私は信じています。自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じることは本で学ぶよりも何十倍も心に残ります。是非がんばってください。

WS 2004/2005 bis SS 2005 宮木裕美さんからの体験記
私は2004年9月から、1年間デュースブルク大学に留学しました。海外に長期滞在をするのは、これが始めての事だったので、最初は困難の連続でした。しかし、たったの1年間という短い期間で、日本ではできない事を多く体験し、勉強に限らずさまざまな物を吸収することが出来たのは私の人生にとって大きな収穫でした。
留学中に知り合った人の中で、"留学の目的は、自分がいかにその滞在国の物を吸収するかという事に重きを置いている人がほとんどだけれども、本当に大切なことはその国に何を残してくることが出来るかだ"という考えを持っている人がいました。これは、私にとってはおもしろい発想で、ぜひ挑戦してみたいと思いました。そして私は、留学中に"自分がドイツに残せる事をする"という事をいつも考えるようにしていました。
今、振り返ってみるとこの目標が、しっかり達成できたかは分かりませんが、それでもこれは、ドイツに残してきたという自信を持っていえる事を、数々得ることが出来たので、私にとってこの留学は成功だったといえます。

その中のひとつエピソードをあげると、ドイツで知り合った友人とその家族と一緒に料理をする機会があり、その時に寿司とお好み焼きを作りました。慣れないドイツ語での、調理方法をその友人たちは真剣に聞いてくれ、見様見まねで作りました。そして、今ではその友人も寿司が一人で作れるようになり、近所の人や知り合いに振る舞い、みんなで楽しく食べている写真が送られて来ました。その時に、今まで日本食を体験したことのない人達が、その友人の作った寿司を食べ、楽しみ、さらに日本の文化に興味を持ったという事を聞きました。
この写真を見た時、私はドイツに少しだけでも日本の文化を残してくることが出来たのだと思い、とても嬉しく感じました。おそらく自分の利益ばかり求め、一年を過ごしていたらこの嬉しさを感じることが出来なかったと思うと、"自分がドイツに残せる事をする"という事を実践してよかったと思います。

大学や授業について・・・
冬学期には、講義を1つと、あとドイツ語の授業を4つ受講していました。まだドイツ語にも、慣れていないせいか、まったく聞き取ることが出来ず、どの授業に出ていてもとりあえず参加するということしか出来なかったのを、今でも覚えています。
講義は、言語学に関するもので、多くのグラフや表を使った資料を使用して進められたので、その資料のテーマだけは、理解できるように辞書を引きながら聞いていました。 また中国からの留学生と、その授業で仲良くなった子がいたので、その子のノートを見せてもらったり、その講義のテーマが簡単に書かれている参考文献を教えてもらったりしながら、参加していました。
ドイツ語の方は、リスニング・文法、それから外国人の為のドイツ語学に出ていました。この外国人の為のドイツ語学では、文学作品や新聞の記事を読み、要約を書くという事が中心の授業でした。ほかにも、文法も取り扱ったので為になりました。
夏学期には、ゼミを一つと、発表の授業、あとドイツ語の授業を2つ受講していました。
ゼミは、ドイツの推理小説の歴史についてで、レポートと、発表をしました。発表前には、同じグループのドイツ人達と、何度もメールで打ち合わせをして準備しました。それから、発表の授業は、ゼミでプレゼンをする為の練習の為の物で、毎回さまざまなテーマに対しての発表をしました。これは、外国人留学生のためだけの授業だったので、間違えやドイツ語力を気にせずに参加でたので良かったです。また、授業の空き時間には、タンデムをしていました。私のタンデムは、女の子でOstasienwissenschaft(東アジア研究学科)で4ゼメスター目の子でした。その子とは、週に1回大学のカフェか図書館で、一緒に宿題や発表の準備をしました。
それから、週末には映画に行ったり、いろいろな所に一緒に出かけたりしていました。タンデムはドイツ語を話す機会が増えるので、いい会話練習になりました。

住居について・・・
私は、ドイツに入ったのが遅かった為、寮の空きがなく、自分で家を探すことになりました。大学のあちこちにはってある、チラシの電話番号に、かたっぱしから電話をかけで、家を探しました。そして、1年間デュースブルクの隣町のミュールハイムに滞在しました。そこでは、インテリアライトを製作している大家さんの仕事場の2階にある部屋を借りて住んでいました。
部屋は、36㎡で家具つき・洗濯機・風呂・トイレ・キッチン完備の完璧な家でした。それなのに、家賃はすべて込みで月250ユーロでした。また大家さんの仕事柄、家には多くのオシャレなライトが付いていたので、ヨーロッパの家の割には、まぶし過ぎるくらい明るい部屋でした。キッチンと、風呂場は共同で、ほかの部屋を借りていたメキシコ人・フランス人・ポーランド人・イタリア人の学生や、インターン生と一緒に使っていました。人の出入りが多い家だったのでいつでも話し相手がいて、楽しく生活することができました。

最後に・・・
一年間何度も挫けそうになり、その時々に励まし支えてくれた友人や家族がいたからこそ、留学生活を無事終えることが出来ました。楽しいこともたくさんありましたが、いつでもどこにいても外国人という孤独がつきまとい、ホームシックになったこともありました。しかし、最後まで走りきることが出来たのは、周りの暖かな関係のお陰だったと痛感しています。留学していた時に得た友人には、支えになってくれた事を、そして両親には、経済面での大きな負担と、それからいつでも日本から見守っていてくれた事を、心から感謝しています。

WS 2004/2005 bis SS 2005 築山 恵さんからの体験記
大学
私はDuisburgに住んでいたのですが、Duisburg大学とEssen大学が統合したのでEssen大学にも電車と地下鉄を乗り継いで授業を受けに行きました。
前期は、講義に参加してドイツ語をたくさん聞いて慣れるように努力しました。聞き取れた単語をノートに書くといったことしかできなかった記憶があります。そのため、東アジア研究の学生がとる日本の地理の授業や大学の語学コースに参加していました。
後期は大学の授業に慣れ、講義だけでなくゼミにも参加をしました。ゼミはドイツの推理小説の歴史をとり、毎週一冊課題の本を読まなければならなかったことが、とても大変でした。一週間という短い期間で、シラーなどの難易度の高い本を読むのは不可能に近く、インターネットで内容がまとめてある物をコピーし辞書を引きながら大体の内容だけは本を読む前に把握し、その後本を読むようにしました。これを繰り返したおかげで本を読むことに対する抵抗感はなくなりました。勿論、私だけのドイツ語力では理解できない部分が多かったので、友達やタンデムパートナーに手伝ってもらってやり遂げることができました。

生活
私は大学から徒歩15分ぐらいの大学の学生寮に住んでいました。部屋は6人WGだったのですが、諸事情で8人一緒に共同生活していました。ロシア人2人、ブルガリア人2人ウクライナ人、中国人、パキスタン人、そして私でした。

最初はドイツに留学したのに同じルームメイトにドイツ人がいなかったので少し残念に思いましたが、今思うとほんとにルームメイトには恵まれたと思います。とても仲が良く一緒にご飯を食べたり買い物に行ったり、スポーツをしたり、私にとっては家族のような存在でした。私が、一年間寂しい思いをしなかったのはいつでもルームメイトの笑顔を見られたからです。これから留学する人たちに、私は寮生活をお勧めします。

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留学を終えて
留学中は日本人とあまりかかわらないようにした、という話をたまに聞きますが、私は正反対でした。日本人の先輩留学生や同時期に留学した友達に支えられて一年間をすごしてきました。いくらドイツに一年住んで生活に慣れても私はあくまでも日本人で外国人です。外国人として生きるということは、けして楽なことではありません。その中で同じ国から来た人たちと交流することはとても大切なことだと思います。
私は留学中、東アジア研究学科の生徒の日本語のテストの採点のバイトと、日本語の先生の赤ちゃんの世話をするベビーシッターのバイトをしました。バイトを通して知り合ったドイツで長く住む日本人の人たちとの交流の中でもさまざまなことを学びました。短期間の旅行では見えてこない外国人として生きる厳しさも感じました。

この留学を通して出会ったすべての人、留学の相談にのってくださった先生方そして留学の機会をくれた両親に心から感謝しています。ありがとうございました。

SS 2004 bis WS 2004/2005 村越里美さんからの体験記
1年間の留学は、「これほど早く過ぎていくものなのか」と思うくらいすぐでした。でもその内容が濃かったために日本に帰ってきてとても不思議な感じがしました。「私は本当に留学したのかな?」 目をつぶれば、いまだに私はドイツにいたときの情景が思い出されます。

デュースブルクは大きな町ですが、はっきり言ってしまうとこれといって特に何かあるわけではありません。駅をはさんで大学側の方は大体が住宅街になっていてとても静かです。夜8時過ぎには外を歩いている人はほんのわずかなぐらいで、まったく危険を感じませんでした。暮らすにはとても良い環境だと思います。デュースブルクを少し離れるとエッセンやデュッセルドルフ、もう少し離れるとケルンまで行けますので、地理的にも良いところだと思います。

大学の中でよく足を運んだのは図書館でした。図書館の中で勉強をするということはお恥ずかしながらあまりできませんでしたが、よく本を借りていました。99冊まで借りられ、しかも最長5ヶ月間延長できます(その本を借りたい人がいれば大変迷惑な話ですが)。東アジア研究学科生のための日本語や中国語による本などさまざまな書籍がありました。発表やレポートの準備などで本当にお世話になりました。またインターネットやビデオ視聴もできますので、とても便利でした。また友達と会う約束するときによく使っていたのが、U-Caféです。学食などでご飯を食べた後や授業の合間などに学生たちが足を運びコーヒーを飲んだりお友達とお話したりします。いつもたくさんの人がいてとてもにぎやかでした。

後期でも授業についていくのはとても厳しいものでした。自分の専門分野(歴史)にだけ絞って4コマとりました(Vorlesung1コマ、Übung2コマ、Hauptseminar1コマ)が、特にあるÜbungという授業での先生と学生たちの討論はまったくと言っていいほど何を話しているのか分かりませんでした。


誕生日会にて

ドイツ語で話しているはずなのに、ドイツ語ではないような感じでした。これに関しては本当に後悔ものでした。Hauptseminarでは発表が時間が合わずにできなかったので、レポートを提出しました。帰る直前ぎりぎりに先生に提出したにも関わらず、すぐ添削してくださって何とか単位をいただけたのがうれしかったです。

留学期間中でとても楽しかったことはドイツ国内、あるときは国外まで足を伸ばして旅行したことや、友達といっしょにご飯を食べたりしたことです。旅行には格安チケットでフランスに行ったり、ベルギーに行ったりしました。ドイツはヨーロッパの真中に位置していますので、旅行するにはとてもいいところだと思います。ドイツ国内にもさまざまなところに行ってきました。

おすすめシーズンは6月と11月下旬から12月にかけてです。6月あたりは23時あたりまで明るいですので、旅行にでかけるのに最適です。気候的にもとてもいい時期だと思います。また11月の真中頃からすでにクリスマス一色になります。ドイツ各地でクリスマスマーケットが開かれ、そこで飲むGlühweinは最高です。お土産にGlühweinのカップを持ち帰るのもいいと思います。私も4つほど手に入れました。

また、私が住んでいた寮は大きな地下室があって普段は卓球台があって友達と卓球して遊んだりしていましたが、たまにそこでパーティが開かれました。友達と一緒に誕生日パーティを開いたり、最後にお別れパーティを開いたりするのにも地下室が大活躍しました。寮にはいろいろな国から来た学生がいまして、パーティなどを通してたくさんの人と知り合いました。私は特に卓球が好きなので卓球を通して友達ができました。同じの寮に住んでいる友達同士でご飯を一緒に食べたりするのもとても楽しかったです。私がこの寮で本当によかったと思うひとつは同居人です。2人でトイレと台所を共同する部屋に住んでいたのですが、私のポーランド人の同居人が本当にいい人で(しかもきれい好きな人で)とても快適に1年間を過ごすことができました。お互いにお互いの言語を教えあったり、彼女の実家に遊びに行ったりしてとても仲良くなりました。彼女が同居人で本当に幸せでした。

ドイツから帰ってきて感じたことは前にも述べたようにとても不思議な感覚でした。ドイツに行く前はドイツでの生活がまったく想像できませんでしたが、ドイツを去る直前はドイツから帰国した後の生活がまったく想像できませんでした。いろいろなところへ行き、いろいろなことを経験し学び、多くの人から支えられ、日本とはまったく違う感覚で過ごした1年間は自分にとってとても貴重だと思います。細かく見ていけば、反省しなければいけないところも多々あります(たとえば学業の面とか)。でも全体的にみて大成功とはいえないまでも、すばらしいものであったと思います。またドイツに行きたいと心から思える留学でした。

留学は学業も大事ですが、それだけではありません。違う文化の中で1年間生活すること自体がすでに学ぶべき価値のあることです。後悔のないように自分の納得のいくような時間を過ごせたら一番いいことだと思います。

SS 2004 bis WS 2004/05 東風谷太一さんからの体験記
 知り合いから届いた年賀状に、「朝起きて戸を開ければ、餓ゑ凍えしすずめの死にたるも哀れなり、というぐらいだから寒いでしょう。」という文句が書いてありました。

 Duisburgの属するNordrhein-Westfalen州に限って言えば日本でと同じ格好で外に出れば「餓ゑ凍え」る心配はありません。「死にたる」恐れは日本にいるときと変わらないでしょう。

 毎日見渡す限り、砂の混じった石灰のような空にウツウツとして、歩けば自然にうつむいてしまう程の寒さにサブイボが立つ程度です。もちろん吐息が、白くなります。

 Nick Caveは最近、イギリスの海辺の家に生きながら天気をコントロールするスベを身に付けたそうですが、それが意識の問題としても、その境地に至るには一年という時間は充分すぎる事はないはずです。Nick Caveでさえ三年かかったそうですから。

 天気が人間にかなりの影響を与えると知ったのは、ドイツにおいてのことです。一年の半分以上の日中を太陽の下で暮らし続ける人間にはなかなか実感できないことです。ああ、でも東北出身の人にならすぐにわかってもらえるのかもしれない。あるいは梅雨が三、四ヶ月続いたと言えばいいのかな。とすれば「死にたる」恐れはドイツのほうが高いのかもしれない。

 日本国内の自殺率を曜日ごとに計算すると、月曜日が一番高くなるそうですが、梅雨の間も高くなると言う話を昔どこかで読みました。それからヨーロッパの中で一番自殺率の高いアイスランドでは、冬の間四、五ヶ月間全き曇り空と吹雪の中に閉じ込められるそうです。

 いずれにしても一度ガイジンになってみるのは必要なことです。ドイツに住めば僕はガイジンになります。生活がガラリとキシンダオトを立てて変わります。スーパーでカートを使うのに1ユーロか50セント玉が要ります。肉は血抜きしていないので血腥いです。サトイモを一個買うのに不定刻な電車に乗らねばなりません。レジを打っている人間はイスに座っています。たいがいカムプフベライトです。ビニール袋はタダではもらえません。

 そんな中で言葉が通じません。大学の講義なんて始めはほとんどわかりません。だから眠くなります。だから、講義の数はまずは絞ったほうがいいかもしれない。

 そんな中でヒキコモリたくなったり、外に出るのが怖くなるのは自然なことなのかもしれません。言葉の通じない人間に会うのが恐ろしくなるのはむしろ自然なことなのかもしれません。ただし、そこから脱け出そうとするのも自然なことなのかもしれない。成功するかどうかはまた、別の問題です。見る前に跳んでしまったほうが適当なときもあります。

  ヨーロッパは狭い。日本と同じぐらい狭い。その中でどの国の人間も多く、「俺は~人だ!」って肩肘張って生きています。その中でガイジンになるのは楽しいですよ。

 バルセロナはケルンから飛行機で一時間です。観光シーズンでも片道60~70ユーロです。billigflugnetzとgoogle.deなりaolで検索すればすぐに安いチケットが手配できます。恋人や友達と旅行するなら、ユースホステルなんてミミッチイ、小汚い、狭くて暗い宿ではなく、ツーリスト用のアパートを借りたほうが安いことが多いです。ガウディものの尖塔がにゅう、と、窓の外から目に飛び込んできたりします。ユースにとまらなくても、夜飲みに出れば知り合いは出来ます。無理して酒飲まなくても大丈夫です。

 それから、クラクフからドレスデンまで行く途中、"ちょっとマックよってく?"という具合にプラハに寄って行くことが出来ます。dbとgoogleで検索すればドイツ国内の時刻表が料金情報もあわせて一分かからずに手に入ります。国外のものなら駅のReise-Zentrumで訊くと調べてもらえます。機嫌がよければ。

 保険はTK - Techniker Krankenkasseのほうがいいかもしれません。AOKよりも5ユーロぐらい安いし、解約するとき学籍を抜いたという証明書が要りません。住民登録やVisumの取得は焦る必要はありません。日本で発行されてるドイツ関係の情報本の記載は、外国人局の役人と同じくらい嘘八百です。だから心配することはありません。それでも焦ります。

 意味のわからないドイツ語の単語や文章をドイツ語が達者な人に訊いても結局わからないことが多々あります。でもそれは、その人の説明の仕方が悪いからということが多々あります。

 書籍はamazon.deかbpb.de ― bundeszentrale für politische bildungで買うのがお得です。
 銀行の口座を開くときはドイツ人と一緒に行ったほうが迅速に済みます。ガイジンだからです。日本と変わりません。
 今喋りたいこととドイツ語の文法を同時に考えることは出来ません。人間だからです。

  最後に、さまざまな場面で助けてくれた人たちありがとう。  

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