5月12日(金)山田和樹 指揮 東京都交響楽団/東京混声合唱団、武蔵野音楽大学合唱団、東京少年少女合唱隊
【三善晃生誕90年/没後10年記念:反戦三部作】
第975回定期演奏会Aシリーズ
東京文化会館
【曲目】
1.三善 晃/混声合唱とオーケストラのための《レクイエム》(1972)
2.三善 晃/混声合唱とオーケストラのための《詩篇》(1979)
3.三善 晃/童声合唱とオーケストラのための《響紋》(1984)
三善晃の生誕と没後のアニバーサリーを期して「反戦三部作」を取り上げた都響定期を聴いた。2020年5月に予定されていた演奏会の延期公演という位置づけもあったようだが、アニバーサリーやコロナ騒動終結という新たな意味が加わった演奏会は、超満員の聴衆の一人として深く心に刻まれた。それは、戦争の悲惨さ、むごさを自ら体験した三善が、戦争に真正面から向き合い、自らの命を削りながら書いた強烈な叫びの音楽に、山田、都響、合唱団が一丸となって全身全霊で臨んだ結果とも云えよう。
どの作品も生半可な気持ちで向き合うことはできなかったが、最初の「レクイエム」はとりわけ壮絶だった。地獄絵図とか最後の審判の煉獄の描写も足元に及ばないほどの厳しさで、戦争がいかに残酷なものであるかを叫び続け、その渦中へと引きずりこんだ。本来のレクイエムは、煉獄の後に死者の平安への祈りがあるが、ここには死者に対してさえ一縷の救いも祈りもなく、オーケストラと合唱は、これでもかというほどに戦争がもたらす残酷さを半狂乱の叫びや嗚咽で、激しく重く、魂をえぐり取るように生々しく表現した。息も出来ないほどの極度の緊張を強いられる音楽、そして演奏だ。
続く「詩篇」でも「レクイエム」と同様に攻撃の手綱を緩めることはない。混沌、炸裂、狂気・・・ 「もうやめて!」と叫びたくなるほど聴くことが辛いが、逃げることを許さない大きな力が働く。そんな壮絶な音楽が「ゆれあっている」で始まる第8章で、美しく豊潤なハーモニーを湛えた歌を歌い始める。しかしこれも異様な盛り上がりで不穏な空気が広がり、激情へと高まり、希望や祈りは怒涛に虚しく呑み込まれ、最後は、まるで骨が打ち鳴らされているような空虚で殺伐とした光景をイメージする音像で消えていった。
そして最後に演奏された「響紋」。児童合唱による「かごめかごめ」と、暴力的な管弦楽との対比。子供達の純真無垢で清らかなで淡々とした歌声は、この世のものではなく、喪われた命を象徴しているように不気味に迫って来た。管弦楽がどんなに暴れ、絶叫してそれをかき消そうとしても、子供達は何も聴こえていないかのようにわらべ歌を永遠に歌い続ける。最後の「うしろのしょうめん だぁれ」は、愚かな戦争に加担した人たち全てに向けられた呪いの言葉のように響いた。
三善晃が命がけで生み出した音楽は、聴く方も相当な覚悟と強い精神力を要するが、演奏する側にとっては、更に過酷な精神力が必要だろうし、音もリズムも表現方法も全てが尋常ならざる音楽を演奏するパワーとスキルは、誰もが持ち合わせているものではないだろう。そんな音楽を一度に3作も取り上げ、これほど強烈なインパクトを与えた都響、児童合唱を含む3つの合唱団、そして、これをまとめ上げた指揮の山田和樹には、最大限の賛辞と敬意を捧げたい。
三善作品での、こうした凄い演奏は過去にも経験していて、いつも強烈な衝撃を受けている。2004年に沼尻竜典/東フィルで「レクイエム」を聴いたときに書いた感想を読み返すと、その時の衝撃の大きさが綴られ、「周囲に泣いている人が何人もいた」とも書いていた。演奏者はこの作品を取り上げることを決めた時点で、もう後には引けず、人生を賭けるほどの特別な思いとエネルギーを注ぎ込んで臨むしかなく、そのため常に稀有の演奏が実現するのではないだろうか。これらの作品は世界でも繰り返し演奏してもらいたいが、そうやすやすと同じレベルとテンションの演奏ができる音楽ではないとも思った。
三善晃のようなタイプの作品は、今後生まれることはないかも知れない。そして、国家が犯した過ちに、全身全霊で声高に抗うこのような音楽が、権力に抵抗することを「昭和の古い人たちのやること」と考える人が多いと云われる今の若い世代の人たちの心にどのように響いたかは少々気になるところだが、いつの世であっても、こうした音楽への共感の精神を失ってはならないだろう。
三善晃 追悼コンサート 2015.2.6 東京オペラシティ
N響 2021年12月B定期(山田和樹 指揮)2021.12.16 サントリーホール
NISSAY OPERA 2017 オペラ『ルサルカ』(山田和樹 指揮)2017.11.12 日生劇場
柴田南雄 《ゆく河の流れは絶えずして》(山田和樹 指揮)2016.11.7 サントリーホール
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どの作品も生半可な気持ちで向き合うことはできなかったが、最初の「レクイエム」はとりわけ壮絶だった。地獄絵図とか最後の審判の煉獄の描写も足元に及ばないほどの厳しさで、戦争がいかに残酷なものであるかを叫び続け、その渦中へと引きずりこんだ。本来のレクイエムは、煉獄の後に死者の平安への祈りがあるが、ここには死者に対してさえ一縷の救いも祈りもなく、オーケストラと合唱は、これでもかというほどに戦争がもたらす残酷さを半狂乱の叫びや嗚咽で、激しく重く、魂をえぐり取るように生々しく表現した。息も出来ないほどの極度の緊張を強いられる音楽、そして演奏だ。
続く「詩篇」でも「レクイエム」と同様に攻撃の手綱を緩めることはない。混沌、炸裂、狂気・・・ 「もうやめて!」と叫びたくなるほど聴くことが辛いが、逃げることを許さない大きな力が働く。そんな壮絶な音楽が「ゆれあっている」で始まる第8章で、美しく豊潤なハーモニーを湛えた歌を歌い始める。しかしこれも異様な盛り上がりで不穏な空気が広がり、激情へと高まり、希望や祈りは怒涛に虚しく呑み込まれ、最後は、まるで骨が打ち鳴らされているような空虚で殺伐とした光景をイメージする音像で消えていった。
そして最後に演奏された「響紋」。児童合唱による「かごめかごめ」と、暴力的な管弦楽との対比。子供達の純真無垢で清らかなで淡々とした歌声は、この世のものではなく、喪われた命を象徴しているように不気味に迫って来た。管弦楽がどんなに暴れ、絶叫してそれをかき消そうとしても、子供達は何も聴こえていないかのようにわらべ歌を永遠に歌い続ける。最後の「うしろのしょうめん だぁれ」は、愚かな戦争に加担した人たち全てに向けられた呪いの言葉のように響いた。
三善晃が命がけで生み出した音楽は、聴く方も相当な覚悟と強い精神力を要するが、演奏する側にとっては、更に過酷な精神力が必要だろうし、音もリズムも表現方法も全てが尋常ならざる音楽を演奏するパワーとスキルは、誰もが持ち合わせているものではないだろう。そんな音楽を一度に3作も取り上げ、これほど強烈なインパクトを与えた都響、児童合唱を含む3つの合唱団、そして、これをまとめ上げた指揮の山田和樹には、最大限の賛辞と敬意を捧げたい。
三善作品での、こうした凄い演奏は過去にも経験していて、いつも強烈な衝撃を受けている。2004年に沼尻竜典/東フィルで「レクイエム」を聴いたときに書いた感想を読み返すと、その時の衝撃の大きさが綴られ、「周囲に泣いている人が何人もいた」とも書いていた。演奏者はこの作品を取り上げることを決めた時点で、もう後には引けず、人生を賭けるほどの特別な思いとエネルギーを注ぎ込んで臨むしかなく、そのため常に稀有の演奏が実現するのではないだろうか。これらの作品は世界でも繰り返し演奏してもらいたいが、そうやすやすと同じレベルとテンションの演奏ができる音楽ではないとも思った。
三善晃のようなタイプの作品は、今後生まれることはないかも知れない。そして、国家が犯した過ちに、全身全霊で声高に抗うこのような音楽が、権力に抵抗することを「昭和の古い人たちのやること」と考える人が多いと云われる今の若い世代の人たちの心にどのように響いたかは少々気になるところだが、いつの世であっても、こうした音楽への共感の精神を失ってはならないだろう。
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