4月19日(木)小林研一郎指揮 NHK交響楽団
東京文化会館
【曲目】
1.バルトーク/ヴァイオリン協奏曲第1番
Vn:竹澤恭子
2.ベルリオーズ/幻想交響曲 Op.14
サントリーホールが改修工事の間、B定期の代わりに「東京文化会館公演」と銘打って、東京文化会館での公演が3ヶ月分行われる。今夜はその最初のプログラムの2日目。コバケンがN響を振るということでとても楽しみでもあり、ちょっと不安でもあったが…
まずは竹澤恭子をソロに迎えてのバルトークのコンチェルト。竹澤恭子のヴァイオリンの第一声から充実した濃厚な音が響き、妖艶とさえ言える粘りのある歌が綴られていった。ヴィオラの音を想わせることもあるようなその深い響きで柔らかく、たっぷりと歌い、滑らかで彫りのある線を描いて行く。それにしっとりと絡みつくようなオーケストラの弦の合奏も、そこから浮かび上がるオーボエをはじめとした木管のソロも素晴らしい。
竹澤さんは昔から濃厚な表現に魅力があったが、今夜久々に聴いてその魅力は一層深みを増し、色香を濃くしてきているのを感じた。
終演後、N響の楽員はみんな笑顔で竹澤さんに拍手を送っていて、竹澤さんとN響はとても「仲良し」のような雰囲気。
後半の「幻想」。コバケンはこの表題付きシンフォニーの意味をとことん突き詰め、そこに非日常のドラマ性を表現しようとしていたように感じた。その結果、一つ一つの表現が誇張され、場合によっては故意に歪められ、魂の奥深くに潜むものをえぐり出すようにデモーニッシュなものが強調される。例えばデュトワとかのスマートでかっこいい演奏とは対極にあるような演奏だ。
ただ、コバケン/N響のこのアプローチは必ずしもうまく行っていないように感じた。何だか思いっきり伸びをして飛び跳ねたいのに天井が低くて思うように手足をのばせないような、何かに縛られているような欲求不満にも似た気分をしばしば味わったのは僕だけだろうか?「ここではもっと伸びやかで切れ味の良いN響サウンドが聴きたい」なんて思っている僕にとっては、この曲の表題的なドラマ性を強調しようとしているコバケンのアプローチが反ってマイナスに感じてしまうのだ。
とは言え、終楽章で化け物たちがおどろおどろしく大騒ぎするような「狂気」の饗宴では、コバケンの真骨頂をN響が見事に体現したような演奏で迫ってきて、この指揮者とN響の可能性を見せてくれた。
終演後の聴衆の反応はN響の定期ではあり得ないようなすごい盛り上がりでちょっと取り残されたような気分… オケをパート毎にそれぞれ立たせて拍手を送る「コバケンスタイル」をやっていたが、弦をセクション毎に立たせているコバケンに対して、コンマスの堀さんが腕を振って弦全員を立たせようとしたり、常に団員を前面に、自らはステージの袖で控えめに立つコバケンを堀さんが「いいから真ん中に来て下さいよ」みたいな感じで呼び寄せて、とっととオケはそのあと解散してしまうあたりは、N響らしいというか堀さんらしいというか… でも堀さんもずっとにこやかで、会場全体からも温かな空気を感じたのはやっぱりコバケンの人柄だろうか。
東京文化会館
【曲目】
1.バルトーク/ヴァイオリン協奏曲第1番
Vn:竹澤恭子
2.ベルリオーズ/幻想交響曲 Op.14
サントリーホールが改修工事の間、B定期の代わりに「東京文化会館公演」と銘打って、東京文化会館での公演が3ヶ月分行われる。今夜はその最初のプログラムの2日目。コバケンがN響を振るということでとても楽しみでもあり、ちょっと不安でもあったが…
まずは竹澤恭子をソロに迎えてのバルトークのコンチェルト。竹澤恭子のヴァイオリンの第一声から充実した濃厚な音が響き、妖艶とさえ言える粘りのある歌が綴られていった。ヴィオラの音を想わせることもあるようなその深い響きで柔らかく、たっぷりと歌い、滑らかで彫りのある線を描いて行く。それにしっとりと絡みつくようなオーケストラの弦の合奏も、そこから浮かび上がるオーボエをはじめとした木管のソロも素晴らしい。
竹澤さんは昔から濃厚な表現に魅力があったが、今夜久々に聴いてその魅力は一層深みを増し、色香を濃くしてきているのを感じた。
終演後、N響の楽員はみんな笑顔で竹澤さんに拍手を送っていて、竹澤さんとN響はとても「仲良し」のような雰囲気。
後半の「幻想」。コバケンはこの表題付きシンフォニーの意味をとことん突き詰め、そこに非日常のドラマ性を表現しようとしていたように感じた。その結果、一つ一つの表現が誇張され、場合によっては故意に歪められ、魂の奥深くに潜むものをえぐり出すようにデモーニッシュなものが強調される。例えばデュトワとかのスマートでかっこいい演奏とは対極にあるような演奏だ。
ただ、コバケン/N響のこのアプローチは必ずしもうまく行っていないように感じた。何だか思いっきり伸びをして飛び跳ねたいのに天井が低くて思うように手足をのばせないような、何かに縛られているような欲求不満にも似た気分をしばしば味わったのは僕だけだろうか?「ここではもっと伸びやかで切れ味の良いN響サウンドが聴きたい」なんて思っている僕にとっては、この曲の表題的なドラマ性を強調しようとしているコバケンのアプローチが反ってマイナスに感じてしまうのだ。
とは言え、終楽章で化け物たちがおどろおどろしく大騒ぎするような「狂気」の饗宴では、コバケンの真骨頂をN響が見事に体現したような演奏で迫ってきて、この指揮者とN響の可能性を見せてくれた。
終演後の聴衆の反応はN響の定期ではあり得ないようなすごい盛り上がりでちょっと取り残されたような気分… オケをパート毎にそれぞれ立たせて拍手を送る「コバケンスタイル」をやっていたが、弦をセクション毎に立たせているコバケンに対して、コンマスの堀さんが腕を振って弦全員を立たせようとしたり、常に団員を前面に、自らはステージの袖で控えめに立つコバケンを堀さんが「いいから真ん中に来て下さいよ」みたいな感じで呼び寄せて、とっととオケはそのあと解散してしまうあたりは、N響らしいというか堀さんらしいというか… でも堀さんもずっとにこやかで、会場全体からも温かな空気を感じたのはやっぱりコバケンの人柄だろうか。
「幻想」、とても面白く感じました。
東京文化会館のほうが、座席数が多いとはいえ、大分空席が多かったようでしたね。