9月20日(日)バッハ・コレギウム・ジャパン 第139回定期演奏会
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
バッハ/ミサ曲ロ短調 BWV232
【演 奏】
S:澤江衣里、松井亜希/A:布施奈緒子/T:西村 悟/B:加耒 徹
鈴木優人指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
先月の感動の「マタイ」に続き、BCJでバッハのもう一つの大作、ロ短調ミサを聴いた。昨日からイベントの観客数の制限が緩和されたが、今日はこれまで通りの半数の座席が販売され、チケットは完売で聴衆もほぼ満席。ステージは先月の公演と同様に合唱が最前列でオケは後ろに整列。違いは合唱が2列になっていたのと、前回は沢山立っていたアクリル板が見当たらなかったこと。検証に基づいた緩和なのかも。
今回も、この配置によるマイナス面は全く感じることのない濃密で充実した演奏となった。終始耳を引き心に響いたのは、緻密でかつ生き生きと練り上げられた極上の響き。まるで教会のチャペルにいるような気分になるのは、単なるホールの音響の問題だけではなく、演奏自体がそんな光をもたらしたからだろう。
優人さんの指揮するロ短調ミサは、ゆっくり目のテンポで誠実にバッハの音楽に向き合い、バッハが音楽に託した信仰のメッセージを丁寧に伝えて行く姿勢。気負いや、何か凄いことをやってやろうというはったりはなく、おおらかな幸福感で音楽が伸びやかに息づき、それがホールの隅々まで届いていった。はっきりと深く発音される言葉には演奏者の思いが託され、命が与えられ、「祈り」や「懇願」、「賛美」が聴き手にリアルに伝えられた。
ただ、刺激やアグレッシブな態度が控え目だったことで、例えば「クルチフィクスス」ではもっと激しい「痛み」が伝わってもいいのではとか、「ドナ・ノービス・パーチェム」では派手なぐらい高らかに平和の賛歌を歌い上げてもいいのにといった、強烈なメッセージ性やドラマ性を求める自分もいた。雅明氏だったらどんなロ短調ミサを聴かせてくれただろうかという思いも残った。
以下はソリスト達について。色香を湛え艶やかな歌を聴かせた澤江さん、繊細で透明感のある歌で慈しみを伝えた松井さん、艶と輝きのある美声で光を届けた西村さん、焦点をぴたりと定め、聴き手の心に深く楔を打ち込んできた加耒さん、皆が素晴らしかった。そしてアルトの布施さんは、先月のマタイでの異例の女性アルトとして出演した素晴らしい歌唱が印象に残ったこともあって注目していたが、今回も格調を具えた温かな歌唱から、切々と憐れみを求める敬虔な姿を伝え、とりわけ「アニュス・デイ」の時間が止まったような弱音の静けさから伝わる深い祈りは絶品だった。
グローリアのバスのソロで共演したコルノ・ダ・カッチャ(ホルン)の神々しい演奏にも聴きホレた。ピリオド楽器が使われ始めた当時、この楽器が登場して可哀そうなほど音を外し、わざわざ演奏困難なピリオド楽器を使う意味を疑った頃とは隔世の感あり。メンバー表には日高剛氏の名前、N響のプレイヤー?と思ったが、N響にはもう在籍していなかった。N響会員なのにメンバーの入れ替わり情報に疎いのは、会員への団員情報がないがしろにされているせい(グチ)。
BCJの演奏会では歌詞対訳を無料配布して欲しいと常々思っていたが、前回のマタイでは字幕を出してくれ、今回は歌詞対訳が配られた。単語に番号を振って単語レベルでの理解ができたことは、音楽への共感に大いに役立った。これは是非今後も続けてほしい。
鈴木雅明/BCJの「マタイ」 (2020.8.3 東京オペラシティコンサートホール)
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東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
バッハ/ミサ曲ロ短調 BWV232
【演 奏】
S:澤江衣里、松井亜希/A:布施奈緒子/T:西村 悟/B:加耒 徹
鈴木優人指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
先月の感動の「マタイ」に続き、BCJでバッハのもう一つの大作、ロ短調ミサを聴いた。昨日からイベントの観客数の制限が緩和されたが、今日はこれまで通りの半数の座席が販売され、チケットは完売で聴衆もほぼ満席。ステージは先月の公演と同様に合唱が最前列でオケは後ろに整列。違いは合唱が2列になっていたのと、前回は沢山立っていたアクリル板が見当たらなかったこと。検証に基づいた緩和なのかも。
今回も、この配置によるマイナス面は全く感じることのない濃密で充実した演奏となった。終始耳を引き心に響いたのは、緻密でかつ生き生きと練り上げられた極上の響き。まるで教会のチャペルにいるような気分になるのは、単なるホールの音響の問題だけではなく、演奏自体がそんな光をもたらしたからだろう。
優人さんの指揮するロ短調ミサは、ゆっくり目のテンポで誠実にバッハの音楽に向き合い、バッハが音楽に託した信仰のメッセージを丁寧に伝えて行く姿勢。気負いや、何か凄いことをやってやろうというはったりはなく、おおらかな幸福感で音楽が伸びやかに息づき、それがホールの隅々まで届いていった。はっきりと深く発音される言葉には演奏者の思いが託され、命が与えられ、「祈り」や「懇願」、「賛美」が聴き手にリアルに伝えられた。
ただ、刺激やアグレッシブな態度が控え目だったことで、例えば「クルチフィクスス」ではもっと激しい「痛み」が伝わってもいいのではとか、「ドナ・ノービス・パーチェム」では派手なぐらい高らかに平和の賛歌を歌い上げてもいいのにといった、強烈なメッセージ性やドラマ性を求める自分もいた。雅明氏だったらどんなロ短調ミサを聴かせてくれただろうかという思いも残った。
以下はソリスト達について。色香を湛え艶やかな歌を聴かせた澤江さん、繊細で透明感のある歌で慈しみを伝えた松井さん、艶と輝きのある美声で光を届けた西村さん、焦点をぴたりと定め、聴き手の心に深く楔を打ち込んできた加耒さん、皆が素晴らしかった。そしてアルトの布施さんは、先月のマタイでの異例の女性アルトとして出演した素晴らしい歌唱が印象に残ったこともあって注目していたが、今回も格調を具えた温かな歌唱から、切々と憐れみを求める敬虔な姿を伝え、とりわけ「アニュス・デイ」の時間が止まったような弱音の静けさから伝わる深い祈りは絶品だった。
グローリアのバスのソロで共演したコルノ・ダ・カッチャ(ホルン)の神々しい演奏にも聴きホレた。ピリオド楽器が使われ始めた当時、この楽器が登場して可哀そうなほど音を外し、わざわざ演奏困難なピリオド楽器を使う意味を疑った頃とは隔世の感あり。メンバー表には日高剛氏の名前、N響のプレイヤー?と思ったが、N響にはもう在籍していなかった。N響会員なのにメンバーの入れ替わり情報に疎いのは、会員への団員情報がないがしろにされているせい(グチ)。
BCJの演奏会では歌詞対訳を無料配布して欲しいと常々思っていたが、前回のマタイでは字幕を出してくれ、今回は歌詞対訳が配られた。単語に番号を振って単語レベルでの理解ができたことは、音楽への共感に大いに役立った。これは是非今後も続けてほしい。
鈴木雅明/BCJの「マタイ」 (2020.8.3 東京オペラシティコンサートホール)
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大切な情報をありがとうございます。
会場で布施さんが歌っている姿を見たときは、マタイのときと同じ人だと思ったのですが、
自分のブログを確かめたら高橋さんと書いてあったので、こちらにもそう記してしまいました。
マタイの感想と一緒に訂正しました。
マタイは僕も夜公演でしたが、アナウンスに気づきませんでした。助かりました!
それにしても当日のマタイで配られたソリストのメンバー表にも、
今HPを見ても布施さんの名前がないのはなぜでしょうね…
それはそれとして、素晴らしい演奏会でしたね!