11月6日(火)ファジル・サイ(Pf)
ヤマハホール
【曲目】
♪ ショパン/ノクターン 第19番ホ短調 Op.72-1
♪ ショパン/ノクターン 第20番 嬰ハ短調 (遺作)
♪ ショパン/ノクターン 第21番 ハ短調 (遺作)
♪ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第23番へ短調「熱情」Op.57
♪ ドビュッシー/前奏曲集 第1集 より
i)デルフィの舞姫たち iii)野を渡る風 iv)音と香りは昨夜の大気に漂う
viii)亜麻色の髪の乙女 x)沈める寺 xi)パックの踊り xii)ミンストレル
♪ サイ/ピアノ・ソナタ 「ゲジ・パーク2」
【アンコール】
ファジル・サイのオリジナル曲?を2曲
10年前に聴いたリサイタルは、アグレッシブでジャジーな感覚や即興性が冴え、ライブならではの醍醐味を味わった印象があり、響きの良いヤマハホールでリサイタルをやるというので、久々にファジル・サイを聴きに出かけた。
最初のショパン、1曲目は、じわっと湧いてくる温かな音の立体的な響きに引き込まれた。2曲目、3曲目と聴いていくうちに、ピアニストの極端な「近さ」を感じるようになった。顔がくっつくぐらいの近さで、弱い息まで肌にかかるのが感じられるほど。そして、有無を言わせず大きな腕でぎゅーっと抱きしめられ、サイの紅潮した体温がじかに伝わってくる感覚。ショパンの内面性が滲み出た晩年の作品が、熱くリアルに迫ってきた。
ベートーヴェンの「熱情」で、サイは一段とその「本領」を発揮する。アグレッシブの極みのような「熱情」。強烈で重い打鍵は弦が切れるのではと思うほどの音圧でガンガンと挑んでくる。第2楽章だって容赦はない。赤々と熾る炭が、しばしば大きな炎を上げる。第 3楽章は言わずもがな。アグレッシブなアプローチ自体はいいとしても、アゴーギクやディナミークの扱いに唐突さを感じたり、スケールやアルペッジョが不揃いだったり、声部のバランスに疑問を感じたり、ジャズ風のビートが聴こえてきたり… 圧倒されはしたが、サイがこの演奏でベートーヴェンの何を伝えたいのかがよくわからなかった。
後半のドビュッシーでもサイのアプローチは変わらない。「デルフィの舞姫たち」は、霧もやに包まれた情景ではなく、迫りくる入道雲だし、「沈める寺」は、町の上に鳴り響く鐘の音ではなく、鐘楼に昇っていて突如耳元でけたたましく打ち鳴らされる鐘だ。最後の「ミンストレル」は、ジャジーな感覚が冴えたごきげんなダンスっぽい演奏を期待したが、大きくテンポを揺らし、間合いを取る演奏では、踊るに踊れない。何を弾くにも、空いている腕を使って(時に両腕)指揮するような素振りが、儀式を執り行う教祖のようにも見えて、視覚からのイメージが煩わしい。サイのピアノは常に熱くて近く、松岡修造も顔負けのアグレッシブの塊のような演奏だ。
最後の自作のソナタは、祖国の内乱の悲惨な状況を描いた作品ということで、爆音と叫び声が入り乱れるカオスのような音楽。メッセージ性は強烈だが、常に両肩をつかまれて揺すられ、絶叫を聴かされていると、気分が滅入ってしまう。ファジル・サイは、アグレッシブな個性を益々アップさせているとも云えるが、僕が共感できる演奏とは違う、というのが正直な感想だ。とにかく疲れてしまった。
ファジル・サイ・プロジェクト 第1夜:ピアノ・ソロ 2008.12.4 すみだトリフォニーホール
マリオ・ブルネロ&ファジル・サイ ソナタの夕べ 2012.6.28 紀尾井ホール
♪ブログ管理人の作曲♪
金子みすゞ作詞「さびしいとき」
金子みすゞ作詞「鯨法会」
以上2曲 MS:小泉詠子/Pf:田中梢(YouTube)
「森の詩」~ヴォカリーズ、チェロ、ピアノのためのトリオ~
MS:小泉詠子/Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美(YouTube)
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♪ ショパン/ノクターン 第19番ホ短調 Op.72-1
♪ ショパン/ノクターン 第20番 嬰ハ短調 (遺作)
♪ ショパン/ノクターン 第21番 ハ短調 (遺作)
♪ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第23番へ短調「熱情」Op.57
♪ ドビュッシー/前奏曲集 第1集 より
i)デルフィの舞姫たち iii)野を渡る風 iv)音と香りは昨夜の大気に漂う
viii)亜麻色の髪の乙女 x)沈める寺 xi)パックの踊り xii)ミンストレル
♪ サイ/ピアノ・ソナタ 「ゲジ・パーク2」
【アンコール】
ファジル・サイのオリジナル曲?を2曲
10年前に聴いたリサイタルは、アグレッシブでジャジーな感覚や即興性が冴え、ライブならではの醍醐味を味わった印象があり、響きの良いヤマハホールでリサイタルをやるというので、久々にファジル・サイを聴きに出かけた。
最初のショパン、1曲目は、じわっと湧いてくる温かな音の立体的な響きに引き込まれた。2曲目、3曲目と聴いていくうちに、ピアニストの極端な「近さ」を感じるようになった。顔がくっつくぐらいの近さで、弱い息まで肌にかかるのが感じられるほど。そして、有無を言わせず大きな腕でぎゅーっと抱きしめられ、サイの紅潮した体温がじかに伝わってくる感覚。ショパンの内面性が滲み出た晩年の作品が、熱くリアルに迫ってきた。
ベートーヴェンの「熱情」で、サイは一段とその「本領」を発揮する。アグレッシブの極みのような「熱情」。強烈で重い打鍵は弦が切れるのではと思うほどの音圧でガンガンと挑んでくる。第2楽章だって容赦はない。赤々と熾る炭が、しばしば大きな炎を上げる。第 3楽章は言わずもがな。アグレッシブなアプローチ自体はいいとしても、アゴーギクやディナミークの扱いに唐突さを感じたり、スケールやアルペッジョが不揃いだったり、声部のバランスに疑問を感じたり、ジャズ風のビートが聴こえてきたり… 圧倒されはしたが、サイがこの演奏でベートーヴェンの何を伝えたいのかがよくわからなかった。
後半のドビュッシーでもサイのアプローチは変わらない。「デルフィの舞姫たち」は、霧もやに包まれた情景ではなく、迫りくる入道雲だし、「沈める寺」は、町の上に鳴り響く鐘の音ではなく、鐘楼に昇っていて突如耳元でけたたましく打ち鳴らされる鐘だ。最後の「ミンストレル」は、ジャジーな感覚が冴えたごきげんなダンスっぽい演奏を期待したが、大きくテンポを揺らし、間合いを取る演奏では、踊るに踊れない。何を弾くにも、空いている腕を使って(時に両腕)指揮するような素振りが、儀式を執り行う教祖のようにも見えて、視覚からのイメージが煩わしい。サイのピアノは常に熱くて近く、松岡修造も顔負けのアグレッシブの塊のような演奏だ。
最後の自作のソナタは、祖国の内乱の悲惨な状況を描いた作品ということで、爆音と叫び声が入り乱れるカオスのような音楽。メッセージ性は強烈だが、常に両肩をつかまれて揺すられ、絶叫を聴かされていると、気分が滅入ってしまう。ファジル・サイは、アグレッシブな個性を益々アップさせているとも云えるが、僕が共感できる演奏とは違う、というのが正直な感想だ。とにかく疲れてしまった。
ファジル・サイ・プロジェクト 第1夜:ピアノ・ソロ 2008.12.4 すみだトリフォニーホール
マリオ・ブルネロ&ファジル・サイ ソナタの夕べ 2012.6.28 紀尾井ホール
♪ブログ管理人の作曲♪
金子みすゞ作詞「さびしいとき」
金子みすゞ作詞「鯨法会」
以上2曲 MS:小泉詠子/Pf:田中梢(YouTube)
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MS:小泉詠子/Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美(YouTube)
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