2007年2月25日(日)
近所の図書館で書棚の音楽コーナーを何となく眺めていたら、「堀 俊輔」という著者名の背表紙を見つけた。
堀俊輔、この指揮者を初めて知ったのは、東京芸術大学の学園祭「藝術祭(芸祭)」で学生指揮者として登場したときだからもう20年以上も前になる。芸祭ではいくつも学生オーケストラの演奏があるが、恐らくはにわか作りのオケ、しかも学園祭ということでほろ酔い気分で楽器を弾く「不届き者」も混じっているような、ちょっと頼りないオケ演奏の中で、堀が指揮したバルトークの「オーケストラのためのコンチェルト」は、精緻で研ぎ澄まされた集中力があって、オケとしても「かなり弾きこんだのでは?」と思うようないい音を出して、他のオケ演奏を圧倒していた。
頭髪もやや後退しかけた、学生にしてはふけ顔の堀俊輔という学生指揮者のタクトは自信に満ち、なめらかで明晰、オケをとてもよく掌握しているような頼もしさがあった。「これは楽しみな逸材だ!」と期待したものだ。あの当時、もう一人目立った学生指揮者に源田茂夫がいたが、こちらはかっこいい容姿と指揮姿はよく覚えているのだが、演奏内容の記憶はあまり残っていない。
その後、指揮者・堀俊輔の名前は芸祭で期待していたほどには売れてこない。時たまチラシなどで見かけることはあったが、実際に演奏会を聴きに行ったことはなかった。今回たまたま図書館で面白そうなタイトルの本を書いていることに興味をそそられて借りて読んでみたら、興味深いテーマ満載で、岩城宏之張りのテンポの良い筆致やユーモアにつられて一気に読んでしまった。
ピアノの発表会当日、「先生オシッコ!」と言って会場を飛び出したまま屋上の遊園地で遊びほうけて出番をすっぽかした話、マージャンに明け暮れた早稲田大学の学生時代のはなし、遅まきながら芸大の作曲科に入って担当教官に「作品は何もありません」「ピアノも何も弾けません」「指揮者になりたいんです」と言い放ち呆れられたこと、有名な外来オケのコンサートに作業員の格好に変装したりしてモグリの常習犯だったこと…
こんなハチャメチャな道を辿りながらもとうとう念願の指揮者になり、明石家さんまと大阪弁丸出しのお笑いさながらのトークコンサートをやった話、「軍艦マーチ」命であちこちの楽隊からいぶかられながらも、とうとう演奏にこぎつけた話、小中学生の音楽鑑賞教室や騒音の只中でのエキコンに賭ける姿、海外に出てはニューヨーク留学記やウィーンで過ごした日々の話等々… どれもこれも面白く興味をそそられるものばかり。
この本を読み終えて、面白いものを読んだ後の清々しい爽快感を感じただけではなく、堀俊輔という指揮者は本物だという確信が生まれた。芸祭ですごい演奏を聴かせてくれた堀俊輔はその後も努力と経験を重ね、素晴らしい音楽家に成長していたのだ。
音楽ホールで行われるコンサートだけでなく、小中学生相手の音楽教室でも、冷やかし半分の通行人も大勢いるようなエキコンでも、どんな機会であっても100%のエネルギーを注いで打ち込むプロ根性は本当に素晴らしい。阪神大震災で部屋はめちゃめちゃ、交通はマヒ状態でも、その日に京都で行われる音楽教室のためにあらゆる手段を尽くして時間に駆けつける。
「音楽鑑賞教室も定期演奏会も本番は本番だ。絶対神聖にして遅れるべからず。遅れたり穴をあけたりすると、今日が指揮者生活最後の日となってしまう。(中略)僕が指揮者でなくなったらもはや人間のクズだ。」
ここまで言ってのける堀の指揮者という仕事への熱意と執念。
根性だけプロでも指揮者としての力がなければみんなはついては来ないだろう。しかしこの本を読んでいると、ユーモアたっぷりでハチャメチャなエピソードの中にも至るところで堀俊輔が指揮者としての、音楽家としての本物を見極める素晴らしい目と耳を持っていること、オーケストラから自分がイメージする音を引き出すためのノウハウを持ち、聴く者に感動を運ぶ術を熟知していることがわかる。
そんな中でも最もボリュームを割いた終盤での「プロコフィエフ国際コンクール」に審査員として参加したレポートは、コンクールを内側から観察し、体験した読み物としても面白いが、音楽への厳しい目だけでなく、出場者や他の審査員へのハートのこもった人情味溢れる様々なコメントが、大勢の人間をまとめ上げる指揮者には欠かせない堀の「人間的魅力」があぶり出されているのを感じた。
ずっと興味はあった堀俊輔のプロとしての演奏を何としても近いうちに聴きたくなった。回り道をたくさんして多くの貴重な経験を積んだ遅咲きの指揮者・堀俊輔を、遅れ馳せながらも応援したい。
堀俊輔著「ヘルベルト・フォン・ホリヤンの本日も満員御礼!」
286ページ
ヤマハミュージックメディア 1600円+税 ISBN4-636-20656-8 C0073
近所の図書館で書棚の音楽コーナーを何となく眺めていたら、「堀 俊輔」という著者名の背表紙を見つけた。
堀俊輔、この指揮者を初めて知ったのは、東京芸術大学の学園祭「藝術祭(芸祭)」で学生指揮者として登場したときだからもう20年以上も前になる。芸祭ではいくつも学生オーケストラの演奏があるが、恐らくはにわか作りのオケ、しかも学園祭ということでほろ酔い気分で楽器を弾く「不届き者」も混じっているような、ちょっと頼りないオケ演奏の中で、堀が指揮したバルトークの「オーケストラのためのコンチェルト」は、精緻で研ぎ澄まされた集中力があって、オケとしても「かなり弾きこんだのでは?」と思うようないい音を出して、他のオケ演奏を圧倒していた。
頭髪もやや後退しかけた、学生にしてはふけ顔の堀俊輔という学生指揮者のタクトは自信に満ち、なめらかで明晰、オケをとてもよく掌握しているような頼もしさがあった。「これは楽しみな逸材だ!」と期待したものだ。あの当時、もう一人目立った学生指揮者に源田茂夫がいたが、こちらはかっこいい容姿と指揮姿はよく覚えているのだが、演奏内容の記憶はあまり残っていない。
その後、指揮者・堀俊輔の名前は芸祭で期待していたほどには売れてこない。時たまチラシなどで見かけることはあったが、実際に演奏会を聴きに行ったことはなかった。今回たまたま図書館で面白そうなタイトルの本を書いていることに興味をそそられて借りて読んでみたら、興味深いテーマ満載で、岩城宏之張りのテンポの良い筆致やユーモアにつられて一気に読んでしまった。
ピアノの発表会当日、「先生オシッコ!」と言って会場を飛び出したまま屋上の遊園地で遊びほうけて出番をすっぽかした話、マージャンに明け暮れた早稲田大学の学生時代のはなし、遅まきながら芸大の作曲科に入って担当教官に「作品は何もありません」「ピアノも何も弾けません」「指揮者になりたいんです」と言い放ち呆れられたこと、有名な外来オケのコンサートに作業員の格好に変装したりしてモグリの常習犯だったこと…
こんなハチャメチャな道を辿りながらもとうとう念願の指揮者になり、明石家さんまと大阪弁丸出しのお笑いさながらのトークコンサートをやった話、「軍艦マーチ」命であちこちの楽隊からいぶかられながらも、とうとう演奏にこぎつけた話、小中学生の音楽鑑賞教室や騒音の只中でのエキコンに賭ける姿、海外に出てはニューヨーク留学記やウィーンで過ごした日々の話等々… どれもこれも面白く興味をそそられるものばかり。
この本を読み終えて、面白いものを読んだ後の清々しい爽快感を感じただけではなく、堀俊輔という指揮者は本物だという確信が生まれた。芸祭ですごい演奏を聴かせてくれた堀俊輔はその後も努力と経験を重ね、素晴らしい音楽家に成長していたのだ。
音楽ホールで行われるコンサートだけでなく、小中学生相手の音楽教室でも、冷やかし半分の通行人も大勢いるようなエキコンでも、どんな機会であっても100%のエネルギーを注いで打ち込むプロ根性は本当に素晴らしい。阪神大震災で部屋はめちゃめちゃ、交通はマヒ状態でも、その日に京都で行われる音楽教室のためにあらゆる手段を尽くして時間に駆けつける。
「音楽鑑賞教室も定期演奏会も本番は本番だ。絶対神聖にして遅れるべからず。遅れたり穴をあけたりすると、今日が指揮者生活最後の日となってしまう。(中略)僕が指揮者でなくなったらもはや人間のクズだ。」
ここまで言ってのける堀の指揮者という仕事への熱意と執念。
根性だけプロでも指揮者としての力がなければみんなはついては来ないだろう。しかしこの本を読んでいると、ユーモアたっぷりでハチャメチャなエピソードの中にも至るところで堀俊輔が指揮者としての、音楽家としての本物を見極める素晴らしい目と耳を持っていること、オーケストラから自分がイメージする音を引き出すためのノウハウを持ち、聴く者に感動を運ぶ術を熟知していることがわかる。
そんな中でも最もボリュームを割いた終盤での「プロコフィエフ国際コンクール」に審査員として参加したレポートは、コンクールを内側から観察し、体験した読み物としても面白いが、音楽への厳しい目だけでなく、出場者や他の審査員へのハートのこもった人情味溢れる様々なコメントが、大勢の人間をまとめ上げる指揮者には欠かせない堀の「人間的魅力」があぶり出されているのを感じた。
ずっと興味はあった堀俊輔のプロとしての演奏を何としても近いうちに聴きたくなった。回り道をたくさんして多くの貴重な経験を積んだ遅咲きの指揮者・堀俊輔を、遅れ馳せながらも応援したい。
堀俊輔著「ヘルベルト・フォン・ホリヤンの本日も満員御礼!」
286ページ
ヤマハミュージックメディア 1600円+税 ISBN4-636-20656-8 C0073
いつもは別々の合唱団員が第9の為に一緒に練習するということで直前には、代々木のオリンピック青少年センターで合宿がありました。
そのときの合唱練習の時の学生指揮者は。グリークラブ所属の背はあまり高くなく長髪でメガネをかけ関西弁で、「第9の歌以前の問題としてドイツ語の発音ができていない!もっとえげつなくラ行を意識して!」とかのたまわっていて生意気だなあ、と思いみたが妙に印象的で不思議と第9に向かえるようになっていたのを思い出します。そうその人が堀俊輔さんです。
当時第9の演奏会は、指揮がコバケンこと小林研一郎でソプラノソロは中沢桂、会場は東京文化会館大ホールと記憶しています。
2011年9月3日オペラシテイに東フィル・小林研一郎指揮の第9を聴きに行き、合唱のところになりドイツ語の発音が明快でそろっていたんで、何とはなく大学時代の彼のことを思い出していて何気なくプログラム見たら堀俊輔合唱指揮とあり、あれっ?と思いましたがまさか別人と思っていました。
しかし、演奏終了後カーテンコールの際コバケンが合唱指揮者を舞台に呼んだのでオペラグラスで顔を見ると頭の毛髪はなくなっていましたが30数年前練習指導していた彼の顔がありました。確信はしたものの早稲田出て就職したのでは?とネットで検索、間違いのに事を理解しました。人生の不思議と彼・堀俊輔氏の大変な音楽に対する情熱と努力とコバケンと堀俊輔の二人に同時に第9を通じ再会できた感動・第9のすばらしい演奏にブラボーを送りたいと思いメールしました。勇気をもらいました。
「ドイツ語はラ行をえげつなく」ですか…
コバケンの第九には、僕も学生時代何度も参加しましたが、「君たちのFreude!は全然ドイツ語に聞えない!前の人にツバを飛ばすぐらい激しく発音してごらんなさい!」と、指導されたことを思い出しました。発音へのコダワリは、いい演奏にとって大切なのでしょうね。
「堀俊輔の第九」があれば、是非聴いてみたいものです。