10月24日(金))新国立劇場オペラ公演
新国立劇場
【演目】
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」K.527

【配役】
ドン・ジョヴァンニ:アドリアン・エレート/ドンナ・アンナ:カルメラ・レミージョ/ドン・オッターヴィオ:パオロ・ファナーレ/ドンナ・エルヴィラ:アガ・ミコライ/レポレッロ:マルコ・ヴィンコ/マゼット:町 英和/ツェルリーナ:鷲尾麻衣/騎士長:妻屋秀和
【演奏】
ラルフ・ワイケルト指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団
【演出】グリシャ・アサガロフ
【美術・衣装】ルイジ・ペーレゴ【照明】マーティン・ゲプハルト
新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」は、指揮にモーツァルトで定評のあるワイケルトを迎え、総じて質の高い充実した公演となった。特に印象的だったのは美しい舞台と粒揃いの歌手達。
舞台は18世紀のヴェネチアに移し、ドンジョヴァンニをやはりプレイボーイとして名高いヴェネチアのカサノヴァに見立てる設定。登場人物は時代物の衣装に男はカツラを着けたオーソドックスな格好で、宮廷やヴェネチアの情景を模した大がかりなセットも古い時代を感じさせたが、「カタログの歌」では巨大な女の操り人形が出てきたり、村の婚礼の場面ではチェスの駒の形をしたメリーゴーランドが登場したりする現実離れのファンタジーも取り入れられ、ファンタジーとリアリティーが併存する不思議な世界。
照明は寒色系が支配的で、それがこのオペラ全体を支配するデモーニッシュな雰囲気とマッチして、美しくもピーンと張りつめた硬質で格調高い空気感が出ていた。大胆な舞台転換もあるが、全幕を支配するこの空気感が、公演全体を統一された「色」で貫き、印象的だった。終盤で石像の騎士長が登場する場面、漆黒のバックに白い石像が浮かび上がる効果も抜群で、視覚的に優れた舞台を実現していた。
この美しい舞台で、モーツァルトが愛情をこめて描いた登場人物が、粒揃いの歌手達によってそれぞれのキャラクターを開花させた。
今回の公演で終始惹き付けられ、大きな存在感を示したのはアガ・ミコライが歌ったドンナ・エルヴィーラ。激しく揺れ動く感情を赤裸々に表現し、ただの未練がましい女ではなく、何度裏切られてもドン・ジョヴァンニに改心を念じ、その身さえ案じる強い愛と信念がクローズアップされ、救いようのない男への心の救済にも繋がっているように思え、モーツァルトのドン・ジョヴァンニにかけた情けが感じられた。
もう一人、鮮烈なイメージで迫ってきたのは妻屋秀和の騎士長。声の貫禄と存在感は圧倒的。息を呑むような超自然界の存在としての畏怖を感じさせた。石像として登場するときはPAが使われることも多いが、生の声でその凄味を伝えるに十分な器の持ち主で、堂々と外国人キャストと渡り合う姿が頼もしかった。
他に特に印象に残ったのは、高貴で意志が強い役どころを的確に捉え、光を当てたカルメラ・レミージョのドンナ・アンナと、輝かしい美声でしなやかな歌を聴かせ、大きな喝采を浴びたパオロ・ファナーレのドン・オッターヴィオ。ドン・ジョヴァンニを歌ったアドリアン・エレートは、容姿も歌唱も二枚目。いやらしさや勇敢さも様になっていたが、タイトルロールとしての飛び抜けた存在感にはもう一歩。
その他の歌手も含めて新国立劇場のオペラ公演に出演する歌手達のレベルはいつもながら総じて高く、笑いのなかに緊迫感漂うこのオペラの核心を突くことに貢献していた。
期待していたワイケルトの指揮だが、いくつかの場面でオケがリアルに語りかけてくることはあったが、ホレボレする名サポートや強烈なイニシアチブを聴かせるまでは行かず、アンサンブルでも、例えば2幕でドン・ジョヴァンニへの慈悲を請うドンナ・エルヴィーラとそれを拒絶するみんなとのやり取りの場面なども弱い。「ワイケルトの魅力はこれ!」という決め手には欠けたが、終盤のクライマックスでの気合いは十分で、聴衆をオペラに引き込んでの終演となった。
この公演の演出で納得したことが2つ。最初のドンナ・エルヴィーラ登場のとき、付き人のような女がいて誰かと思ったが、これは後でドン・ジョヴァンニが「ドンナ・エルヴィーラのメイドはいい女」と言っている女だと納得。もう一つは、第2幕でドンナ・アンナが歌う名アリア「 むごい女ですって?いいえ、いとしい人よ」のコロラトゥーラが始まる前に、ドン・オッターヴィオはドンナ・アンナから離れて行ってしまうのだが、オッターヴィオの複雑な心境を物語るのになかなかいいアイディアだと思った。グリシャ・アサガロフの演出は大胆さと細やかさを備え、説明がましくなく自然体で観客を納得させて好印象を与えた。
新国立劇場
【演目】
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」K.527


【配役】
ドン・ジョヴァンニ:アドリアン・エレート/ドンナ・アンナ:カルメラ・レミージョ/ドン・オッターヴィオ:パオロ・ファナーレ/ドンナ・エルヴィラ:アガ・ミコライ/レポレッロ:マルコ・ヴィンコ/マゼット:町 英和/ツェルリーナ:鷲尾麻衣/騎士長:妻屋秀和
【演奏】
ラルフ・ワイケルト指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団
【演出】グリシャ・アサガロフ
【美術・衣装】ルイジ・ペーレゴ【照明】マーティン・ゲプハルト
新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」は、指揮にモーツァルトで定評のあるワイケルトを迎え、総じて質の高い充実した公演となった。特に印象的だったのは美しい舞台と粒揃いの歌手達。
舞台は18世紀のヴェネチアに移し、ドンジョヴァンニをやはりプレイボーイとして名高いヴェネチアのカサノヴァに見立てる設定。登場人物は時代物の衣装に男はカツラを着けたオーソドックスな格好で、宮廷やヴェネチアの情景を模した大がかりなセットも古い時代を感じさせたが、「カタログの歌」では巨大な女の操り人形が出てきたり、村の婚礼の場面ではチェスの駒の形をしたメリーゴーランドが登場したりする現実離れのファンタジーも取り入れられ、ファンタジーとリアリティーが併存する不思議な世界。
照明は寒色系が支配的で、それがこのオペラ全体を支配するデモーニッシュな雰囲気とマッチして、美しくもピーンと張りつめた硬質で格調高い空気感が出ていた。大胆な舞台転換もあるが、全幕を支配するこの空気感が、公演全体を統一された「色」で貫き、印象的だった。終盤で石像の騎士長が登場する場面、漆黒のバックに白い石像が浮かび上がる効果も抜群で、視覚的に優れた舞台を実現していた。
この美しい舞台で、モーツァルトが愛情をこめて描いた登場人物が、粒揃いの歌手達によってそれぞれのキャラクターを開花させた。
今回の公演で終始惹き付けられ、大きな存在感を示したのはアガ・ミコライが歌ったドンナ・エルヴィーラ。激しく揺れ動く感情を赤裸々に表現し、ただの未練がましい女ではなく、何度裏切られてもドン・ジョヴァンニに改心を念じ、その身さえ案じる強い愛と信念がクローズアップされ、救いようのない男への心の救済にも繋がっているように思え、モーツァルトのドン・ジョヴァンニにかけた情けが感じられた。
もう一人、鮮烈なイメージで迫ってきたのは妻屋秀和の騎士長。声の貫禄と存在感は圧倒的。息を呑むような超自然界の存在としての畏怖を感じさせた。石像として登場するときはPAが使われることも多いが、生の声でその凄味を伝えるに十分な器の持ち主で、堂々と外国人キャストと渡り合う姿が頼もしかった。
他に特に印象に残ったのは、高貴で意志が強い役どころを的確に捉え、光を当てたカルメラ・レミージョのドンナ・アンナと、輝かしい美声でしなやかな歌を聴かせ、大きな喝采を浴びたパオロ・ファナーレのドン・オッターヴィオ。ドン・ジョヴァンニを歌ったアドリアン・エレートは、容姿も歌唱も二枚目。いやらしさや勇敢さも様になっていたが、タイトルロールとしての飛び抜けた存在感にはもう一歩。
その他の歌手も含めて新国立劇場のオペラ公演に出演する歌手達のレベルはいつもながら総じて高く、笑いのなかに緊迫感漂うこのオペラの核心を突くことに貢献していた。
期待していたワイケルトの指揮だが、いくつかの場面でオケがリアルに語りかけてくることはあったが、ホレボレする名サポートや強烈なイニシアチブを聴かせるまでは行かず、アンサンブルでも、例えば2幕でドン・ジョヴァンニへの慈悲を請うドンナ・エルヴィーラとそれを拒絶するみんなとのやり取りの場面なども弱い。「ワイケルトの魅力はこれ!」という決め手には欠けたが、終盤のクライマックスでの気合いは十分で、聴衆をオペラに引き込んでの終演となった。
この公演の演出で納得したことが2つ。最初のドンナ・エルヴィーラ登場のとき、付き人のような女がいて誰かと思ったが、これは後でドン・ジョヴァンニが「ドンナ・エルヴィーラのメイドはいい女」と言っている女だと納得。もう一つは、第2幕でドンナ・アンナが歌う名アリア「 むごい女ですって?いいえ、いとしい人よ」のコロラトゥーラが始まる前に、ドン・オッターヴィオはドンナ・アンナから離れて行ってしまうのだが、オッターヴィオの複雑な心境を物語るのになかなかいいアイディアだと思った。グリシャ・アサガロフの演出は大胆さと細やかさを備え、説明がましくなく自然体で観客を納得させて好印象を与えた。