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クリスティアン・ベザイデンホウトの世界 Vol.1

2012年05月29日 | pocknのコンサート感想録2012
5月29日(火)クリスティアン・ベザイデンホウト(フォルテピアノ) 
~オール・モーツァルト・プログラム~
王子ホール
【曲目】
1.ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332
2.「女ほど素敵なものはない」による8つの変奏曲ヘ長調 K.613
3.幻想曲 ハ短調 K.396
4.ソナタ 第13番 変ロ長調 K333

【アンコール】
1.グラスハーモニカのためのアダージョ ハ長調 K.356(617a)
2.ソナタ 第10番 ハ長調 K.330~第2楽章

2009年にN響の定期(ホグウッド指揮)でやったベートーヴェンの4番のコンチェルトで聴いたベザイデンホウトのピアノは、とても柔らかく繊細なタッチで、親密に語りかけてきたのが印象的だった。この時はモダン楽器を弾いていたが、ベザイデンホウトはフォルテピアノの演奏で定評がある。今回、そのフォルテピアノを使い、王子ホールという理想的な空間でモーツァルトを弾くプログラムに引かれて聴いてきた。

演奏が始まった途端、まずフォルテピアノの、予期していたより更に親密な響きにハッと息を呑む。指先の繊細なタッチがじかに音に伝わり語りかけてくる感覚は、ビアノというよりもギターに近い。モダンのピアノに比べて発っせられた音が早く減衰する分、ちょっとした音の揺らぎが明瞭に伝わり、語り口に繊細な色合いや味わいが与えられる。

もちろんこれは楽器だけの効果ではなく、この楽器の特性を知り尽し、それを最大限に活かしているベザイデンホウトの演奏力によるところが大きい。一つ一つの音の持続は短いのに、フレーズとして聴くと、音が次へ次へと能動的に繋がり、ムーブマンに富んだ息の長い線が描かれて行くのを聴くと、このピアニストの指先にいかに繊細な神経が行き届いているかがわかる。

ベザイデンホウトの表現は、ピリオドプレイヤーにありがちなちょっと「とがった演奏」とは無縁で、自然な表情を見せる。リピートで加える装飾が、装飾のための装飾になってしまわず、音楽全体の大切な一要素として自然に聴こえる。フレーズとフレーズの間にひと呼吸入ることが多いが、これも音楽の流れに逆らうようなものではなく、音楽を有機的に繋げ、それぞれのフレーズの意味合いや役割が自然に伝わってくる働きをする。

締めるところは締め、出るべきところは出し、楽しげに、或いは親密に語りかけ、踊り出したりもする。モーツァルト自身の演奏を聴けるとしたらこういう演奏だったのではないかな、と感じるような、音楽本来の持ち味を引き立てる演奏だ。

ベザイテンホウトの弾くモーツァルトは、こんな具合にモーツァルト自身を身近に感じる親密さを感じる一方で、僕がモーツァルトを聴いてたまらなく魅力を感じるときの、天上界で天使と戯れているような、この世のものとは思えない優美な装いを呈したモーツァルトとは違う。最晩年の変奏曲や、幸福感に満ち溢れた変ロ長調のソナタは、自分の好みからするともっと非日常的な、天上の響きを聴きたかった。

そんな「天上の響き」が感じられたのは、アンコールでやった「アダージョ」だ。これは、左ひざでペダルを押し上げて得られる「ソフトペダル」の響きを多用したことが要因かも知れない。このペダルを使うと、スマートなフォルテピアノの音が、いきなり丸みと豊かな装いで会場に響き渡る。まるで、別の楽器のように聞こえてしまうほど音色が変化するので、ペダルの切り替えが難しいとも感じた。

この楽器はモーツァルトが愛用したワルター製のピアノのコピーとのこと。確かにモーツァルトはワルターのピアノに感激し、すぐれた機能や豊かな音色を賞賛しているが、それはあくまで、それまでの不完全なピアノと比べてのことであって、最終的な完成品として賞賛したかどうかはわからないのでは?今夜のフォルテピアノの音は確かに魅力的で、ベザイデンホウトはその特性を最大限に活かしたとは言えるが、そんなペダルによる音色の大きな変化が違和感として感じることもあった。

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