9月20日(火)エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
第815回 定期演奏会Bシリーズ ~インバル80歳記念/都響デビュー25周年記念~
サントリーホール
【曲目】
1.モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216
Vn:オーギュスタン・デュメイ
2.ショスタコーヴィチ/交響曲第8番ハ短調 Op.65
2013年以来、約3年ぶりに聴くインバル/都響。メインはショスタコの8番。どんな曲か思い浮かばないが、凄い演奏が期待できそうだし、何よりデュメイのヴァイオリンでモーツァルトのコンチェルトが聴けるのが、チケットを買う決め手となった。
そのモーツァルト、オケの前奏は軽やかで滑らか、そして朗らか。ソロ・ヴァイオリンを迎えるお膳立てが整って、デュメイの登場。いつもながらの存在感で音楽を大きく捉え、朗々と歌い上げて行った。瑞々しい感性も光っているし、一本しっかりとした芯の通った安定感が頼もしい。オケの柔らかな表情で呼応するバックアップも好ましい。しかし、青年モーツァルトの嬉々とした若々しさが迸るような、天真爛漫に駆け巡る即興性、次はどんなことになるんだろう、というワクワク感が、ソロからもオケからも伝わらず、心から楽しめるまでは行かなかった。
後半はショスタコの大曲。ショスタコーヴィチの交響曲には、うわべの仮面の陰に様々な隠喩があることはよく指摘されるところだが、そんなことが書かれた解説を読むと「なるほど!」と思うことが多い。今夜の8番は超大曲であるうえ、殆ど馴染みもなかったので、プログラムにその辺りの解説が載っているのを期待したが、解説ではショスタコーヴィチが自らの作品について、ソビエト当局の目に触れることを想定して公表した「楽観的で人生肯定的な作品」というコメントを紹介するに留め、筆者自身は「この曲が何を表しているかについて確実に言えることは何もない」と結んでしまっている。
しかし、このシンフォニーを通して聴き、作曲者が公言したようなポジティヴなものでないことは明らかだと感じた。全曲を暗く抑圧された、或いは寂寥感に満ちた空気が支配している。大規模な編成でありながら、それらが一斉に音を発することはあまりなく、むしろ室内楽的ですらある。そこでは、特に木管のソロによる様々なモノローグが綴られ、孤独感に包まれる。こんな音楽を聴いていると、作曲者がこの音楽に、世の中の不条理や矛盾に、静かに声を上げているように思えてくる。
ソロ楽器を担当した都響の木管奏者たちは、それを想起させるに十分な表現力を示していたし、幾度か現れるオーケストラのトゥッティによる「叫び」は、地の底から沸き上がるようなバワーと熱を伴っていた。そして最終盤の長大で静かなエンディングでは、平安が訪れたようにも思える一方で、諦念ともいえる無力感も漂わせ、この作品が深い意味を内包していることを十分に表していた。
ただ、全体としての印象は、このエンディングでも言えることだが、弱音が持続するところの安定感がもっと欲しいし、オケの細やかな表現を更に研ぎ澄ませて欲しいと思うことがままあった。また、この長大な音楽を形成する様々なパーツ同士がどんな風に関わり合い、それらが繋がることで見えてくるはずの「大きな使命」がなかなか伝わって来なかった。この曲は、もっと聴き込む必要があるのかも知れないが、全体としての説得力がもう少し伝わってもいいのでは、と思った。インバルには更なる強力なイニシアチブを求めたい。
インバル指揮 都響/バルトーク:Vn協奏曲&「青ひげ」(2013.12.19 東京文化会館)
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2013年以来、約3年ぶりに聴くインバル/都響。メインはショスタコの8番。どんな曲か思い浮かばないが、凄い演奏が期待できそうだし、何よりデュメイのヴァイオリンでモーツァルトのコンチェルトが聴けるのが、チケットを買う決め手となった。
そのモーツァルト、オケの前奏は軽やかで滑らか、そして朗らか。ソロ・ヴァイオリンを迎えるお膳立てが整って、デュメイの登場。いつもながらの存在感で音楽を大きく捉え、朗々と歌い上げて行った。瑞々しい感性も光っているし、一本しっかりとした芯の通った安定感が頼もしい。オケの柔らかな表情で呼応するバックアップも好ましい。しかし、青年モーツァルトの嬉々とした若々しさが迸るような、天真爛漫に駆け巡る即興性、次はどんなことになるんだろう、というワクワク感が、ソロからもオケからも伝わらず、心から楽しめるまでは行かなかった。
後半はショスタコの大曲。ショスタコーヴィチの交響曲には、うわべの仮面の陰に様々な隠喩があることはよく指摘されるところだが、そんなことが書かれた解説を読むと「なるほど!」と思うことが多い。今夜の8番は超大曲であるうえ、殆ど馴染みもなかったので、プログラムにその辺りの解説が載っているのを期待したが、解説ではショスタコーヴィチが自らの作品について、ソビエト当局の目に触れることを想定して公表した「楽観的で人生肯定的な作品」というコメントを紹介するに留め、筆者自身は「この曲が何を表しているかについて確実に言えることは何もない」と結んでしまっている。
しかし、このシンフォニーを通して聴き、作曲者が公言したようなポジティヴなものでないことは明らかだと感じた。全曲を暗く抑圧された、或いは寂寥感に満ちた空気が支配している。大規模な編成でありながら、それらが一斉に音を発することはあまりなく、むしろ室内楽的ですらある。そこでは、特に木管のソロによる様々なモノローグが綴られ、孤独感に包まれる。こんな音楽を聴いていると、作曲者がこの音楽に、世の中の不条理や矛盾に、静かに声を上げているように思えてくる。
ソロ楽器を担当した都響の木管奏者たちは、それを想起させるに十分な表現力を示していたし、幾度か現れるオーケストラのトゥッティによる「叫び」は、地の底から沸き上がるようなバワーと熱を伴っていた。そして最終盤の長大で静かなエンディングでは、平安が訪れたようにも思える一方で、諦念ともいえる無力感も漂わせ、この作品が深い意味を内包していることを十分に表していた。
ただ、全体としての印象は、このエンディングでも言えることだが、弱音が持続するところの安定感がもっと欲しいし、オケの細やかな表現を更に研ぎ澄ませて欲しいと思うことがままあった。また、この長大な音楽を形成する様々なパーツ同士がどんな風に関わり合い、それらが繋がることで見えてくるはずの「大きな使命」がなかなか伝わって来なかった。この曲は、もっと聴き込む必要があるのかも知れないが、全体としての説得力がもう少し伝わってもいいのでは、と思った。インバルには更なる強力なイニシアチブを求めたい。
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