11月21日(水)ピエール=ロラン・エマール(Pf)
~ル・プロジェ エマール 2012~
トッパンホール
【曲目】
1.クルターク/遊び -ピアノのための より7曲
2.シューマン/色とりどりの小品Op.99より 第1~第9曲
3.クルターク/スプリンターズ Op.6/d
4.ドビュッシー/前奏曲集 第1巻
【アンコール】
1. エリオット・カーター/フラトリビュート
2. ジェルジュ・リゲティ/魔法使いの弟子
3. ハインツ・ホリガー/エリス
超名曲揃いのドビュッシーの前奏曲集、そのわりにリサイタルで全曲聴ける機会が少ないと思っていたら、生誕150周年のおかげか、毎年のようにトッパンホールで意欲的なリサイタルを開いているエマールが2夜に渡って全曲を取り上げてくれた。その一夜目を聴いた。
前半のプログラムにはクルタークとシューマンが乗った。クルタークは現代の作品でも、エマールの手にかかると湿感を伴って有機的な生き物のように語り、情に訴えかけてくる。クルタークの曲から間を開けずに始まった「色とりどりの小品」、エマールのシューマンというのはあまりイメージできなかったが、シューマンらしいヴェールを纏いながらも、そこから時おりリアルな素顔が姿を現し、やはり情に訴えるような語りを聴かせる。エマールはシューマンもなかなかいいじゃないか、と思わせた。
でもやっぱりエマールの魅力が存分に発揮されたのは後半のドビュッシー。聴いた印象をごく簡潔に表すと、多層的で濃密で、熱い血流を感じる演奏。フランス人が弾くドビュッシーといっても、お洒落でいい香りがして、水彩画のタッチのような演奏をイメージして聴くと、そんなイメージはすぐに消え去る。そもそもドビュッシーの音楽は、初期のものは別にして、そんな甘っちょろいヒーリング系ではないのだが… いずれにしてもエマールの弾くドビュッシーは、ヒーリング系とは対極にあって、濃くて血の気が多い。
「多層的」というのは、近景から遠景まで奥行きのある風景の間に、更に空気の層が入り込み、その空気は湿り気と匂いがあって、ヴァーチャルリアリティみたいな人工的なものではない、自然の息吹きに満たされているということ。第2曲の「ヴェール」ではそんな自然の奥行きと、各層がそれぞれの色と香りを持っていることがとてもよく伝わってきた。この曲に限らず、エマールの演奏はオーケストラを聴くようなテクスチュアの多彩さと奥行きがある。
第5曲「アナカプリの丘」で輝くばかりの熱い陽射しを感じ、次の「雪の上の足跡」では津々とした静けさと冷たさが支配する一方で、その情景のなかで歩く人の吐く息の温もりや、バラード的なドラマを感じるのがエマールならではと言える。第7曲「西風の見たもの」はすごい風圧があり、 吹き過ぎる一陣の風というより、風圧で体ごと運ばれてしまう凄みを感た。この曲集で一番のムード的な「亜麻色の髪の乙女」もエマール節といえるような、露骨なやり方では決してないが、ちょっとしたひと癖があって、これが演奏に個性的な匂いを与えていた。そんなひと癖の極めつけが終曲の「ミンストレル」。酔っ払ったおやじが、ふらつきながらも調子よく上手にダンスを踊っているよう。陽気で、何よりも生を謳歌しているような血流を感じ、すっかり乗せられてしまった。
印象派的な絵空事では済ませない、個性豊かで、熱くて濃いドビュッシー、一曲一曲にワクワクし、ドキドキし、思わずニンマリしたりで、充実感溢れる濃密な時間を心行くまで楽しんだ。いつまでも深く心に刻まれそうな演奏、素晴らしかった。
前回聴いたリサイタルでは、楽しみにしていた「アンコール大会」が全くなかったので、今回もどうだろうかと思っていたが、現代曲を3つやってくれた。3曲とはいえ、ホリガーの曲はセットものを全曲やってくれたので満足度は高い。そして何より、エマールほど現代曲を楽しく、机上の空論ではない生きた音楽として聴かせてくれるピアニストはいないのでは?現代曲を聴いてみようと思う人には迷わずにエマールの演奏をライヴで聴くことをオススメしたい。
ピエール=ロラン・エマール リサイタル 2011.11.18 トッパンホール
~ル・プロジェ エマール 2012~
トッパンホール
【曲目】
1.クルターク/遊び -ピアノのための より7曲
2.シューマン/色とりどりの小品Op.99より 第1~第9曲
3.クルターク/スプリンターズ Op.6/d
4.ドビュッシー/前奏曲集 第1巻
【アンコール】
1. エリオット・カーター/フラトリビュート
2. ジェルジュ・リゲティ/魔法使いの弟子
3. ハインツ・ホリガー/エリス
超名曲揃いのドビュッシーの前奏曲集、そのわりにリサイタルで全曲聴ける機会が少ないと思っていたら、生誕150周年のおかげか、毎年のようにトッパンホールで意欲的なリサイタルを開いているエマールが2夜に渡って全曲を取り上げてくれた。その一夜目を聴いた。
前半のプログラムにはクルタークとシューマンが乗った。クルタークは現代の作品でも、エマールの手にかかると湿感を伴って有機的な生き物のように語り、情に訴えかけてくる。クルタークの曲から間を開けずに始まった「色とりどりの小品」、エマールのシューマンというのはあまりイメージできなかったが、シューマンらしいヴェールを纏いながらも、そこから時おりリアルな素顔が姿を現し、やはり情に訴えるような語りを聴かせる。エマールはシューマンもなかなかいいじゃないか、と思わせた。
でもやっぱりエマールの魅力が存分に発揮されたのは後半のドビュッシー。聴いた印象をごく簡潔に表すと、多層的で濃密で、熱い血流を感じる演奏。フランス人が弾くドビュッシーといっても、お洒落でいい香りがして、水彩画のタッチのような演奏をイメージして聴くと、そんなイメージはすぐに消え去る。そもそもドビュッシーの音楽は、初期のものは別にして、そんな甘っちょろいヒーリング系ではないのだが… いずれにしてもエマールの弾くドビュッシーは、ヒーリング系とは対極にあって、濃くて血の気が多い。
「多層的」というのは、近景から遠景まで奥行きのある風景の間に、更に空気の層が入り込み、その空気は湿り気と匂いがあって、ヴァーチャルリアリティみたいな人工的なものではない、自然の息吹きに満たされているということ。第2曲の「ヴェール」ではそんな自然の奥行きと、各層がそれぞれの色と香りを持っていることがとてもよく伝わってきた。この曲に限らず、エマールの演奏はオーケストラを聴くようなテクスチュアの多彩さと奥行きがある。
第5曲「アナカプリの丘」で輝くばかりの熱い陽射しを感じ、次の「雪の上の足跡」では津々とした静けさと冷たさが支配する一方で、その情景のなかで歩く人の吐く息の温もりや、バラード的なドラマを感じるのがエマールならではと言える。第7曲「西風の見たもの」はすごい風圧があり、 吹き過ぎる一陣の風というより、風圧で体ごと運ばれてしまう凄みを感た。この曲集で一番のムード的な「亜麻色の髪の乙女」もエマール節といえるような、露骨なやり方では決してないが、ちょっとしたひと癖があって、これが演奏に個性的な匂いを与えていた。そんなひと癖の極めつけが終曲の「ミンストレル」。酔っ払ったおやじが、ふらつきながらも調子よく上手にダンスを踊っているよう。陽気で、何よりも生を謳歌しているような血流を感じ、すっかり乗せられてしまった。
印象派的な絵空事では済ませない、個性豊かで、熱くて濃いドビュッシー、一曲一曲にワクワクし、ドキドキし、思わずニンマリしたりで、充実感溢れる濃密な時間を心行くまで楽しんだ。いつまでも深く心に刻まれそうな演奏、素晴らしかった。
前回聴いたリサイタルでは、楽しみにしていた「アンコール大会」が全くなかったので、今回もどうだろうかと思っていたが、現代曲を3つやってくれた。3曲とはいえ、ホリガーの曲はセットものを全曲やってくれたので満足度は高い。そして何より、エマールほど現代曲を楽しく、机上の空論ではない生きた音楽として聴かせてくれるピアニストはいないのでは?現代曲を聴いてみようと思う人には迷わずにエマールの演奏をライヴで聴くことをオススメしたい。
ピエール=ロラン・エマール リサイタル 2011.11.18 トッパンホール
こちらに掲載したアンコール曲は、ホールにはりだされていたものですので、間違いないと思います。どうぞ転載してください。
ブログにもおじゃまさせて頂きました。
エマールは本当にアンコールが楽しみですね。
ホリガーにあんな気の利いたピアノ曲があるなんて嬉しくなりました。
エマールの記事大変参考になりました
アンコール曲が確認できなくて困っていたのですが、
助かりました。
僕のブログに正確な曲名を転載させてください。
よろしくお願いいたします。