1月26日(木)バルバラ・フリットリ ソプラノリサイタル 第1夜
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.R.シュトラウス/『サロメ』~「7つのヴェールの踊り」[オーケストラ]
2.R.シュトラウス/4つの最後の歌
3.ヴェルディ/『オテロ』~第3幕舞踏音楽(バッラビレ)[オーケストラ]
4.ヴェルディ/『イル・トルヴァトーレ』~「穏やかな夜~この恋を語るすべもなく」
5.ヴェルディ/『アッティラ』~前奏曲[オーケストラ]
6.ヴェルディ/『シモン・ボッカネグラ』~「夕やみに星と海はほほえみ」
7.ヴェルディ/『運命の力』~序曲[オーケストラ]
8.ヴェルディ/『運命の力』~「神よ、平和をあたえたまえ」
【アンコール】
プッチーニ/『トゥーランドット』~「氷のような姫君の心も」
【演 奏】
カルロ・テナン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
オペラにはあまり明るくない僕でも、フリットーリの名前ぐらい聞いたことはある。けれど、どんな歌い手か全く知らないのに、それに「オペラアリアの夕べ」の類の演奏会には殆んど行ったことがない僕が、11000円(1000円割引)も出してこのリサイタルに行ったのは、この有名なイタリアオペラの歌姫が、オペラアリアだけでなく、シュトラウスのリートをプログラムに組み込んでいたから。プリマ・ドンナがどんな風にシュトラウスを歌うのか興味を引かれたし、そんな歌手が歌うヴェルディのオペラのアリアはきっと声だけを売りにした歌ではないはず、と思った。
フリットリの第一声はそのシュトラウス。イタリアのプリマが歌うシュトラウスは、ドイツ語はよく聞き取れなかったし、言葉を突き詰めてそれを音楽として昇華するといった、言葉がベースとなる歌唱ではないが、どこまでも伸びて行く清澄な声の魅力にすぐさま取りつかれた。第1曲「春」で「鳥の歌」と歌うところ、Vogel(ge)sangという言葉が、永遠に続くほど長く聴こえた。これは、フリットリが誇張して音を伸ばしていたからではなく、どこまでも遠くへ伸びて行き、伸びるほどに声が豊かに膨らんで聴こえる、並外れた声と息と、それを巧みにコントロールする技を持っているから。フリットリの歌を聴いていると、体ごと宙に浮いて、遠くへ運ばれて行くような感覚になる。ドイツリートを、オペラチックに誇張することもなく、むしろ端正なフォルムを尊重しつつ、これほど自由に伸びやかな音楽を聴かせるフリットリに、畏怖の念さえ覚えた。
ヴェルディのオペラアリアを並べた後半、どのアリアでも、感情をストレートに深く揺さぶるエモーショナルな力強さと共に、気高さがあり、そして何よりオペラの主役に求められる、ステージで一人スポットを浴びているような存在感が備わっているのを感じた。ピーンした張りのある声の周りには心地よい芳香が漂っているような美声は実に魅力的。容姿も抜群、ステージでの身のこなしも柔らかく上品で、そんなところからも女王と呼ばれるわけが納得できる。
プログラム最後の「神よ、平和を与えたまえ」ではどんどんテンションを上げ、呪いの言葉(Maledizione!)を繰り返す最後の場面での凄みと迫力に、聴衆のテンションも最高潮に至った。そして、アンコールの「トゥーランドット」からリュウの命がけの迫真のアリアで、会場は更に熱くなった。1曲歌うごとにオーケストラだけの楽曲に中断された本割りとは違い、これからしばらく続くであろう「アンコール大会」では、たっぷりフリットリに集中できる!と、次のアンコールを楽しみに身を乗り出して拍手を送っていたが、アンコールは1曲だけで終わってしまった。
フリットリの出番の正味を考えると、もうちょっと歌を聴かせてくれてもいいのでは、と思う。歌手のリサイタルにこんなたくさんオケだけの演奏ってあり?声は歌手にとって2つとない財産、というのはわかるが、ジャンルは違うが、3時間半、休憩なしで殆ど歌いっぱなしだった、先月聴いた山下達郎のライブとの差を思ってしまった。
とは言え、そのフリットリの間を埋めた、カルロ・テナン指揮の東フィルの演奏はとても良かった。常に高いテンションが保たれ、何より歌心に溢れ、柔軟でしなやかな表情を聴かせた。濃厚でドラマチックな表現力にも長けていて、フリットリの歌のバックに回ったときでも、フリットリの呼吸にピタリと合わせてオケが呼吸している様子が伝わってきた。これは、テナンの才覚によるところも大きいだろうが、新国のピットで聴く東フィルの演奏にはいつも感心するので、オケの力量の高さを思わずにはいられない。
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.R.シュトラウス/『サロメ』~「7つのヴェールの踊り」[オーケストラ]
2.R.シュトラウス/4つの最後の歌
3.ヴェルディ/『オテロ』~第3幕舞踏音楽(バッラビレ)[オーケストラ]
4.ヴェルディ/『イル・トルヴァトーレ』~「穏やかな夜~この恋を語るすべもなく」
5.ヴェルディ/『アッティラ』~前奏曲[オーケストラ]
6.ヴェルディ/『シモン・ボッカネグラ』~「夕やみに星と海はほほえみ」
7.ヴェルディ/『運命の力』~序曲[オーケストラ]
8.ヴェルディ/『運命の力』~「神よ、平和をあたえたまえ」
【アンコール】
プッチーニ/『トゥーランドット』~「氷のような姫君の心も」
【演 奏】
カルロ・テナン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
オペラにはあまり明るくない僕でも、フリットーリの名前ぐらい聞いたことはある。けれど、どんな歌い手か全く知らないのに、それに「オペラアリアの夕べ」の類の演奏会には殆んど行ったことがない僕が、11000円(1000円割引)も出してこのリサイタルに行ったのは、この有名なイタリアオペラの歌姫が、オペラアリアだけでなく、シュトラウスのリートをプログラムに組み込んでいたから。プリマ・ドンナがどんな風にシュトラウスを歌うのか興味を引かれたし、そんな歌手が歌うヴェルディのオペラのアリアはきっと声だけを売りにした歌ではないはず、と思った。
フリットリの第一声はそのシュトラウス。イタリアのプリマが歌うシュトラウスは、ドイツ語はよく聞き取れなかったし、言葉を突き詰めてそれを音楽として昇華するといった、言葉がベースとなる歌唱ではないが、どこまでも伸びて行く清澄な声の魅力にすぐさま取りつかれた。第1曲「春」で「鳥の歌」と歌うところ、Vogel(ge)sangという言葉が、永遠に続くほど長く聴こえた。これは、フリットリが誇張して音を伸ばしていたからではなく、どこまでも遠くへ伸びて行き、伸びるほどに声が豊かに膨らんで聴こえる、並外れた声と息と、それを巧みにコントロールする技を持っているから。フリットリの歌を聴いていると、体ごと宙に浮いて、遠くへ運ばれて行くような感覚になる。ドイツリートを、オペラチックに誇張することもなく、むしろ端正なフォルムを尊重しつつ、これほど自由に伸びやかな音楽を聴かせるフリットリに、畏怖の念さえ覚えた。
ヴェルディのオペラアリアを並べた後半、どのアリアでも、感情をストレートに深く揺さぶるエモーショナルな力強さと共に、気高さがあり、そして何よりオペラの主役に求められる、ステージで一人スポットを浴びているような存在感が備わっているのを感じた。ピーンした張りのある声の周りには心地よい芳香が漂っているような美声は実に魅力的。容姿も抜群、ステージでの身のこなしも柔らかく上品で、そんなところからも女王と呼ばれるわけが納得できる。
プログラム最後の「神よ、平和を与えたまえ」ではどんどんテンションを上げ、呪いの言葉(Maledizione!)を繰り返す最後の場面での凄みと迫力に、聴衆のテンションも最高潮に至った。そして、アンコールの「トゥーランドット」からリュウの命がけの迫真のアリアで、会場は更に熱くなった。1曲歌うごとにオーケストラだけの楽曲に中断された本割りとは違い、これからしばらく続くであろう「アンコール大会」では、たっぷりフリットリに集中できる!と、次のアンコールを楽しみに身を乗り出して拍手を送っていたが、アンコールは1曲だけで終わってしまった。
フリットリの出番の正味を考えると、もうちょっと歌を聴かせてくれてもいいのでは、と思う。歌手のリサイタルにこんなたくさんオケだけの演奏ってあり?声は歌手にとって2つとない財産、というのはわかるが、ジャンルは違うが、3時間半、休憩なしで殆ど歌いっぱなしだった、先月聴いた山下達郎のライブとの差を思ってしまった。
とは言え、そのフリットリの間を埋めた、カルロ・テナン指揮の東フィルの演奏はとても良かった。常に高いテンションが保たれ、何より歌心に溢れ、柔軟でしなやかな表情を聴かせた。濃厚でドラマチックな表現力にも長けていて、フリットリの歌のバックに回ったときでも、フリットリの呼吸にピタリと合わせてオケが呼吸している様子が伝わってきた。これは、テナンの才覚によるところも大きいだろうが、新国のピットで聴く東フィルの演奏にはいつも感心するので、オケの力量の高さを思わずにはいられない。