5月14日(火)
ユリアン・プレガルディエン(T)/エリック・ル・サージュ(Pf)
~シューマン“詩と音楽”~
王子ホール
【曲目】
♪ 歌曲集「リーダークライス」Op.24
♪ 4つの夜曲 Op.23
♪♪♪
♪ 歌曲集「詩人の恋」Op.48
(挿入曲)クライスレリアーナ~第1曲
【アンコール】
♪ 歌曲集「リーダークライス」Op.39~月の夜
♪ 歌曲集「ミルテの花」Op.25~献呈
古い奴と云われてまうが、フイッシャー=ディースカウ、プライ、シュライヤーと云った往年の名歌手たちのリサイタルに通ってドイツリートの深淵な世界に浸っていた頃を思うと、「ドイツリートならこの歌手」という自分にとっての本命になかなか出会えないなか、新たな出会いを求めて出かけたリサイタルだった。
プレガルディエンの最初の印象は、無造作な髭を蓄え、ラフな服装で登場した風貌と同じようなラフさ。高い音域の弱音など、ベルカントとは異なる地声に近い声で、ちょっと意表を突かれた。しかし聴き進むうち、自然体の歌唱スタイルと歌詞の表現力に引き込まれて行った。地声のように聴こえた声は次第に艶を得て、フォルテでは輝かしさも加わり、声そのものにも稀有の魅力を感じた。その声で、最初に感じた自然体のイメージはそのままに等身大の主人公の姿を語り聴かせてくれる。
プレガルディエンの発する言葉は、ことさらに抑揚をつけたり、演劇チックに脚色を加えたりするのではなく、さりげなく言葉のエッセンスを自然と聴き手の心に共鳴させる。プライベートなリラックスした場でハイネの詩の朗読会に立ち会い、詩を語り聞かせてくれているような感覚。このリサイタルのサブタイトルに「詩と音楽」と付いている意味がよくわかる。アンコールの紹介で、曲のタイトルと共に詩人の名を伝えていたのも、プレガルディエンが詩を大切にしている証であろう。ル・サージュのピアノがこの歌のスタイルにぴったりで、これも自然体。歌に寄り添い詩の心情を淡々とした味わいで紡いでいった。
後半の「詩人の恋」では、生身の若者の焦燥感や絶望感、そして諦念と云った心の動きが、やはり等身大の形で自然に表現され、それが一層聴き手の心を揺さぶった。8曲目と9曲目の間にクライスレリアーナが挿入されたのは、プログラムの解説によれば、クララ・シューマンが実際に行ったことだそうだが、失恋による絶望感を表現するような第8曲「花々が、小さな花たちが」のピアノの後奏に続くクライスレリアーナは、その苦しみをそのまま受け取り、更に高めて行った。そして、間髪入れずに、失恋相手の婚礼の場の様子を描く第9曲「聞こえてくるは笛とヴァイオリン」でかき鳴らされる無慈悲な前奏と、それに続くプレガルディエンの打ちのめされた吐き捨てるような歌が、歌曲集のクライマックスを築いた。あちこちで譜面には書かれていない装飾や、音高の変化などを加えて歌った意図はよくわからなかったが…。
ドイツリートとの新たな出会いを求めて出かけたこのリサイタルは、新鮮で刺激もあり、心を動かされ、また機会があればこの歌手の歌で別のドイツリートを聴きたいと思った。
♪ブログ管理人の作曲♪
金子みすゞ作詞「私と小鳥と鈴と」
S:薗田真木子/Pf:梅田朋子
合唱曲「野ばら」(YouTube)
中村雅夫指揮 ベーレンコール
金子みすゞ作詞「さびしいとき」(YouTube)
金子みすゞ作詞「鯨法会」(YouTube)
以上2曲 MS:小泉詠子/Pf:田中梢
「森の詩」~ヴォカリーズ、チェロ、ピアノのためのトリオ~(YouTube)
MS:小泉詠子/Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美
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ユリアン・プレガルディエン(T)/エリック・ル・サージュ(Pf)


~シューマン“詩と音楽”~
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♪ 歌曲集「リーダークライス」Op.24
♪ 4つの夜曲 Op.23
♪ 歌曲集「詩人の恋」Op.48
(挿入曲)クライスレリアーナ~第1曲
【アンコール】
♪ 歌曲集「リーダークライス」Op.39~月の夜
♪ 歌曲集「ミルテの花」Op.25~献呈
古い奴と云われてまうが、フイッシャー=ディースカウ、プライ、シュライヤーと云った往年の名歌手たちのリサイタルに通ってドイツリートの深淵な世界に浸っていた頃を思うと、「ドイツリートならこの歌手」という自分にとっての本命になかなか出会えないなか、新たな出会いを求めて出かけたリサイタルだった。
プレガルディエンの最初の印象は、無造作な髭を蓄え、ラフな服装で登場した風貌と同じようなラフさ。高い音域の弱音など、ベルカントとは異なる地声に近い声で、ちょっと意表を突かれた。しかし聴き進むうち、自然体の歌唱スタイルと歌詞の表現力に引き込まれて行った。地声のように聴こえた声は次第に艶を得て、フォルテでは輝かしさも加わり、声そのものにも稀有の魅力を感じた。その声で、最初に感じた自然体のイメージはそのままに等身大の主人公の姿を語り聴かせてくれる。
プレガルディエンの発する言葉は、ことさらに抑揚をつけたり、演劇チックに脚色を加えたりするのではなく、さりげなく言葉のエッセンスを自然と聴き手の心に共鳴させる。プライベートなリラックスした場でハイネの詩の朗読会に立ち会い、詩を語り聞かせてくれているような感覚。このリサイタルのサブタイトルに「詩と音楽」と付いている意味がよくわかる。アンコールの紹介で、曲のタイトルと共に詩人の名を伝えていたのも、プレガルディエンが詩を大切にしている証であろう。ル・サージュのピアノがこの歌のスタイルにぴったりで、これも自然体。歌に寄り添い詩の心情を淡々とした味わいで紡いでいった。
後半の「詩人の恋」では、生身の若者の焦燥感や絶望感、そして諦念と云った心の動きが、やはり等身大の形で自然に表現され、それが一層聴き手の心を揺さぶった。8曲目と9曲目の間にクライスレリアーナが挿入されたのは、プログラムの解説によれば、クララ・シューマンが実際に行ったことだそうだが、失恋による絶望感を表現するような第8曲「花々が、小さな花たちが」のピアノの後奏に続くクライスレリアーナは、その苦しみをそのまま受け取り、更に高めて行った。そして、間髪入れずに、失恋相手の婚礼の場の様子を描く第9曲「聞こえてくるは笛とヴァイオリン」でかき鳴らされる無慈悲な前奏と、それに続くプレガルディエンの打ちのめされた吐き捨てるような歌が、歌曲集のクライマックスを築いた。あちこちで譜面には書かれていない装飾や、音高の変化などを加えて歌った意図はよくわからなかったが…。
ドイツリートとの新たな出会いを求めて出かけたこのリサイタルは、新鮮で刺激もあり、心を動かされ、また機会があればこの歌手の歌で別のドイツリートを聴きたいと思った。
♪ブログ管理人の作曲♪
金子みすゞ作詞「私と小鳥と鈴と」
S:薗田真木子/Pf:梅田朋子
合唱曲「野ばら」(YouTube)
中村雅夫指揮 ベーレンコール
金子みすゞ作詞「さびしいとき」(YouTube)
金子みすゞ作詞「鯨法会」(YouTube)
以上2曲 MS:小泉詠子/Pf:田中梢
「森の詩」~ヴォカリーズ、チェロ、ピアノのためのトリオ~(YouTube)
MS:小泉詠子/Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美
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