#前方後円墳 新着一覧
朝墳活IN飛鳥② ~吉備姫王墓とカナヅカ古墳~
平田梅山古墳の西側の丘の上に、欽明天皇の孫で、皇極・斉明天皇、孝徳天皇の母とされる吉備姫王の墓と伝えられるものがある。 この吉備姫王の墓とされる塚であるが、どうも古墳ではないという話...
前方後方墳の考察⑭(前方後方墳の終焉)
3世紀初めに円形由来ならびに方形由来の壺形古墳が登場し、3世紀後半の箸墓古墳の築造によ...
朝墳活IN飛鳥① ~平田梅山古墳(欽明天皇陵)~
高松塚古墳の壁画修理作業室の公開に久しぶりに当選した。見学が朝一番の組だったので、早...
前方後方墳の考察⑬(前方後方墳の位置付け)
ここまで3世紀初め頃に前方後円墳(あるいは前方後円形周溝墓)および前方後方墳(あるいは前...
前方後方墳の考察⑫(円形由来の大王墓)
3世紀初め(200年~220年)に摂津、大和、近江において前方後円形の壺形古墳が誕生しました...
前方後方墳の考察⑪(大和の円形周溝墓)
壺形古墳が発祥した畿内では方形周溝墓が主たる墓制として隆盛していましたが、そんな状況で...
美旗のひまわりと、「美波多神社」そして「新田水路」探検へ。その2
青山出合辺りの「前深瀬川」からの水がここを流れていると教えられ、えぇっ、そんなんけっこ...
前方後方墳の考察⑩(神仙思想の反映)
司馬遷の『史記』によると、秦の始皇帝は方士である徐福を東方に派遣して不老不死の仙薬を求...
前方後方墳の考察⑨(壺形古墳説の確認)
主丘部への通路が発達して祭祀場になったという本命説も、対抗馬である墓道起源説も今ひとつ...
前方後方墳の考察⑧(有力説への疑問)
前方後円墳あるいは前方後方墳の前方部は周溝墓の通路が発達したもので、その前方部がやがて...
前方後方墳の考察⑦(前方部の意味)
白石太一郎氏、赤塚次郎氏はともに、方形周溝墓の通路が発達して前方後方墳の前方部になった...