倭の五王 『武』に関する件 百済武寧王の世界 海洋大国大百済 蘇鎮轍 氏 著作 彩流社より
百済武寧王の世界 海洋大国大百済 蘇鎮轍 氏 著作 彩流社より、気になる点を書き留めておきたい。倭の五王の『武』に関してである。本書では武寧王が倭の五王の中の『武』であるとの説であり、五...
高市という名称より、遡ってみる。(1)舒明天皇の妻 宝姫王(皇極天皇)の母親は吉備姫王
この記事を書いて忘れていたので、1月23日の記事の後に読んでいただけると嬉しいです。高市という名称にこだわりを持って、調べてみました。...
高野槙 武寧王の御棺の木材は倭国のもの の情報を集めてみる。
いただいたコメントより「高野槙」に関する情報を集めてみました。(蛇足ですが、玉造の玉も糸魚川産のものだそうです。朝鮮半島には存在しないようです。)...
武寧王 は 倭国 加唐島(かから・しま) で生まれた。
加唐島https://www.mlit.go.jp/crd/chirit/image/100kei-kakara.pdf 唐津から一日4往復(所要時間17分)https://
オサラバー(チャルサラバ)「生きてまた会おう」とは、百済の由来の言葉であったかもしれない。
刮目天一さんからのコメントにあった『百済王族伝説の謎―日向・百済・飛鳥はトライアングルだ...
父親である義慈王に『いつも悪い事をしている』と言われた豊璋の弟(善光)の系が日本における百済王の系となる。
善光は、父である義慈王の評判が良くなかったようだが、その裔である人には追贈で従一位にまで登った『慶命』や陸奥守となった『百済王敬福』等輩出した。...
百済王 日本への定住 豊璋と禅広(善光)王はともに義慈王の王子である。 豊璋は百済復興のため百済国へ帰国
私の山里は、お昼12時でも、-11℃。耳の隠れる厚手の帽子もかぶっていても、雪かきしていると耳が痛い。やはり家の中でおとなしくしていよう。*****...
高向玄理 と 金春秋 訂正版
高向玄理のことが書かれている【関裕二氏著作二冊】↓https://www.google.co.jp/books/edition/%E...
武寧王の周辺 倭国の時代(岡田英弘著作)から
1月12日の記事に【質】のことを書いたが、事態はもっと重かったことが、岡田英弘著作『倭国の...
西の正倉院 と 百済王族 禎嘉王(ていかおう) 福智王(ふくちおう)
大伽耶の範囲が良くわかる図(九州国立博物館) https://www.wastours.jp/contents/exploration/...
聖徳太子を描いたと言われている【阿佐太子】は唐の人か・百済の人か。
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210427-OYT8T50054/ この絵についていた註は