今日は春分の日です。
「暑さ寒さも彼岸まで」などという言葉もありますが、当地辺りでは、どうやら今年もこの言葉のような陽気の移り変わりになりそうです。
昨日は、広い地域で雪の便りがあり、それも「便り」などという程度を越えている地域も多く、首都圏も大荒れの天気に見舞われたようです。
当地は、今朝は快晴の夜明けを迎えましたが、庭や公園の芝生にはしっかりと霜が降りており、テレビの天候欄によれば、僅かですが氷点下になっていました。しかし、この寒さは、見事なほどに今日が転換点となり、明日からはどんどん暖かくなっていくようです。
大騒ぎのMLB開幕戦も、多くの感動とエピソードと共に終了しました。
多くの話題が、大谷翔平選手を中心としたこのニュースに乗っ取られていましたが、この春分の日当たりを転換点として少し変化が見られそうです。
海外では、ロシアによるウクライナ侵攻の悲劇は、大きな転換も期待されていましたが、さすがにプーチン大統領は役者が一枚格上のようで、適当にあしらわれているような気さえします。「一部的な停戦」がどの程度意味があるのか分らないのですが、いくら不十分であっても、終結への一つの足がかりになってくれることを祈る思いです。
国内政治を見ますと、「お金、お金」と叫んでいるように見えて、我が愛する国ながら、こちらは「春分の日」程度では何の変化もなさそうです。
その点、自然の流れは、大荒れのような姿を見せながらも、粛々と歩み続けています。
今日一日は、またまだ「大谷サーン」の話題にあふれていますが、ぼつぼつ「桜前線報道」が主役の地位に立ちそうです。
「年々歳々 花相似たり 歳々年々 人同じからず」などと、ちょっとした詩人気取りで、桜を楽しむ季節の登場です。
もっとも、この詩は、中国の唐の時代の人による詩ですから、この詩に詠われている「花」は桃の花かもしれません。
わが国にも「桃の節句」があるように、その花は可憐で美しいものですが、大勢が連れ立って桃の花を愛でるという風習はあまりないようです。
やはり私たちには、この詩は、絢爛豪華でありながらも、潔く散りゆく桜の花に、我が身を少し寄り添って鑑賞したいような気がします。
大自然は悠々としていて、異常季節だ、自然災害だなどと言いながらも、然るべき時には、桜は桜らしく同じ姿を見せますが、それを見る人間の方は、なかなかそうはいかないで、去年一緒に花を愛でた人の姿が今年はなく、自分自身も、一年の衰えを感じながら花の散る姿をかみしめている・・。
しかし、考えてみますと、桜の花とても、昨年と同じということはあり得ません。各地で、衰えを見せている桜の報道もありますし、荒々しい天候に、自らの命と次の世代に繋ぐために賢明に開花に備えている努力があるはずです。
私たちは、見事に咲き誇る桜を見て、「年々歳々 花相似たり 」などと受取るのは人間の横暴のような気がしてしまいます。
明日からは、昼の時間の方が長くなっていきます。昨日までよりも、少し目線を上げて、少し胸を張って、春爛漫を楽しみたいものです。