『 ベートーヴェンは凄い 』
日本レコード大賞の オープニング部分に感動した
オープニングが 三味線とブレイキンのコラボなのに
驚いたが
さらに オーケストラによる第九が加わったのには
さらに驚き 感動した
それにしても ベートーヴェンって
大変な作曲家だったのだと つくづく思った
もっとも その後は とてもついて行けそうもないが・・
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古今和歌集の歌人たち ご案内
古今和歌集は 醍醐天皇の命により編集された わが国で最初の勅撰和歌集です
この歌集には 千百余首の歌が収められています
歌人としては 「読人知らず」が四割ほども占め 四人の撰者の歌も突出して多いのですが それでも歌人の数は百三十人ほどになります
本稿は その中から百人を選び 歌人の生き様の一端を探ってみたいと企画したものです 筆者には専門的な知識が乏しく 趣味の域を超えていませんが それだけに 自由な発想も許されると考えて 書き進めました
本稿を機に 古の歌人に親しむ切っ掛けとなれば幸いです
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『 実につまらないことですが 』
テレビコマーシャルの中に 実につまらない物がある
それも 自局の宣伝らしいが 不愉快になってしまう
気に入らなければ 見なければいいわけだし
別に 金を取られているわけではないが
何を放映してもよい というわけでもあるまい
局内に 注意喚起する人は 皆無なのだろうか
年の瀬に 実につまらない話になってしまった
おだやかに おだやかに・・・
私の方が 反省すべきなのだろうが
☆☆☆
今年もあと二日を残すだけとなりました。
会社などにお勤めの人の多くは、今年は九連休になる所が多いそうで、「奇跡の九連休」などと話していた人がいましたが、少々オーバーだとしても、あまり経験しない暦かもしれません。
すでに、ふるさとにお帰りになっている人や、旅行や帰郷で移動中の人もいらっしゃるでしょうが、くれぐれも慎重な行動を心がけていただき、何よりも、自然を司るお方も、今年は平穏にお願いしたいと思います。
もっとも、この期間も、交通機関や警察・消防といった関係の人など、むしろこの期間の方が多忙を極めるという人も少なくないと思われます。
ご苦労様ではありますが、そのいずれの人であっても、九連休の連続だという人であっても、年の瀬は等しく訪れ、行く年があり来る年があることを教えられる複雑な数日間となります。
「日暮れて道遠し」という言葉がありますが、年の瀬になると、私はいつの頃からかこの言葉が浮かびます。格別に深刻さなどないのですが、「ああ、今年も終るか」という気持ちがこの言葉と結びつくようです。
この言葉の出所は『史記』からです。
原文は、「吾日莫途遠、故倒行暴施之」となっています。「莫=暮れる」「途=道」ですから、前半部分は「日暮れて道遠し」そのものですが、後半部分は難解です。「故に良識的な行動が取れず このように暴挙を行ってしまうのだ」といった意味のようです。
この言葉を語るには背景があります。中国春秋時代の伍子胥(ゴシショ・紀元前 484 没)は、楚の平王に父と兄を殺害されたので、その復讐を果すため呉に亡命し、そこで身を立て、やがて楚の都に攻め込みますが、平王はすでに亡くなっていました。そこで伍子胥は、王の墓をあばいて死骸を鞭打ちました。それを見た友人がその暴挙をたしなめたことに対して、この言葉で答えたというのです。
また、兼好法師は、徒然草の中で、「日暮れ途遠し、吾が生既に蹉蛇たり」と述べています。(蹉蛇=サダ、不遇で志を遂げられないさま)
確かに、兼好法師の伝記を読みますと、不遇なことが多かったようですが、多くのことを悟りきっているかのように思える人物ですが、それにしても、「生涯が終ろうとしているのに、残していることの多さに茫然としている」様子が伝わってきます。
兼好法師ほどの人物が、「日暮れて道遠し」と語れば、人生の何ぞやを語っているかのように感じてきます。本家本元の伍子胥となりますと、これは、とてもとても凡人の及ぶ次元ではないような気がします。
ひるがえって、年の瀬を迎える感慨に、「日暮れて道遠し、かァ・・」などと悦に入っているのは滑稽そのものかもしれません。
しかし、あと二日で、二度と返ってくることのない今年という年が過ぎ去ろうとしていることは確かです。兼好法師ほどに、やり残したことの多さを嘆くほどの神妙さはありませんし、伍子胥ほどの恨みを抱くものも持っていません。
しかし、過ぎて行く今年とやって来る新しい年の持っている意味は、これらの先人と何ら変らないはずです。新しい年は、レベルはともかくとして、一日一日を真っ正面で受け止めるような日々にしたいと、考えているのですが、さて・・・。
『 一気に歳末ムード 』
年末年始の 大型連休が始まった
世間は一気に 歳末ムードの様相
交通ラッシュの様子が 次々と報じられ
近くのスーパーの 駐車場も満杯
夕刊は 今日が最後でしばらくお休
テレビも 手抜きとはいわないが・・・
師走は 先生や坊さんだけでなく
皆さん お忙しいようだ
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『 故郷・故里・古里・ふる里・ふるさと・・、どの書き方をしても、郷愁を誘うような独特の雰囲気を持っています。 』
今年もはや年の瀬となりました。
多くの人がふるさとに向かって移動しています。
それにしても、「ふるさと」というのは良い響きですね。
故郷・故里・古里・ふる里・ふるさと・・、どの書き方をしても、郷愁を誘うような独特の雰囲気を持っています。
ふるさとで、年の瀬や正月を迎える方々は、その幸せをかみしめて欲しいものです。
残念ながら、ふるさとと呼べる所のない人や、今回帰郷が叶わなかった人は、せめて、十分でも二十分でも、父や母のことを考えてみる時間を作って欲しいものです。両親ともに健在の人はもちろんのこと、すでに他界されている人であればなおさらのことです。
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( 「小さな小さな物語」第一部 NO9 2008 . 12 . 29 作成分より抜粋 )
『 今年も飛来「山本山のおばあちゃん」 』
昨日 米国の国鳥ハクトウワシに 触れたことから
毎年琵琶湖にやって来ている オオワシのことを思い出した
今年も飛来しているという記事は 見ていたが
つい先日も ナマズを捕らえたというニュースが出ていた
オオワシは 越冬のため カムチャッカ半島から飛来し
主に 北海道で冬を過ごすが
この雌のオオワシは ただ一羽で 琵琶湖までやってきて
長浜市の山本山あたりを住処に 冬を過ごしている
1998 年の 1 月に初めて確認されて以来 毎年やって来ていて
今年も 11 月 21 日に飛来が確認され 連続27年になる
相当高齢であることから 「山本山のおばあちゃん」と親しまれ
地元の人ばかりでなく 多くのファンがいるそうだ
ぜひ 穏やかに冬を過ごしてもらいたいものだ
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『 松が枝を結ぶ歌 ・ 万葉集の風景 』
「 有間皇子 自ら傷みて 松が枝を結ぶ歌二首 」
岩代の 浜松が枝を 引き結び
ま幸くあらば またかへり見む
( 巻2-141 )
いはしろの はままつがえを ひきむすび
まさきくあらば またかへりみむ
意訳 「 岩代の 浜の松が枝を 引き結んで祈れば 幸い無事であれば また帰ってきて見ることもあろう 」
岩代は土地の名称で、現在の和歌山県日高郡南郷町。
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕
旅にしあれば 椎の葉に盛る
( 巻2-142 )
いへにあれば けにもるいひを くさまくら
たびにしあれば しひのはにもる
意訳 「 家にいるときには 器に盛る飯だが 草を枕の旅なので 椎の葉に盛るのだなぁ 」
* 有間皇子は、第三十六代孝徳天皇の皇子です。
645 年 6 月 12 日、中大兄皇子と中臣鎌足らが時の権力者蘇我入鹿を暗殺するという大事が起りました。乙巳の変(大化の改新)です。
混乱の中、皇極天皇は退位し、弟の孝徳天皇が 6 月 14 日に即位しました。おそらく、政治の実権は皇太子の中大兄皇子らが握っていたのでしょう。
孝徳天皇は、そうした状況を変えるためもあってか、646 年 1 月に都を難波宮に移しました。こうした事も原因してか、孝徳天皇と中大兄皇子との関係は悪化の一途をたどり、653 年には、都を倭京へ戻すことを求めていた中大兄皇子は、天皇が聞き入れる意志が無いのを知ると、皇族や群臣を引き連れて難波宮を去ってしまいました。皇后までも同行しました。
孝徳天皇は、失意のうちに翌 654 年 11 月に崩御しました。
* その跡は、再び元皇極天皇の姉が斉明天皇として重祚しました。
孝徳天皇が即位するときにも、何人もの皇子が辞退したと伝えられているように、皇位をめぐる争いの激しい時代でした。
有間皇子は、657 年に、紀伊の牟呂の湯(城浜温泉の一部)に向かいました。精神病をよそおっていたと伝えられていますので、皇族間の争いから身を隠そうとしていたのでしょう。帰京後には、伯母でもある斉明天皇にその効能を話したので、翌年の冬には、天皇・皇太子(中大兄皇子)らが牟呂の湯に向かいました。
* その留守中に、有間皇子謀反という事件が勃発しました。蘇我赤兄にそそのかされたため、と伝えられていますが、有間皇子はその蘇我赤兄に捕縛されました。
11 月 9 日に牟呂に護送され、中大兄皇子の尋問を受けました。
その時、有間皇子は、「天と赤兄のみが知る。自分は知らない」と答えたと伝えられています。
許されて帰京するかに見えましたが、11 日、藤白坂(海南市藤白)において、絞首刑に処せられました。享年十九歳でした。
* 掲題の二首の歌は、護送される途上で詠んだものです。
「松が枝を引き結ぶ」ことによって、願いが実現するという風習があったようで、有間皇子は、どのような思いで結んだのでしょうか。
皇子に生れたばかりに、十九年にも満たない生涯は、悼みても悼みきれないものと思われます。
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『 ハクトウワシが正式に国鳥に 』
ハクトウワシが 正式に国鳥に指定されたそうだ
米国の話で これまでも国鳥として扱われていたようだが
このほど バイデン大統領が 国鳥と指定する法案に署名し
国家のお墨付きを 受けたそうだ
多くの国が 自国の国鳥を認識しているようだが
必ずしも 国家の機関が制定しているわけではなく
その国の権威ある鳥類学術機関による制定や
歴史的に認知されているなど 様々なようだ
わが国の国鳥は キジだが
1947 年に 民間団体の日本鳥学界が 選定したもの
さて わざわざ米国の真似をするほどのことも
ありませんかなぁ・・
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昨日はクリスマス、年末には除夜の鐘を聞き、年が改まると神社に初詣・・・。
篤い信仰をお持ちのお方には申し訳ないのですが、私などは、除夜の鐘を聞く時には(最近はテレビ中継ばかりですが)、それなりの感慨や、思い起こすこともあるにはあるのですが、御仏の教えや、感謝の心などほとんど抱いておりません。神社へのお参りも、神妙に首を垂れ、「その賽銭でそれだけ頼むか」と言われるほどの願いも懸けますが、さて、どれほどの期待を描いているのかと言われますと、むしろ、一種の習慣のようなもので、お参りしないことには何となく落ち着かないといった面の方が強いように思います。
クリスマスに至っては、私に限らず、おそらくごく限られた方々を除けば、忘年会を兼ねるような行事になっていたり、子供たちにとってはプレゼントが楽しみで、親にすればめったに出来ない保護者面が出来るチャンスであったりと、ある意味では大切な場を提供してくれているのかもしれません。
世界の各地では、多くの紛争が発生しており、この時点でもまったく収束の糸口さえ見えないものが数多くあります。
その原因をたどれば、人種対立であったり、宗教対立であったり、利害の対立であったり、本当は何が原因か分らないが先祖伝来の敵対関係というのもあるようです。
どれが原因だとしても、人間同士が、これほど激しく憎みあい、幾千幾万という人命が失われている紛争が行われている現実を見ますと、その環境に置かれると、人間はそのような行動を取るのだと悲しく、そして怖ろしくなってしまいます。
人間の持つそうした一面を鎮める知恵を、私たちは未だもって手にすることが出来ていないのでしょうか。
昨年のクリスマス時期に、高島屋が販売したクリスマスケーキが、多くの物が崩れた状態で配達されるという事件がありました。ほとんどが家庭に送られたものでしょうから、楽しみにしていたクリスマスパーティが台無しになったとか、子供たちが泣き出してしまったとか、大きなトラブルとなりました。
高島屋では、材料の仕入れから製造過程、配達に至るまでトレースしたようですが、その原因を見つけることが出来ず、「すべて弊社(高島屋)の責任です」と頭を下げる姿が実に痛々しく感じたのを覚えています。
昨日、某テレビ番組で、この問題を取り上げていました。
高島屋では、今年のクリスマスケーキの販売にあたって、昨年問題が発生した制作者や配送業者など全く同じメンバーでチャレンジしたそうです。さすがに老舗の力だと感じましたが、顧客も同様に感じたのでしょう、予定数は完売し、昨日の放送段階では無事に製品が届けられているようでした。
制作にあたった方はインタビューの中で、昨年のトラブルのあとに、当然クレームもあったのでしょうが、「崩れていたが、美味しく頂きました。負けずに来年も作ってください」などといった励ましの手紙などがたくさんあったそうです。
これほど優しい人々がいることも、同じ人間の社会なのだと感動しました。
私たちは、日頃は神も仏も全く関心がない人でも、ある刹那には、神にも仏にも祈り、助けを求めてしまいます。
つい先日まで隣人同士であったはずの人々が、何の躊躇もないかのように刃を振るい鉄砲の引き金を引きます。
傷だらけの人たちが、がれきの中から幼子を救い出している映像を見たことがあります。氷の割れ目に落ち込んでいる鹿の子を、凍てつく水に首まで使って助け出している映像を見たこともあります。
人はこれほど猛々しく残酷な行動が出来、これほど優しく力強い行動を取ることが出来るのですねぇ・・・。
幸か不幸か、その両極端の立場に立つことがないままに生きてきましたが、残された日々は、ほんの少しでも、優しい方に向かいたいと願っています。