『 責めて今夜は 大谷さん大谷さん 』
トランプ関税だ 報復関税だと右往左往
停戦へ 向かっているようにも見えるが
ウクライナが 苦しい状態になっているようにも見える
我が県政は 面白くないが
石破首相まで 何をやってくれるのだ という感じ
イライラすることが 多すぎるが
せめて今夜は 大谷さん大谷さんで
楽しませていただこう
☆☆☆
『 豊旗雲に入日見し ・ 万葉集の風景 』
わたつみの 豊旗雲に 入日見し
今夜の月夜 さやけかりこそ
作者 天智天皇
( 巻1-15 )
わたつみの とよはたぐもに いりひみし
こよひのつくよ さやけかりこそ
歌意は、「 大海原の 豊旗雲に 入り日が差しているのが見える 今夜の月は 清く明るくあって欲しい 」
なお、「豊旗雲」とは、古代の幟状のように長く延びている雲で、吉兆の雲とされた。
また、当時は、日没から一日が始まると考えられていたようなので、「今夜が美しい月夜であれ」というより、「次の日も好天であれ」といったイメージだったのかもしれない。
* この歌は、斉明天皇七年( 661 )、百済救援に向かう途上、播磨国で詠まれたもののようです。従って、作者はまだ即位しておらず、皇太子中大兄皇子の時の歌ということになります。
* 中大兄皇子は、中臣鎌足らと謀って蘇我入鹿・蝦夷を討伐して権力を掌握した乙巳の変( 645 ・大化の改新とも)のあと皇太子に就き、実質的には政権の頂点にあったと考えられます。
この歌が詠まれたのは、皇太子についてから十五年を経ており、自らも朝鮮半島に向かう船団にあって詠んだものと思われます。大らかでスケールの大きな歌からも、中大兄皇子の自信の程が伝わってくるように思われます。
☆ ☆ ☆
『 もう がっかり・・ 』
石破首相の 商品券贈与が問題視されている
首相は 「法的に問題ない」「初めてではない」
などと 弁明しているようだが
金権政治云々で 国会の討議時間を無駄遣いしている最中
10万円など ほんの手土産だとばかりに
配布する神経が どうしても理解出来ない
もう がっかりで 好きなようにしていただきますか・・
☆☆☆
「字余り」って、何とも味のある言葉だと思われませんか。
ご承知の通り、「字余り」とか「字足らず」というのは、俳句や短歌において、規定よりも文字数が多かったり少なかったりするものを指します。
「破調」という言葉もありますが、俳句などにおいては、字余り・字足らずに加えて、切れ目と言葉の意味が一致しない場合も、定型から外れた破調となるようです。
私は、俳句も短歌も本格的に学んだことはありませんが、かつて、先輩に俳句に熱心な人がいて、むりやりに誘われて句会に何度か参加した経験はあります。
きっと私だけではないと思うのですが、俳句の初心者の場合、目にした光景や心に浮かぶ思いなどを表現すること以上に、「5・7・5」と指を折って、字数(正しくは音数)を合せるのに神経を注いでいたような気がします。
俳句の魅力は、僅か「5・7・5」の17文字という制限の中に、季語を詠み込んでピリッとした作品に仕上げることにあると思うのです。
ところが、字余りも字足らずも、季語無しさえもOKだと言うのですから、私の苦労は何だったのかと思うことさえありました。
幾つか例を見てみますと、
『 かれえだに 烏(カラス)のとまりけり 秋の暮れ 』
『 芭蕉野分けして 盥(タライ)に雨を 聞く夜かな 』
この二句は、いずれも松尾芭蕉の作品です。それぞれに味があることは認めるとしても、「5・7・5」に苦しむ素人にすれば、「芭蕉が詠んだから俳句になったのだろう」と思ってしまいます。
こんな句もあります。
『 夜桃林を出て 暁に嵯峨の 桜人 』 (ヨルトウリンヲデテ アカツキニサガノ サクラビト)
これは、与謝蕪村の作品ですが、これなどは漢詩の仲間という気さえしてしますます。
どうも、ぼやきばかりになってしまいましたが、実は、「字余りでなければこの句は輝かない」と思わせる句も数多くあるようです。
幾つか紹介させていただきます。
『 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる 』 松尾芭蕉
『 白梅に 明くる夜ばかりと なりにけり 』 与謝蕪村 辞世の句とされる。
『 ざぶりざぶり ざぶり雨降る 枯野かな 』 小林一茶
『 雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る 』 小林一茶
『 目に青葉 山ほととぎす 初鰹 』 山口素堂 季語が三つ
こうした名句を見ますと、「規則破り」だと声を荒げるのは正しくないように思われます。
もちろん、俳句に限らず、さまざまな芸術やスポーツなどにおいて、規則を守らないことには成立しなくなることがあります。規定をはみ出すにしても許容の限度はあることでしょう。
私たちの日常も全く同様のような気がします。
一言多い人は、嫌がられる場合が多いですが、もしかすると、「字余り」的なヒットを放つかもしれません。
三言も四言も多いさる指導者には世界中が振り回されていますが、もしかすると、大事を成就させてくれるかもしれません。
私たちは、出来る限り、定められたルール内での振る舞いを心がけたいと思いますが、同時に、少々の規格外れを、全く疎外してしまうことも正しくないのかも知れません。字余りの句が、それだからこその輝きを見せることもあるのですから。
『 報復関税 』
トランプ大統領の 関税政策は
二転三転しながらも いくつかは実行されていて
遂にわが国の 鉄鋼・アルミなどが対象となった
それに対して 中国・カナダ・EUは
厳しい口調で 報復関税の実施を発表している
どうやら わが国はひたすら堪え忍ぶようだが
自動車関連に及べば さて どうするか
報復関税を実施しようが 堪え忍ぼうが
国内産業は 相当の影響を覚悟せねばなるまい
政府首脳による 外交も大切だが
米国民・企業が 物価上昇と原材料不足に音を上げるまで
堪えきる覚悟が必要だろう
☆☆☆
『 さても このごろは 』
年老いて、人はなぜか昔を懐かしむ。
いつの世も、生きていくのはそうそう簡単なことではないけれど、百歳を超えて生きるとなれば、穏やかな心を保つのは、なかなかに、安易なことではあるまい。
百歳を超えて生きる女性がいた。
老いと共に昔のことを懐かしむのは人の常のようだけれど、彼女もまた、昔のことを懐かしげに語ることが多かった。
ここに紹介する短編集は、その女性が百歳を超えた頃から話してくれたものを、書き留めたものである。
短い作品集です。ぜひ、ご一読いただきたくご案内いたします。
『 停戦に進むことが出来るか!? 』
米国とウクライナの 高官協議後に
ウクライナが 米国の一時停戦の提案を受け入れた
と 共同声明で発表した
詳しい内容は分らないし 次の米露の協議がどうなるか
まだまだ楽観出来ないが 大いに期待したい
停戦協議の中で 米国が軍事支援を即時再開したが
これに対する反対意見も 聞かれるが
ロシアとの停戦交渉には 絶対必要だったと思う
☆☆☆
『 小寺の小僧 ・ 今昔の人々 』
一条の摂政殿(藤原伊尹)が住んでいた桃園というのは、今の世尊寺である。
摂政殿は、その御邸で大きな法事を催されたが、比叡山・三井寺・奈良の寺々などから優れた学僧を選んでお招きになった。
招かれた学僧たちは、夕方の講座が始まるのを待っている間、それぞれに集まって、経を読んだり、世間話をしたりしていた。
御読経所は、寝殿の南面に設けられていたので、僧たちはその辺りに集まっていたが、そこからは、南面の庭の築山や池などがたいへん美しく見えていた。
すると、山階寺(法隆寺)の僧である中算(チュウザン・935 - 976 、仲算とも。経典に通じていた。)が、いかにもその趣きに感じ入ったように、
「ああ、何とすばらしいことか。この御邸の木立(きだち)は、他所の物とは比べものにならない」と呟いたが、そばにいた木寺(きでら)の基僧(キゾウ)という僧がそれを聞くと、
「奈良の法師というものは、何と物を知らないことか。言葉遣いがまことに賤しい。『木立(コダチ)』と言うべき物を『木立(キダチ)』とか言っているようですなぁ。実に心もとない言葉遣いだ」と中算の学識の高さや奈良の僧に対抗心でも抱いていたのか皮肉たっぷりに言って、いかにも軽蔑したかのように爪をバチバチとはじいた。
中算は、こうあざ笑われると、「いやいや、これは言い損ないました。つまり、貴僧のことは、『小寺(コデラ)の小僧(コゾウ)』と申さねばなりませんなぁ」と言ったので、その辺りにいた僧たち全員が大笑いをした。
その時、摂政殿がこの笑い声を聞きつけられて、「何を笑っておられるのか」とお尋ねになったので、僧たちがありのままをお答えすると、摂政殿は、
「それは、中算がそう言おうと思って、基僧のいる前でわざと「木立(キダチ)」などと言ったのを、基僧は気がつかず、まんまと計略にはまって、『小寺の小僧』などと言われたのは、実に情けないことだ」と仰せられたので、僧たちはますます大笑いして、これから後は、基僧には『小寺の小僧』というあだ名がついたという。
さて、中算は、本当に摂政殿が申されるように、たくらんで『小寺の小僧』という言葉を導き出したのであろうか。もしそうだとすれば、大変な知恵者とも言えるし、大変腹黒いとも言えるような気もする。
いずれにしても、京と奈良の間に宗派の争いなどもあったようだが、高僧同士でも他愛もない争いをしていたようだ。
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『 東日本大震災から14年 』
14年経っても テレビから伝えられるニュースは悲しい
あの大災害を 忘れることなど出来ないが
語り継ぐ努力も 必要だと思う
辛い被災を受けた人 一人一人にとっては
その思いは 14年を経ても 風化するものなどあるまい
ただ 過ぎ去っていく時間が ほんの少しでも
癒やしになって欲しいと 祈るばかりだ
☆☆☆