Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

豆撒き

2025年02月02日 15時14分59秒 | その他の日記

 今日は、何時もより1日早いですが、豆撒きの日です。

 豆撒きをする「節分の日」というものは、2月3日と決まっているものとばかりに思っていましたが、違うんですね(~_~;)

 地球が公転する周期と暦とのずれの関係から、「節分の日」が2月3日ではない日になることがあるのですね。来年からは、「節分の日」が、4年に一度、2月2日となることが多くなるようですね。

 それはともかく、我が家では、「節分の日」には豆撒きをしていますので、今年も、一応、その準備をしました(^_^)

 ここのところ、毎年、柊の枝は、散歩道からタダで調達してきていますので、今年も、それに倣い、昨日の散歩は、柊の枝が採れる道程を選択です、、、(笑)。

 近くに、ケヤキの街路樹が植えられた市道があるのですが、そのケヤキの木の根元のツツジの植え込みの中に、1本だけ、小さな柊の木が自生しているんです。ツツジの植え込みは、毎年、市が刈り込んで手入れを実施していますが、その小さな柊の木を、根本から伐ったり引き抜いたりまではしませんから、柊の木そのものは残っているんですね。そして、毎年、少し、枝を伸ばすんです。その伸びた枝をいただいてくるわけです(^-^*)

 そんなことで、昨日の散歩で、無事、タダで柊の枝を調達出来ましたので、次に、今度は、「イワシ」と「福豆」の調達にと、スーパーに向かいました。

 「福豆」は、1袋では足りないものですから、2袋買いました。老夫婦二人だけの生活ですし、豆は形だけ撒けばいいわけなので、1袋買えばすみそうですよね。撒いた後に多く残しても、その処分に困りますものね、、、。老人は、歯も弱っていますし、残った硬い福豆を噛み砕いて食べるのも大変ですものね(><)

 ところが、現実には、1袋では足りないのです(~_~;) と言いますのは、撒いて残った福豆を、自分の年の数だけ食べなければならないからです(~_~;) 年をとると、その食べる数が多くなりますよね。そのことを予定して準備しないと数が不足しますから、最少でも2袋準備しなければならないからです。還暦を過ぎた場合は、60個を差し引いて食べればいいというような新たな慣習でも生まれないものでしょうか、、、(笑)。

 なお、「福豆」売り場には紙製の「鬼の面」が置かれ、「ご自由にお持ち下さい」と表示されていました。今年は、豆撒きが2月3日ではなく、例年とはちょっと変わった2月2日ということなので、それを記念して(?)、この「鬼の面」をタダでいただいてきました(笑)。

 以上のとおり、昨日中に、必要なものを揃え終わりました。

 今朝は、「イワシ」を焼き、その頭だけを柊の枝に刺し、玄関に飾り終えたところです。

 準備完了。あとは、夕刻になったら、「福は内、鬼は外」の掛け声で、豆撒きをするばかりです(^-^*)

 

柊の枝にイワシの頭を刺し、玄関に飾ったところ

 

 

スーパーから買ってきた「福豆」

紙製の「鬼の面」は、タダでいただいてきたもの


「染付 白菜文 白菜形皿」への追記

2025年01月27日 13時47分29秒 | 古伊万里

 つい2~3日前のこと、インスタグラムを眺めていましたら、izumiyama_sericiteさんが、「藍九谷 白菜形手塩皿(江戸時代寛文期頃)」なるものを紹介していました。

 かつて、私は、このブログで「染付 白菜文 白菜形皿」を紹介していますが、私は、どうも、この「染付 白菜文 白菜形皿」なるものの生産地と製作年代の特定に自信をもてないでいました。

 ところが、このizumiyama_sericiteさんの「藍九谷 白菜形手塩皿(江戸時代寛文期頃)」の紹介文の中に、この手塩皿は「古染付を写したものかもしれません」という文言があったのです。この文言は、かつてこのブログで紹介した「染付 白菜文 白菜形皿」の生産地と製作年代の特定に大きなヒントを与えてくれますね(^_^)

 この文言から、結球種の白菜をモチーフとした皿が古染付の写しだとすれば、かつてこのブログで紹介した「染付 白菜文 白菜形皿」の生産地は「肥前・有田」で、製作年代は「江戸時代前期」だと特定出来るのではないかと思ったところです。

 そこで、かつてこのブログで紹介した「染付 白菜文 白菜形皿」の記事に、「追記2」として追記したところです。


古美術品交換会

2025年01月20日 16時38分16秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の古美術品交換会の日でした。

 今日は大寒とのこと、、、。今頃が一番寒いんですよね(><)

 ところが、今朝、起きてみましたら小雨が降っていて暖かいんです、、、。

 寒いのを覚悟していたのに、ちょっと、拍子抜けでした(^_^)

 でも、寒いよりは暖かいほうが良いですから、気分は上々です(^_^)

 それで、交換会は10時に始まりますので、それに遅れないように8時過ぎにはスタートしました(^_^)

 スタート時点では小雨でしたが、それが、途中、一時、強く降ってきたりはしたのですけれども、会場に着く30分ほど前には晴れ間も見えてきました。そして、会場に着いた頃は、すっかり晴れあがり、暖かい春のような陽気となりました(^-^*)

 そんなことで、お天気に恵まれ、出席者もまぁまぁな人数が集まり、賑やかな新年の競りが始まったのですが、内容が良くありませんでした(~_~;)

 出品された物がガラクタ揃いでしたから(><)

 私の狙っている古伊万里など、心ときめく物は何一つ登場せずじまいでした(><)

 そんなことで、今日も昨日に続き、収穫無しに終わりました(~_~;)

 毎月、毎月、そうそうに収穫はありませんね。来月に期待です。


骨董市

2025年01月19日 13時08分46秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の、定例の骨董市の日でした。

 でも、今は寒いですね(~_~;) 年を取ると、寒さが身に凍み、寒さをものともせずに早朝から出かけるという気にはなれません(><)

 それで、のそのそと8時半頃の出発です、、、。

 でも、会場は、既に多くの人で賑わっていました。

 しかし、展示されている商品は相変わらずで、私の狙っている古伊万里も相変わらずの貧相ぶりです。

 その中で、1点だけ、「買おうかな~、止めようかな~、どうしようかな~」と迷ったものがありました。

 それは、口径が20cmほどの幕末頃に作られたと思われる伊万里の色絵の「蓋物のようなもの」でした。

 ここで、「蓋物のようなもの」と書きましたのは、それは、一見すると幕末頃によく見られる色絵の蓋物のように見えるのですが、よく見ますとそれとは違うんです。本体が鍔広の鉢になっていて、その鍔広の鉢に、一回り小さく作られたサイズの蓋が付けられていたんです。そうなりますと、「蓋物」というよりは、「蓋付きの鍔広鉢」ですね。

 その器形は、ちょっと珍しいかな~と思ったわけです。コレクターというものは、この「珍しい」というものに弱いんですよね(~_~;)

 それで、「買おうかな~、止めようかな~、どうしようかな~」と迷ったわけです(~_~;)

 しばし悩みましたが、これは、時代的には幕末物で若いですし、器形的には珍しくいので資料的価値は高いかもしれませんが、美術的価値としてはそれほどでもないですので、最終的に、買うのを止めることにしました。

 それに、明日は、月に一度の古美術品交換会の日ですから、乏しい軍資金は、少しでも明日に持ち越しておいたほうがいいかな~と思ったことも、買うのを止める一因となりました。

 ということで、明日に期待ですが、今日出会った物以上の物でなければ手を出さないことにしたいと思います。明日は、今日買えなかった反動で、つまらない物に手を出さないようにしたいと思います。


家康の血筋

2025年01月12日 18時36分20秒 | 読書

 「家康の血筋」(近衛龍春著 実業之日本社 2023年2月5日 初版第1刷発行)を読みました。

 

 

 

 この本によりますと、家康には、11人の男子がいたようです。

① 長男 松平信康

② 次男 結城秀康

③ 三男 徳川秀忠

④ 四男 松平忠吉

⑤ 五男 武田信吉

⑥ 六男 松平忠輝

⑦ 七男 松平松千代(早世)

⑧ 八男 平岩仙千代(早世)

⑨ 九男 徳川義直(尾張徳川家の祖)

⑩ 十男 徳川頼宣(紀伊徳川家の祖)

⑪ 十一男 徳川頼房(水戸徳川家の祖)

の11人です。

 なお、この本では、その内の「長男 松平信康」、「次男 結城秀康」、「三男 徳川秀忠」、「四男 松平忠吉」と「六男 松平忠輝」の5人の生涯について記されていました。

 「七男 松平松千代」と「八男 平岩仙千代」については、共に「早世」ですから、記すべき内容がありませんので、省略されています。

 また、「九男 徳川義直」、「十男 徳川頼宣」及び「十一男 徳川頼房」については、それぞれ、「尾張徳川家の祖」、「紀伊徳川家の祖」及び「水戸徳川家の祖」という紹介だけで、それぞれの人物についての詳細な記述は省略されていました。

 しかし、何故か、この本では、「五男 武田信吉」については、記述されていませんでした。 

 上記しましたように、この本では、家康の男子の内の「長男 松平信康」、「次男 結城秀康」、「三男 徳川秀忠」、「四男 松平忠吉」と「六男 松平忠輝」の5人の生涯についての詳細が記されていたわけですが、私は、「長男 松平信康」と「三男 徳川秀忠」の2人については、よく、他の本にも登場していますので、彼らの生涯については有る程度は知っていましたから、特に興味は湧かなかったところです。

 でも、「次男 結城秀康」、「四男 松平忠吉」と「六男 松平忠輝」の3人については良く知らなかったものですから、興味深く読みました。この3人について詳しく書かれた本は少ないのではないかと思います。