https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210427-OYT8T50054/
この絵についていた註は「 唐本御影 」「 阿佐太子 御影」だという。
これだけ読むと、唐本御影は唐風か韓風(漢字が違うが「カラ」と読んだとして)の肖像画である、とも読め、
阿佐太子御影もそのままの意味で阿佐太子の肖像画であったとも読めるのだ。
阿佐太子が日本に来て推古天皇・聖徳太子に会ったのは、597年と記録にある。
隋が618年迄あり、その後に唐の時代であるため、「カラ」と読んで「韓」のことと置き換えても良いのではないだろうか。
阿佐太子が聖徳太子に持ってきたお土産だったのではないだろうか。
例えば、その横にいる二人のうちの一人が聖徳太子の父となる人物であった‥‥など、何らかの縁があったのかもしれない。
もしくは聖王が真ん中で、両脇のどちらかが「威徳王かもしくは恵王」と「阿佐太子」だったのかもしれない。
聖徳太子は阿佐太子と会った時には十代後半か二十代のはじめと思われる。
この肖像画の像はどう見ても中年だし(失礼!)二人の子どもも大きすぎる。
聖徳太子の展覧会で遭遇した聖徳太子像はすべて後世に作られたもので、飛鳥時代の観音様はあったが、聖徳太子像はなかった。
彼は日本人ではなかったために推古天皇の側近となっていたのかもしれないし、天皇となれなかったのかもしれない。彼が表立って出ない方が上手くいくと推古天皇も考えたには理由があると思う。
後にペルシャ人が入ってくるきっかけとなっているならば、彼にもその血が入っていたのかもしれない。
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聖徳太子は今現在でも出会うと有難い気持ちになるようで、像に手を合わせている方々がたくさんいらした。それほど根強い人気がある。
私にとっても好きな人物の一人が【謎多き聖徳太子様】であることを告白しておこうと思う。