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イサヤ(イエス・キリスト)はホントに日本に来ていた!?【あの世飛行士(タイムジャンパー)は見た!?《歴史の有名なあの場面》(著・木内鶴彦/長典男)より】
木内「実は、2001年10月に、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に招待を受けてバチカンに行きました。自由に見てもいいよということで、壁画とかそういうものを見たときに、私が生死をさまよって見た時代のその人の風体とは当然違うものがあるわけです。キリストと言われる人が髭を生やしているのが気になりました。“あれ、髭は剃っていたはずなのに”とひとり言をぶつくさ言った。ディティールの部分、細かいことですが、そういうことを考えていました。たしか刺されたけれども生き返って、死んでいないよなとか、その後はああだった、こうだったというのがありますが、それはまた後ほどお話しします。

日本に来ているよなということもありました。数年前にそんなことをバーっと想像していた。温泉に入っているんです。ちょっと待てよ、この温泉ってどこだという話になります。


長「九州ですよね」


木内「そうです。夕日が沈んでいく。前に海があって、半島が突き出していて、湯煙が立って、向こうには火山が見える。ここはどこだと思って、ずっと考えながら、船でやってきて、向こうから見える世界を想像したら、どう見てもこれは長崎県の島原半島の胃袋みたいな格好をした、そこの近くらしい。そんなところに温泉があったかなとか、いろいろ調べてみたら、確かに温泉は2400年前からあったといわれています。やっぱり入ったんだ。ということは、日本に来ているんだ。

まず第一に、生きていたということがつながったんです。記憶って、いったんつながり始めると、思い出せなかったことがバババッとつながり始める。本当に怒らないでくださいね。今のは生死をさまよって見てきたことだけの話ですから、そう思ってくださいね。参考になるかどうかは別として。

そこにイサヤという人がいました。お母さんは高貴な家の奥さんだったけれども、昔は戦乱の世で、負けたところの女性たちは勝ったほうの兵士たちに好きなようにされてしまうということで、普通ではあり得ないような懐妊をしてしまった。でも、それは言えない。言ってしまうと自分は罰せられたりするので、誰かのお子様ですということにしなければいけない。自分の身の回りを見ていてくれた男の人が旦那の代わりになると宣言してくれたので、産むことになりました。

彼はちょっと変わっていました。当時のユダヤ教というのか、あの当時の人たちの考え方は少し腐敗している部分がありました。彼は自然界とかということをすごく考えたけれども、結局は人間のことだけなんです。人間とはどうであるべきかという哲学的なこと。そう言いつつも、キブツというものがあって、村をつくるとモーゼから申し送られて、砂漠を緑地化するという話に傾倒している人たちもいました。人々が一生懸命つくった作物を彼らは食べていた。彼らは偉そうなことを言っても何もしていない。しかも、何もしていない人たちが、一生懸命働いている人たちを下に見ていた。納税だとかいって、取り立てるようなことばかりやっている。これはものすごい理不尽で、イサヤは人間とは本来、平等でなければいけないのではないかという立場からいろいろやり出すんです。彼がそういうことを考えて多くの人に伝えていくうちに、それが厄介だという人たちも当然出てくるわけです。

そのころ、そこを治めることになっていたローマから来ていた人たちがいました。その人たちの中にも彼の話に傾倒する人たちがふえてきました。要するに、ユダヤ正教の人の中にも彼に傾倒してくる人たちがいる。基本的な理念は同じところです。生きていくために働いて、緑をふやしていかなくちゃいけない。砂漠を緑地化するところから始めなきゃいけない。教会でもそうですが、必ず畑とか何かをつくって自給自足みたいなことをやって、困っている人たちが来たら分け与えるというのが本来の形に今はなっているんです。でも、昔からそれを唱えていかなくちゃいけない人が唱えなくなって、働いている人たちを使うようになってくる。それに対して、どうも違うんじゃないかということを唱え始めたら、やはり異端と見られていきます。

一緒に歩いているときに、ある女性がいました。これは奥さんになる人です。昔は別に結婚式とか宣言するとかではなくて、奥さんという形があって、子どもができました。今いわれているように、確かに捕まることは捕まるんですが、その前に自分の嫁さんだけは、髪の毛を短くして男性の格好をさせて、逃げしてやるんです。ユダヤの男みたいにして、ユダという名前にして追い出した。

イサヤはいろいろ情報を知っているので、これから起きる未来の出来事を書けるんです。こういう時代が訪れるから、最悪な状態にならないようにするためにはどうしたらいいかということを、皮に書きました。それを最終的には油でなめして腐らないようにして、丸めてレバノン杉でつくった箱に入れました。

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みんなで最後に飲み干したときのスズでつくったワイングラスはそんなに大きいものではありませんが、そこに一筆書きで描ける八芒星があります。両方がへこんで、へこんで、へこんで、十字架みたいな格好になるんですが、それは彼の紋所です。それを持たせて“ヘラクレスの足元に埋めておいてくれ”という約束をしました。

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ヘラクレスの足元というのは、ジブラルタル海峡のスペイン領寄りの先端のところに山がありますが、それがヘラクレスの足と言われていて、その足元です。今はイギリス領になっています。そこに置いておいてくれという話になっていました。そういうことをしながら別れ別れになってしまった。

その後、彼はどうしたか。まず、気を失うぐらいの痛みで刺されるんですが、血が流れただけで終わっているんです。周りで刺す人たちも彼に傾倒していますから、傷をつけただけです。傷をつけておけば亡くなったと思ってくれるだろうと。たしか、すごい雨が降ったんです。わずかな血でも、雨が降って水に濡れるとすごい血の量に見えるんです。亡くなったことにして、石棺の中に入れて、蓋をずらしておいた。

彼には双子の弟がいて、双子の弟は髭を生やしていました。別々に育てられていたので、本人もわかっていませんでした。当時、片方は必ずどこかにやられてしまうので。顔つきは同じだけれども、髭を生やしているか生やしていないかの違いはあるんです。彼はイサヤの言っていることに傾倒していたので、亡くなるときに服毒自殺をしてしまいました。周りの人たちは、服毒自殺をした遺体とこっそり入れかえたんです。

石棺をあけたら傷が消えていたという1回目の奇跡。それはそうですよね、入れかえたんだから。そういうことかと思ったけれども、一緒に行った人たちは敬虔なるクリスチャンですから、こんなことはそこでは言えないですよ。でも、私は1人でワクワクしていました。そうだったのかと。

体が治って傷も癒されて3ヶ月から半年以上経ってからだと思いますが、今度はペトロと会おうということで行きました。当然、ペトロと会ったときには傷がありました。“俺は助かった”と言おうとしたら、彼はその姿を見たら振り向いて逃げていっちゃった。あそこには復活したと書いてあるけれども、そういうことなのかと。

彼は砂漠の緑地化の大切さを訴えてずっと歩いて、日本まで渡ってきた。台湾から渡って、最終的には宮古島から船に乗ってくるので、宮古島に滞在したことがあるはずです。そこから船に乗って、船が流されていくと海流の流れとちょうどぶつかるんです。後で調べました。ちょうどいいあんばいにあそこに入っていく。絶対ここに来ているはずだ。彼はイサヤという名前だったので、昔からの言い伝えとして何か残っていないか、みんなで調べました。例えば、ヘブライから来たから戸来村(へらいむら)とかあるように、何かあるんじゃないかと思ってずっと調べていました。

そして気がついたのが、諫早(いさはや)です。諫早というのはもしかしたらと思ったら、はっきりとした意味はなくて、語音だけがあって、後で漢字が足されているらしい。あれをローマ字で書いて、Hは読まなければ、イサヤになりませんか。そうすると、キリスト教が来る前からずっと、キリスト教と似たような話はあそこに広まっていた可能性がないか。これは試したわけじゃないですよ。私の中で今調査しているだけの話ですが、でも一応、真実は真実で知りたいなと思っているんです。
最終的にはどこに行ったのかと思ったら、四国です。剣山で・・・」

3度の臨死体験を通し、事実上のタイムスリップを繰り返してきた木内鶴彦さんが見てきた地球の歴史の真実。

その中の1つの物語に2000年前に実在したユダヤ人のイサヤのエピソードがあります。

後にイエス・キリストという名で神の子の救世主として祀りあげられ、現在では世界一有名な歴史上の人物の1人として君臨し、彼らのための西暦であり、彼の生誕を遠く離れた日本でも毎年お祝いするほど今はキリスト文明が世界の中心となっています。

20億人以上も信者を集めるほど、彼の絶対的なカリスマ性は何と言っても生誕の伝説から始まり、ガリラヤ湖で起こした数々の奇跡、そして最大の奇跡は死後の復活であります。

神の子に不可能はないことを自ら証明したことで、やがて世界にまで、2000年の時が経っても変わらず神の子であると信じられ続けていますが、臨死体験という特異な経験をしてタイムスリップをしてきた木内さんは、聖書の物語とは少し違った2000年前のエピソードを見てきています。

キリストの生誕は、聖母マリアの処女懐妊でもなく、敵対勢力による暴行行為によっての妊娠であり、それもうり二つの姿をした双子の男の兄として生まれてきたと。

イサヤとヨシュア。すぐに引き離されて別々に育てられた2人でしたが、磔の際に刺されて気絶したイサヤの姿を見たヨシュアは彼が死んだものと勘違いし、そのまま服毒して後追い自殺をしてしまったのでした。

同じ“キリスト”の姿をした瀕死で傷だらけのイサヤと傷のないヨシュア。

2000年の宗教支配の文明を築こうとした勢力による双子の兄弟を使った巧妙なトリックは成功し、人々は神の子の復活劇を目の当たりにしたのでした。イサヤにとっては様々な犠牲を伴って・・・。

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そして、ユダという名前にして男装させて先に逃がしていた最愛の妻ナザレ。

後にマグダラのマリアという名前で娼婦の女として知られることになりますが、実際はイサヤのパートナーであり、磔となる前にイサヤの大切な叡智のすべてを彼女に託していたのでした。

イサヤの書いた羊皮紙の預言。2000年後の時代に必要な真実の言霊であり、その封印が解かれた今、イサヤの残した叡智が発動される時となったのです。

ナザレとも別れ、イスラエルの地を離れてイサヤが向かった先は東のエルサレムである日本。

母であるマリアのルーツでもある祖母岳の九州を目指し、最初に上がった場所は長崎県の島原半島でありました。

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そして、イサヤが長旅の疲れを癒した温泉が小浜温泉であり、まさにこのお湯に浸かったとされる温泉が今も残っており、それは「脇浜共同浴場(通称:おたっしゃん湯)」と呼ばれる名前の通りのどこにでもあるような大衆浴場です。

実は数年前に偶然にもこの場所を通りかかる機会があり、このおたっしゃん湯に入ってきたのですが、起きているのか寝ているのかわからない番頭さんがいて、お客さんは地元のおじいさんしかおらず、何よりも恐ろしいほど熱湯のお湯で、キリストのことなど吹っ飛ぶほど印象深い謎の温泉でした。

そんなイサヤが最初にたどり着いた先祖の地である九州、そして滞在していた諫早(いさはや)。

2000年越しの約束の時を迎えた今、この地で「生命現象の源の音」を発信することが決まりました。---(以下省略)