エックハルト・トール~『さとりの入り口は今ここにある』
この動画は、今から5年前に動画字幕を初めて間もない頃に手がけたことがあるものですが、今回2015年版としてリバイスして再アップしてみることにしました。動画自体は、9年前の2006年に収録されたDVDからの抜粋ですが、エックハルトの教えはいつのものを見ても、さすがにタイムレスな「今」にじわじわと向きあわせてくれるパワーを持っているなぁ・・・と感じながら、今日もThe POWER OF NOW「今ここにあるパワー」に繋がって仕上げることが出来ました。有り難いことです。感謝☆合掌
<iframe src="https://www.youtube.com/embed/nERIEv_jETs" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe>
「さとり」「エゴのない状態」への入り口は「今ここ」
「さとりの境地」に達することをあたかも、身に付けることのできるものであるかのように考えたり、あるいは、いきなり素晴らしい人間になれるかのように思っている人がいます。(すでにみなさん素晴らしい存在なのですが)でも、そうだとは思っていませんから、将来のいつかそうなれると思うわけです。
「さとり」を「エゴのない状態」と言い換えることも出来ます。「私はエゴのない状態になりたい」と思うのです。しかし、将来のいつか「エゴのない状態」になることはできません。「エゴのない状態」は今ここでしかありえないのです。あなたがなりたい状態というのは、思考の作り上げた概念です。それは自分に対する疑問から生まれているものです。「こんな自分になりたい」という自分は完全に抽象的な概念ですから、いつまでたってもそのようにはなれないのです。すでにその状態だということに気づいていないのでそう思うのです。
「エゴのない状態」は未来のどこかにあるものではありません。それを目標にすることは出来ないのです「エゴのない状態」も「さとり」も目標にすることは出来ないのです。「さとり」を目標にすることは出来ないのです。「目標」というのは暗に未来を意味しているからです。「エゴのない状態」「さとりの境地」への唯一の入り口は「今この瞬間」にあるのです。それを達成したい目標としてしまったら、この入り口を見逃してしまいます。あなたは未来に目がいっているからです。「目標」には「未来」が含まれているためです。
探求をやめて「気づくもの」となる
ここが、スピリチュアルな探求者たちのジレンマになっています。彼らはスピリチュアルな教えの講義を聞いたり、本を読んだりする中で、「エゴのない状態」「さとりの境地」があるらしいと知り、もしかしたら、私もそこに到達することができるのでは・・・と思うのです。そして即座にそれを目標に設定するのです。頭の中のイメージで「こうなりたい」と思う自分のイメージを作り上げて、それを未来に設定するのです。そのイメージを現実化しようと探求し始めたことが、返って今可能なことを妨げてしまっているとは思ってもいないのです。
なぜならば、その入り口は「今ここ」にしかないからです。「今ここに在るパワー」に繋がらなければエゴは超越できないのです。他に道はありません。「さとり」は常に「今ここに在るパワー」に繋がって可能なのです。それ以外にはありえません。
探求することをあきらめた者だけが「さとり」はすでに今ここにあるということがわかるのです。スピリチュアルな探求にホトホト疲れ果てて止めるか、あるいは、突然真理に目覚めて探求を諦めることになるか、いずれにせよ探求を諦めなければならないのです。
「何もしなくていい」のか「頑張らなくてはならない」のか?
さらに、スピリチュアルな教えには相反する教えにみえるものがあります。基本的には、2つの相反するスピリチュアルな教えがあります。ひとつは、私が先ほど言ったものに近いものですが(正確には違うものですが)「あなたにできることは何もない。ただリラックスしてなるように任せるのだ」「あなたのできることは何もないのだ」というものです。「何もかも手放して、すべて忘れるんだ」と言う先生もいます。「すべて忘れて、ただ楽しむのだ」という教えです。
もう一方の教えは「溺れた人が何とか助かろうともがきあがくように、必死に求めて頑張らなくてはさとりの境地には絶対に到達しないだろう」というものです。私がさっき言ったことはどちらかと言うと前者のほうです。「さとり」とは、欲しいから手に入れたいというようなものではないのです。
実は、この2つをひとつにしたところに真理が隠されているのです。この2つをどうやって融合するのでしょう。ひとつは「あなたにできることはなにもない」と言い、これも本当です。もう一方の教えでは「厳しさ・頑張ること」が求められています。これを一つにするのです。まず、この「厳しさ・頑張ること」が誤って理解されています。将来に設定した目標を達成するために頑張ることだと捉えられていますが、その「厳しさ・頑張ること」は「今にあること」に向けられるべきなのです。それは「この瞬間」だけに意識を向ける断固とした厳しさです。未来に向かって頑張るのではなく、今ここに、どれだけ深く入り込めるかということなのです
「することは何もない」というのも、「すること」には時間がかかるわけですからその意味では正しいのです。今この瞬間に入り込んで今と一つになることは、実際、「すること」ではないからです。その意味では「あなたがすることは何もない」のです。今この瞬間をあるがままに受け入れ、今に深く入っていくだけなのです。これは言葉の取り方の問題なのですが、「何もすることがない」というのも正しいし、もう一方の「厳しさ・頑張ること」が求められるというのもまた正しいのです。「今」を受け入れるために精一杯尽くすということです。「今」が大切なのです!ですから、今はそうではないから将来のいつか「ああなりたい」といったような未来の話ではないのです。
「今にあること」は頑張るべきこと
「あなたはすでに悟っている」と言っているスピリチュアルティーチャーもいます。あなたも耳にしたことがあるでしょう。それも深いところでは真実を語っています。人間はみな誰も、内面においては完璧です。しかし、物質レベルではもちろんそれぞれやることがあります。体験したり、学んだり、色々と身につけたりしています。しかし、内面の深いところでのあなたの本質は、すでに完全に完璧なのです。あなたが本当の自分であるために時間を必要とすることもなければ何かを身につける必要もありません。大切なのは「あなたの本質」部分です。
その意味で、未来というのは今本当のあなたを見つけること、今本当のあなたであることを邪魔するだけなのです。しかし「何かを達成する必要がある」「何者かにならなくては・・・」という思いをなくすことはなかなか大変だという人もいるでしょう。しかし、その言葉の真意は「あなたはすでに完全にあなたの本質そのものだ。あなたはただそれに気がつく必要がある」と言っているのです。あなたはすでに完全にあなた自身なのです。
今すでに完全な本質の自分であるのに、そのために、もっと時間が必要だとかもっと何かが必要だとかいうことはないのです。あなたの本質は、すでに神聖で、時間を持たない永遠なる存在なのです。その他のことは、物質的レベルにおいて踊ったり、ゲームをしたり形あるもの演じて楽しんでいるのです。時にはたくさんのものを手にしたり、あるいはまた失ったりしながらゲームを楽しんでいるのです。
ですからもう、スピリチュアルな探求は終わりです。頑張らなければならないことは残ります。ちゃんと今に在ることは頑張らないといけません。イメージの中の状態になりたい、それを現実化したいと頑張るのではありません。「私」はすでに「さとりを開いた者」なのです。
by エックハルト・トール 2006年講演からの抜粋