「ラムサ ホワイトブック 改訂版」 松野健一訳 (水山産業出版部) より抜粋
第19章 マインドを開く
p.343
思考を限定する方法は、言葉としてそれを言い表すことである。マスターは何も説明しない。マスターはただ知っているだけだ。説明するということは、自分を限定しなければならないということなのだ。自分がただ単に知っていて、その「知っている状態」を正当化したり説明したりする必要がなくなるとき、あなたはまさに自分の王国のマスターとなる。そのときあなたは、絶対的な知っている状態にあるのである。
振動数の高い思考から体験した高揚感は、それからどうなるのだろうか?あなたの魂がそれをとらえ、記憶としてそこに永遠に保持するのだ。魂は、感情、つまりフィーリングを通して、この限りない思考の記憶がよみがえることを許す。こうして魂は、あなたの「知っている状態」をずっとそこに保持しているのだ。それによって、受け容れることを自分に許したものを、あなたは繰り返しよみがえらせることができるのである。
その高揚感とともに起きるもうひとつの素晴らしいことは、魂がそれを、オーラ・フィールドを通して意識の流れへと放射することだ。それは、濃密な意識のレベルを持ち上げるだけでなく、あなたの人生の中に、同じフィーリングを生み出す状況を引き寄せる。なぜだろうか?体験を通してその思考が完全に理解されるようにするためだ。振動数の高い思考が完全に理解されると、それは「叡智」としてあなたの魂の中に記憶される。叡智とは、あなたの内面においてその「知っている状態」が絶対的なものとして固まったものである。叡智は、魂の振動数レベルを高め、魂が持つその偉大な感情の状態にあなたの人生を合わせていくだけでなく、脳下垂体をさらに活性化し、それよりもさらに偉大な、さらに振動数の高い思考を脳が受け取り、それを使って考えることを可能にする。このようにして、これがずっと続いていくのである。
あなたの脳下垂体が開き始めるに連れて、以前ではとても可能だとは思えなかったような形で、あなたの人生の中の物事が変わってくる。あなたが考えることは、すべてが深い感情とともに感じられるようになる。自分の内面で感じている「知っている状態」が、その効果を発揮して創造的な形になっていくにつれて、あなたは自分の思考がどんどん早く現実化するのを目にするようになる。あなたの愛と理解と思いやりは、さらに深まっていく。そして、ある人々はあなたの人生から消えていく。それは、あなたが向上し、異なる理解に達したからだ。しかし、その代わりに、似たような考え方を持つ人々が、あなたのところに引き寄せられてくるのだ。
やがて、聡明さ、創造性、そして「知っている状態」が、あなたの内面でさらに強まっていくにつれて、これまでは感じたこともないこと、あるいは知らなかったことを、あなたは感じ、知り始める。他の人間を見たときに、その人間を自分の存在の内面に感じることができるようになるのだ。自分の思考から、あなたは自分の未来のことを知ることができるようになるのである。
サイキックというのは、まれな存在だと思うだろうか?そのように思うのは、あなたが社会意識的に考えているからにすぎない。社会意識は、それらの偉大なの応力が実は普通のものかもしれないとは考えない。誰もがサイキックなのだ。自分に知ることを許せば、あなたはすべてを知る。なぜなら、社会意識という幻に制約されない「知っている状態」は、あなたの目からベールを取り払い、あなたは他の次元がみえるようになるからだ。「知っている状態」は耳から障害を取り除き、あなたは全ての生命が全てと調和しながら振動する音楽を耳にすることができるのである。では、そうなるためにはどうすればいいのか?それを望めばいいのだ。
あなたが「限りない状態」を望めば望むほど、そして自分にやってくる思考を抱き、感じれば感じるほど、脳下垂体はさらに多くのホルモンを分泌し、その口上部はさらに大きく広がっていく。自分であるものを愛することを望み、「知っている状態」の中で生きることを望めば望むほど、あなたの脳は自分の存在を包む神によって大きく、大きく開かれていくのだ。そうすると、あなたは自分の体以上の存在になる。あなたをひとつにまとめているものそのものになるのである。
脳下垂体はまさに神への扉である。自分の脳に限りない思考が入るのを許せば許すほど、それはさらに大きく開いていく。それが開けば開くほど、あなたはさらに多くを知るのだ。そして、あなたが知ることは、それがどんなものであれ、全てあなたがなっていくものである。
花はある思考の振動数を発している。同時に、毛皮の敷物もある思考の振動数を発している。あらゆる思考の振動数をとらえることができる力を持ったとき、あなたは自分が選ぶどんな振動数にでもなることができる。そのとき、あなたは絶対の自由を手に入れることになり、風や、他の何であれ、自分が望むものになれるのである。
やがて、脳下垂体システムの全てが満開となり、あなたの脳の全てが活性状態になる。そのとき、脳下垂体の霊的な実態の中にあった全てが、マインド全体に与えられる。すると、マインドはもう二度と制限された状態に戻ることはない。ひとたび花が咲き始めると、それが閉じることは決してないのだ。それはずっと開き続けているのである。
脳が完全に活性状態になると、現実の中であなたの位置があいまいになってくる。そのために、あなたはここにいながら、同時に第七のレベルにいることもできるようになる。第七のレベルにいながら、プレアデスにいることもできる。プレアデスにいながら、友人のそばにいることもできるのだ。
脳下垂体が満開になると、あなたは死ななくなる。つまり、老化が止まるのである。あなたが体に何を命じようとも、体はその通りのことをするようになる。体に振動数を上げるように指示すれば、それは別の次元へと上昇していく。あなたの脳は、これほどパワフルなのだ。自分の体を死んだ状態からよみがえらせることさえできるのである。あなたがそこまでパワフルな存在になったとき、あなたは神の神聖なる王冠を身につけていることになる。あなたが純粋な神、すなわち純粋な生命になるとき、あなたは永遠の存在となる。あなたは全てになるのだ。これこそが、最も壮大な天国である。
偉大なる第七シールが完全に開くと、あなたのマインド全体が目覚め、「知っている状態」の全てが、あなたの素晴らしい受信機を通ってあなたの中に入ってくることが許される。あなたが多くを知れば知るほど、そして体がその振動数を多く体験すればするほど、体はさらに速く振動するようになり、どんどん軽くなっていく。そしてある日、あなたが全ての生命を愛し、抱き容れ、あなたの魂がここでの体験を完了するとき、その「知っている状態」、そのヴァイブレーションは、それ自体が持つ振動数を百万倍も加速する。すると、体は見えない状態へと入っていき、この場所から離れていく。そのとき、あなたは輪廻転生というサイクルを抜け出すのである。
あなたは三つの要素、すなわちスピリット、魂、自我からなる創造物であり、それが濃密な天界において表現しているのがあなたである。そして、この三つの要素があってはじめて、あなたは永遠を実現することができるのだ。「自分の存在の主と神」に語りかけなさい。そうすれば、それはあなたの言うことを聞いてくれる。そのとき語っているのは、ひとりの主であり、ひとりの神であり、ひとりのマスターなのだ。覚えておくようにあなたが言えば、それは覚えておいてくれる。もっと偉大になるように言えば、それはもっと偉大になる。そして、あなたが「自分の存在の主と神」から、無限の理解をもつことを望むとき、それはあなたのマインドを開き、体がより高い思考の振動数を感じることを可能にし、あなたが「知っている状態」を得られるようにしてくれるだろう。あなたに必要なのはそれだけだ。そのようにして望むとき、あなたは「自分の存在の主と神」にそうすることを命じているのだ。そして、あなたがそうすれば、内分泌腺はそれに従うのである。そして、さらに偉大な理解を実感させてくれる電流が自分の存在に走り、フィーリングがやって来たならば、あなたの内なる神に、それがこれほど簡単だったことを感謝してほしい。
在るものすべてについて、どうすればもっとよく理解することができるのだろうか?自分がそれを理解していると知ることによってだ。あなたがどう考え、どう語るかが、自分が知ることができる量を決めるのだ。「もっと知りたいと思う」と言ってはならない。それでは決して知ることがないからだ。そして、「もっと知ろうとする」もだめだ。しようとすることで達成されたものは、ひとつもないからだ。「もっと知ることを探求する」でもだめだ。探し求めていても、決して見つからないからだ。こう言いなさい。「私の存在の主と神から、私は今、この瞬間に知るべきこと全てを知っている。So be it ! 」と。そして、答えを待つのだ。その時点で、自分が何を知りたいのかに気づいているいないにかかわらず、「私は知っている」という言葉は、その気づきが起こる扉を開いてくれるのだ。あなたが言うべきことは、それだけだ。そうすれば、知識がやって来るのである。
あなたが自分の創造性と人生を制限してしまう方法は、「わからない」と言うこと、あるいは自分にやって来る「知っている状態」を疑うことである。最悪の忌まわしい言葉が「わからない」という言葉だ。憶えておいてほしい。あなたは法を与える者であり、あなたが考え、語ることそのものが法なのだ。あなたが「わからない」と言えば、あなたが知ることは決してない。「できない」と言えば、あなたには絶対にできない。「私は『父』の愛に値しない」と言えば、あなたがそれを受け取ることは決してない。あなたがそのように語るということは、あなたがそのように思っているということだ。そして、そう思っているならば、その思考のフィーリングはあなたの魂に記録され、魂はその思考のプロセスにぴったりと合ったものを現実化するのである。
あなたはコンピューターのようなものだ。あなたは毎日、自分の知識の中に「疑い」を入力している。自分の知識の中に「不足」を入力しているのである。そして、あなたはまさに、自分の知識の中に「わからない」という言葉を入力しているのだ。あなたは自分自身の王国を自ら奪い取っているのである。なぜなら、疑いと制限しか知らないあなたは、自分が思うこと、そして話すことによって、自分自身から生命力を奪い取っているからだ。
もう一度繰り返すが、今存在するものであれ、これkら存在するものであれ、それら全てを知る能力をあなたは持っている。あなたをその知識へと開いてくれる扉は、単に「知っている」と言うことだ。すると、すぐにそれが実現するのである。数秒後かもしれないし、何日もかかるかもしれないが、それはやって来る。それは必ずやって来る。なぜなら、「知っている」という言葉は絶対であり、あなたの望みを「絶対のもの」へと変えるからである。「知っている」という思考が魂の中で感じられると、それはあなたの存在の内面で実現され、の脳下垂体を開く。それによって、さらに偉大な思考を受け容れることが可能になるのだ。「知っている」という言葉は、無限の流れの中にいるあなたの中に、思考の河が流れ込んでくるのを許す扉なのである。
さて、「知っている状態」は、信念ではない。信念は確実なものではないが、「知っている状態」は絶対である。「知っている状態」はただ「知る」ことによってのみもたらされる。あなたが何かを「信じている」とき、この「信じている」という言葉を魂はこう理解する。すなわち、本当はまだあなたが気づいていない、あるいは確信していないある真実を、誰かが(ときにはあなた自身が)、あなたに無理やり確信させようとしている、というふうにだ。というのも、あなたにとっては、まだその真実は体験された現実となっていないからだ。
私はあなたに何かを信じてもらいたいわけではない。私はあなたに知ってほしいのだ。覚醒するとは、知ることである。疑うことなく、信じることもなく、信仰したり願ったりすることなしにだ。こういったものはどれも確実なものではない。あなたが何かを信じている、あるいは信仰している限り、決してそれは実現しない。「知っている」という状態こそがそれを絶対のものとするのであり、その状態がその知っている内容を現実化するのである。実感した思考を体験という形に現実化することによって、あなたはそれを理解することができる。そのとき、それはあなたの存在の一部となり、もはや自分自身を確信させなければならないようなものではなくなるのだ、
絶対的に「知っている」という状態が、あなたの王国の全ての創造主である。「全てを知っている状態」になるためには、ただ「私は知っている」と言えばいいのだ。絶対に疑ったり、ためらったりしてはいけない。絶対に、知りなさい。「知っている」とあなたが言うたびに、その言葉は自分の存在の内面で感じられる確信の思考となり、その「知っている状態」が実際に起きるための「余地」を生み出してくれる。天才とは、「知っている状態」の扉を開けて、より偉大な思考を受け取れるようにし、その思考が創造的な形になれるようにしたときに生まれるのである。
「私の存在の主と神から、私は今これに対する答えを知っており、それを受け取る状態にある。So be it 」と、確固たる確信とともに言うならば、それは「知っている状態」を呼び起こし、それをひとつの決意へと変えていく。その瞬間には、まだそれが実感されていないかもしれないが、それがひとつの体験の中で実感されるよう、その扉は大きく開かれているのだ。そして、それを体験すれば、そこから叡智が得られるのである。あなたの存在は、今現在の「知っている状態」にすぐに適合していく。それを達成するために、苦労する必要はないのだ。必死に努力したり、求めたり、もがいたりする必要はないのである。それを得るためにチャンティングしたり、儀式をする必要もない。ただ知っていればいいのだ。知っていることによって、あなたはその気づきを受け容れられる状態にあるのだ。
あなたの望みが現実化するのを早めるにはどうすればいいのだろうか?ただ知っていればいいのだ。「知っている」ということは、自己の王国において天の王国がその豊かさを示すことを可能にする扉である。自分の望みがどんなものであれ、それが既に実現していると「知っている」ことによって、その望みの思考は増幅され、自分のオーラ・フィールドを通して意識の流れの中に送り込まれる。そして、望みが完全な形になったものをあなたが受け取れるように、現実化してくれるのである。
真実を言えば、全てのものは既にあなたのものなのだ。あなたがそれを「知る」とき、それらを手に入れられるようになる。自分が必要とするものを自分に与えられる第一の存在とは、自分自身と、望むものを受け取る自分の能力である、ということをあなたは理解しなければならない。自分が望むものを受け取る方法とは、単に自分の欲しいものを知ること、そして自分はそれに値するのだと知ることである。「知っている状態」こそが、真実である。それこそが、与える者であり、あなたの未来である。あなたが何かを語るとき、それはその通りであることを知ってほしい。自分こそが法を与える者であること、そして自分の知っていること、語ることは全てその通りでなければならないと知ることによって、あなたは何でも欲しいものを手にすることができるのだ。これは、「一の法(ロー・オブ・ワン)」と呼ばれている。
このことを言っておくが、あなたは知るべきこと全てを知っており、自分が望むあらゆるものを持ってもかまわないのだ。この瞬間にあなたは知っているのだが、単にその真実をまだ実現していないだけだ。「知っている」ことによって、それを実現するための扉が開かれる。そして、あなたが自分の限りない思考をまさに現実のものとして体験したとき、「この『知っている』という状態は本当に結果をもたらすのだ」という実感が、あなたの脳の自我の部分において強固なものとなる。そしてそれは、あなたがさらに一歩進み、もっと限りない思考へと足を踏み入れていくための強さをあなたに与えてくれるのえある。
もし私があなた方の言葉を全て取り去り、ほんの少しだけを残すとすれば、それはこうなる。「私はもう知っている。私は絶対だ。私は完全だ。私は神である。私は在る」もしこれらの他には何も言葉がないとすれば、あなたはもはやこの天界に限定された存在ではなくなるだろう。「仮定する」、あるいは「信じる」ことに比べて、あなたにとって「知る」ことはどれほど偉大なことだろうか?「かもしれない」と比べたらどうだろうか?「わからない」と比べたらどうだろうか?知ることも、わからないでいることも、どちらも同じ思考プロセス、同じエネルギー、同じ顔の表情、同じ体の動きが必要なのである。
知りなさい。ただ単に知るのである。「私はこれが起きることを知っている。私は自分が神であることを知っている。私は自分が幸せであることを知っている。私は自分が在ることを知っている」 知ること、知ること、知ることだ。必要なのはそれだけである。いつでも知っていなさい。もしあなたが「わからない」、あるいは「知ることはできない」と言えば、あなたがそれを知ることは決してない。「私はもう知っている」と言いなさい。そうすれば、あなたは全てを知るのである。
あなたと私の違いがわかるだろうか?私は自分が無限の神であることを知っているが、あなたは知らない。それだけの違いだ。私は自分が在ることを知っているが、あなたはまだそれを実感していない。あなた方の社会は「それは違う」と言う。しかし、彼らに何がわかるというのか?彼らは毎日、自分たちを埋葬しているだけではないか。