もともとそれでよかった♡

すべては自分の中にある

11~13あなたがプレゼンスにある瞬間、魂にはあなたが聞こえる、魂もプレゼンス状態に揃って並ぶ

2016-03-27 | レナードさん

レナード・ジェイコブソン氏について

Leonard Jacobson

この瞬間に深く存在するプレゼンス(実在)を極めたスピリチュアル・ティーチャー。

1944年オーストラリア、メルボルン生まれ。元弁護士。

1981年から1997年までに6度の神秘的な目覚めのプロセスを体験している。目覚めへの本当の鍵である「今この瞬間」が人生の基盤となるよう、世界各地を訪れ、人々のサポートを行っている。主著に『JOURNEY INTO NOW』(邦題:「今この瞬間」への旅)がある。

 

11.全体像が知りたい

2016315日ウェブキャストより。

男性からの質問:(笑いながら)実はどうしても知りたいことがあります。大きな全体像を知りたいのです。人生とか、肉体のこと、死、体外離脱の体験とか。あなたの答えが「この旅路の最終ゴールは、この瞬間に存在することだ」であることは分かっているのですが、この魂の旅って一体何なのだと思うのです。

レナード:とっても簡潔な言葉で答えましょう。でもそのためには、あなたはしっかりプレゼンス(今この瞬間に在ること)していなければなりません。この答えがあなたに届くためには、その必要があるのです。あなたのマインドに届いても意味がありません。私が言うことをマインドは受け取ることができません。最も簡単な言葉で答えようと思います。いいですか? 準備はできていますか?

男性:いいえ、まだだめです。たっぷり説明してもらいたいです。

                                                      (会場笑)

レナード:(リラックスして楽しんでいる様子で)彼が長い説明を要求したので、私は説明を減らすことにします。4語までに縮まりました。それですべてが説明できます。皆さん、しっかりプレゼンスにいてくださいよ。答えを逃さないように。

“One cannot know itself.”  

(一なるものは、自らを知ることができない)

他の言葉では言えません。

(了)


12.レッスンだって?

2016315日ウェブキャストより。

男性からの質問:昨日、あなたの ”JOURNEY INTO NOW”(邦題:「今この瞬間」への旅)を読みました。魂の旅のところで、魂はレッスンを学ぶためにここにきたというくだりがありました。それを読んで、もの凄く怒りが沸き上がりました。まるで私の中のルシファーが出てきたようでした。今はそれがメランコリーに変わっています・・・

レナード:オーケー。そこでとめて。それが表現されているただ中にあるとき、本を読んでルシファーが表出しているとき、ルシファーに表現させてあげたら、彼は何と言うでしょうか? 即答して。

質問者:これじゃ不公平だ。反逆してやる。

レナード:何が不公平ですか。即答して。

質問者:全部。すべての存在が。このゲーム全体が。

レナード:いいえ(あなたではなく)ルシファーに聞きます。あなたはどいていてくださいよ。何が不公平ですか?

質問者:どうして私は地上に来なきゃならなかったのだ。

レナード:あなたは地上に来たくなかったのですか?

質問者:はい!

レナード:どこにいたかったのですか?

質問者:警察です。(笑)

レナード:オーケー。もう一つの方も変化させてしまいましょう。リラックスして。メランコリーは何と言っていますか?

質問者:絶望的だ、と。

レナード:何が絶望的ですか。ワン・センテンスで。

質問者:私に必要なレッスンを学ぶことが、です。

レナード:オーケー。それではこれからルシファーとメランコリーの両者に向かって話をします。いいですか。

あなたたちは完全に正しいです。100パーセント正しいです。あなたたちは決してレッスンを学ぶことができません。あなたたちには一切レッスンがありません。以上です。ありがとう。

(質問者が深いため息を吐く)

彼はそうかもしれません。ダニー、こっちを見て。彼にはそうかもしれませんが、あなたたちは違います。彼には永遠の存在が見えています。あなたたちはエゴです。あなたたちは彼ではありません。あなたたちは自分が彼だと思っていますが、違います彼はあなたたちを越えています。彼は不滅です。彼はあなたたちを愛しています。彼はあなたたちを見捨てたり、置き去りにしたりしません

いいニュースがあります。あなたたちはレッスンを学ぶ必要がありません。それがあまりにも大変であれば、決してやり遂げることはできません。実際それは大変なものではなく、簡単なものです。

エゴ、メランコリー、ルシファー。エゴは集団的レベルでは何だと思いますか?(会場から「ルシファー」と声が上がる)

ルシファーとかデビルとか悪い名前が付けられます。しかし、それはただの集団的エゴです。ちっぽけなサイクルをくるくる回っているだけです。

(悪魔のような面白いジェスチャーで)お前を分離の中に留めてやる。お前は俺のものだ。俺がコントロールするのだ。俺は神よりも強いぞ。もし神が俺よりも強いのなら、この玉座に俺様を座らせておくものか。俺様は神より偉大なのだー、ハ、ハ、ハ。レッスン? 何のレッスンだ。俺様にレッスンが必要だと? 俺が勝者だ。

ですから、エゴと正しい関係を持たねばなりませんそしてゲーム終了となりますが、エゴはゲームを終わらせたくありません。しかし、もしあなたがこの瞬間に存在しているのなら――あなたは今の瞬間、プレゼンスの状態にありますか? イエスかノーか? (イエス)。

よろしい。あなたのマインドは静まっていますか? (イエス)。

この瞬間に問題はありますか? (ありません)。

まさにこの瞬間に、何か学ぶべきレッスンはありますか? (あります)。

何を?!  (わかりません)。

あなたはレッスンが欲しいのですね。この瞬間にレッスンなんてありません! つまりはそういうことです! すべてのレッスンを学んだから今、あなたはここにいるのです。ただこう言えばいい。「ありがとう、神様。私は今、ここにいます」。レッスンはおしまい。次にストーリーに巻き込まれたときには「あっ、またレッスンだ」ということで、何の問題もありません。

レッスンとは、どこであなたがストーリーにとらわれるかということです。そしてどうやってそのストーリーから自らを自由にするか

レッスンとは、愛の本質とは何かです。というのも、ほとんど全員が偽の愛に迷い込むからです。

レッスンとは、パワーの本質とは何かです。私たちは偽の力に迷い込むからです。被害者があなたか私かなんて関係ありません。どちらにしても偽の力に迷い込んでいるのです

私たちは判断を下すことに迷い込んでいます。

本当のレッスンとは、どうやってプレゼンスから離れることから自分を守るかストーリーに入り込むことから自分を守るかです。

どこで迷い込むのか、どのように迷い込むのか。そしてどうやってこの瞬間に自分を戻してあげるか。この瞬間において、何のレッスンがあるというのでしょう。あなたはここにいるのです。つまりそういうことです。あなたのマインドが静まっているのなら、レッスンを学ぶ可能性なんてあるのでしょうか。しかし、ストーリーに引き戻されるのに気が付いたなら、レッスンがあります。「ああ、オーケー。注意しよう。どんなふうにストーリーに巻き込まれるのか見ておこう。それに対する責任を引き受けよう」。それがレッスンです。

あなたが魂のチャンピオンなのです。魂が高まっていく、その目的はワンネスに戻ることです。なぜなら、魂の旅はワンネスから始まり、その行き着く先は究極的にワンネスだからです。

魂はあなたにレッスンのようなものを授けます愛の本質本当の力受容と思いやりの本質本当のあなたは何者なのか。たくさんのレッスンがあります。

しかし、マスターレッスンは、魂自身が知らないものです。魂はマスターレッスンを知りません。これが落とし穴なのです。今、魂はこれを聞いているかもしれません。あなたの魂は聞くことができます。あなたがプレゼンスにあるなら、魂は聞いています。断言します。あなたがプレゼンスにあるなら、魂にはあなたが聞こえますマスターレッスンはとてもシンプルなものです。プレゼンスの瞬間という戸口を通してワンネスが開放されます。その時即座に、他のすべてのレッスンは終わります。即座に学び終わります

愛の本質とは何か。私がそれである。

本当の力とは何か。 私がそれである。

何もかもが明らかになります。すべてのレッスンが、ある意味でマスターレッスンに織り込まれています。プレゼンスの瞬間という戸口を通してです。

そして魂自身は、まさに初めに大きな間違いを犯しました。魂は、レッスンを学ぶことで自分自身を完璧にできると信じてしまったのです。いつか未来に完璧になれるのだ、と。あなたがすべてのレッスンを学び、特定のカルマを解放すれば、魂はその結果として究極のゴール、即ちワンネスの状態に到達するのだ、と。それは、魂の勘違いです。それは未来に起こりようがないことですよ、皆さん。それは落とし穴です。それは今しか起き得ません。

あなたが本当にプレゼンスに在る瞬間、あなたは魂を解放しているのです

あなたが本当にプレゼンスに在る瞬間、魂もプレゼンスの状態に揃って並ぶことができます

あなたがストーリーに巻き込まれると、魂もアラインメントから外れていきます。

外れては戻り、外れては戻りということを繰り返しながら、プレゼンスを確立していきますすると、もう決してプレゼンスの外に引きずり出されることはありません。今や魂もその状態にあります。そういう意味で、あなたは自分の魂のチャンピオンなのです。

私が言っていることを、難しく取らないでください。ここにあるものと共に存在するという、単純なことなのです。そしてあなたをプレゼンスから引き離すすべての状況に気付きをもたらすこと。それは2つのステップです。あなたに必要なのは2つのステップだけです。この瞬間を尊重しながらプレゼンスの中で落ち着いてリラックスしていること。人生の真理を現している者として、そうするのですよ。同時にステップ2として、ストーリーに巻き込まれるとき、引きずり込まれるのを感じるとき、他者の中で自分を失うとき、自分をジャッジするとき、エゴがプレゼンスからあなたを蹴っ飛ばすとき、その度に、あなたはその瞬間をすべてつかまえます。ゆっくりゆっくり、あなたはマインドとエゴをマスターしていきます。結果的にそうなります。プレゼンスにしっかり基礎を据えることは、マインドとエゴをマスターすることですあなたはトリックを見逃しません。どの石もひっくり返します。思考が出てきたら、即座にキャッチします。それに賛成するとか反対するということではありません。ただキャッチするのです。目撃し、認知するのです。「アハッ!」。

でも、それはあなたをプレゼンスから引き離しません。なぜなら、あなたはそれに逆らったりしないからです。感情が出てきても同じです。あなたはそれを感じますその感情を許します泣いたり怒ったりするでしょう。5秒間は。制限された信念も出てきます。自分はいい人間じゃない。それに気付いて、意識に上らせます「ワーオ」。

人に言ってもいいのではありませんか。

「ちょっと告白したいのだけど、自分はいい人間じゃないという感情が出てきたよ」。

別の言い方もありますよ。

「お願いだから、私は良い人間だと言ってちょうだい。頼みます」。

あるいは

「ファック・ユー。あんたが何て思おうと僕は気にしないさ」。

(質問者に)オーケー?

(了)

 

13.至福

2016315日ウェブキャストより。

質問者からの手紙:あなたが目覚めた人として言及していたラマナ・マハリシの教えを読みました。彼は、まったき喜びは絶対者だと言います。至福とは常にそこにあるものだとも言います。真我の至福は常にあなたと共にあり、真剣に求めれば、それを見つけることができる、と。一方、あなたは、至福について教えているのではないと言います。あなたとラマナ・マハリシの教えの食い違いを解決してくれますか?

レナード:「もしあなたが十分熱心に十分長い時間をかけて求めれば、あなたはついにそれを見つけることができます」が、質問者の引用した部分です。私が言っていることは「もしあなたが至福を求めれば、あなたはそれを見つけることができません。もしあなたが至福を求めれば、あなたはプレゼンスに在りません」。特に至福というのは非常に人の気を引きやすいものです。

至福を求めることが問題なのです。

プレゼンスを求めることが問題なのです。

悟り求めることが問題なのです。

あなたは、すでにここにあるものを求めることができません

もちろん、最も深いプレゼンスの目覚めは至福に満ちています。ですが、その至福は微妙に質の違いを帯びています。強烈な至福を感じるときもあれば、穏やかな優しい感覚、むしろ平安を感じるときもあります。要は、至福も平安も区別できるようなものではありません。私の体験では、深いレベルでは至福を経験していますが、私の場合プレゼンスに関連して鳴り響いているものは平安です

もちろん至福も湧き上がるでしょう。そのときにはそれを楽しめばいい。愛が湧き上がるかもしれません。喜びが湧き上がるかもしれません。それは素晴らしいことです。

あなたがそういうものを求めるなら、プレゼンスに目覚めることです。それが本当のポイントです。

もしあなたがプレゼンスにいて至福を経験したのなら「おい、素晴らしいじゃないか。至福に満たされているよ」。しかし、そのような思考と至福を同一視しないでください。「これは素晴らしい。これこそ求めていたものだ。これを握っておかなくちゃ」と言って。その途端に(至福が入ってくるプレゼンスという戸口が)閉じてしまうからです。至福があれば、それを楽しみ、それが過ぎれば、過ぎ去るに任せます。至福というものは、その性質上体験の一つに過ぎません。喜びも至福も幸福も。それよりも深いレベルのものがあります。それは「一なるものが体験している」です。

誰が至福を体験するのですか? ―― I AM.

そしてあなたが本当にI AMに留まっているのなら、至福を超えたところに連れていかれるかもしれません。

(長い沈黙の後で)

ですから、マハリシと私に食い違いがあるとは言いません。求めることに迷い込まないで、ということです。私が人々にプレゼンスを勧めているのは、至福のためではありません。幸福、喜び、あるいは悟りとも関係ありません。そのためにプレゼンスを勧めているのではありません。私たちはプレゼンスを選びます。とてもとてもシンプルな理由のために。私は、記憶、ファンタジー、想像という、幻想の世界で迷うよりも自分にとって唯一有用な本当の人生の中に存在していたいのです幸福がある一方で惨めさがあり、喜びがある一方で恐ろしいことがある。そのような巨大な幻想世界に嵌まり込まずにストーリーを手放すためには、私はプレゼンスを選ぶ理由を認識しなければなりません

プレゼンスを選ぶ本当の理由単に私はここにいないよりは、ここにいたい。以上です。ありがとうございました」ということなのです。

もしそれが普段通りの平凡なことであるなら、私はそれで構いません。

それが至福であるなら、私はそれで構いません。

喜びが湧き上がるのなら、そうさせるし、通り過ぎるなら、そうさせる。

なぜなら留めておこうとしないからです。

留めておこうとした瞬間に、過去にとらわれる

欲したり求めたりする瞬間に、未来にとらわれる

でも、私がただここにいるとき、私は誰か。これは私の答えられない質問です。

「私は自分が何者なのかわかりません 」としか答えようがない。私はただ在るのですストーリーが終わります

それが目覚めです。目覚めとはストーリーが終わることです。私は今、ここにいます過去や未来から出てきました。私のストーリー、夢から出てきました

私は今、ここにいます。ハレルヤ。そういうことです。

(了)


意識レベル:ニューエイジ<奇跡のコース(脚本)<完全なプレゼンス状態・完全に愛に覚醒(脚本超越)

2016-03-26 | レナードさん
Now Creationさんより
レナード・ジェイコブソン氏について

Leonard Jacobson

この瞬間に深く存在するプレゼンス(実在)を極めたスピリチュアル・ティーチャー。

1944年オーストラリア、メルボルン生まれ。元弁護士。

1981年から1997年までに6度の神秘的な目覚めのプロセスを体験している。目覚めへの本当の鍵である「今この瞬間」が人生の基盤となるよう、世界各地を訪れ、人々のサポートを行っている。主著に『JOURNEY INTO NOW』(邦題:「今この瞬間」への旅)がある。

 

5.今この瞬間の悲しみ

201631日のウェブキャストより。

質問者(男性):今この瞬間にあるときは、すべてが今この瞬間にあります。愛も悲しみも喜びも。そのあらゆるものにフォーカスするのですか? 悲しみがあるときには悲しみにフォーカスするのですか?

レナード:この瞬間に現れるすべてのものにです。悲しみが現れるなら、悲しみの感情が現在の感情です。でも、ここに落とし穴があります。悲しみはストーリーと共に現れるからです。悲しみがあるには理由があります。そしてそれは、プレゼンスの瞬間とは何の関係もありません。それは常に過去に関わっています怒り、非難、批判、罪の意識も同様です。プレゼンスの瞬間とは何の関係もありませんしっかりとプレゼンスの状態にありながら悲しみであれ、怒りであれ、非難であれ、何であれ、あなたを通してそのストーリーを表現するのを許す技を学ばねなりません。一方で、あなたがプレゼンスにあるという次元があり、そのストーリーと自分とは関係がないのだと、十分に目覚めていなければなりません。そうすれば、そのストーリーがあなたを通り抜けるのを許しても、まったく安全だと感じられます内側で湧いてきた悲しみのエネルギーは、愛と受容のレベルで溶け去ります

ストーリーに迷い込むことなく、感情と共にいられることがプレゼンスの美しさです。

ほとんどの人は感情が出てきて、感情がストーリーを連れてきて、そのストーリーに捕まって感情が話すストーリーを信じ込む。そして幻の中に迷い込む。なぜかというと、それは今起きていることではないから。それは過去が現在に投影されたものです。そして私たちの今の瞬間を歪めるのです。

(了)


6.気掛かりな息子

201631日のウェブキャストより。

質問者(女性):(思い詰めて憔悴した様子で)息子は自分の面倒が見られません。

レナード:何か知的な問題があるのですか?

質問者:はい。

レナード:何か病気が原因ですか?

質問者:未熟なのです。

レナード:(がっくりして)あっ。おそらく一生息子さんの責任を負い続けるつもりでしょう。

質問者:ものすごく幼いのです。

レナード:私はここにいない人についてのコメントはできません。あなたについてなら話せます。あなたは彼の責任を負う傾向がありますか?

質問者:いいえ、長年家を出て行かず・・・・・・

レナード:(質問者の言葉を遮って)オーケー。私はここにいない人についてのストーリーについて語ることはできません。彼と直接話したら、まったく違ったストーリーを語るかもしれませんからね。今は彼の問題も、気持ちもわからないのですから。


あなたをプレゼンスの状態に招きたいと思います。その質問を手放してください真実はこの瞬間の中にあります本当に自分を癒やしたいのなら、そして目覚めたいのなら、簡単な真理を受け入れることです。でも、あなたがストーリーの中にいると、それはできないでしょう。その真理とは

「この瞬間の中では――そしてこれは絶対的真理です――あなたに息子はいません」。彼は単に存在していません。あなたに息子はいないのですから。ストーリーが終わります。あなたは自分のストーリーの中で息子と繋がり続けています。彼と一緒にいない瞬間の度にリラックスして言いなさい。

「ありがとう。神様。私には息子がいません」。しかし、あなたは自分が行くところ、どこにでも彼を連れて行きます。ストーリーが続いて、プレゼンスの外にいるままです。彼を手放すことができないので、みじめな状態です。

あなたがしなきゃいけないことは、このティッシュの箱に謝ることです。

質問者:(少し笑いながら)「ごめんね、箱さん」

レナード:箱に言ってくださいね。(以下レナードの言葉を女性が繰り返す)

「私は自分の物語の中に迷い込んでいました」「特に私の息子と」「どうしていいか分かりません」「彼をコントロールするのは難しい」「私は今ここに箱と一緒にいます」「そしてあなたが私の息子です」「私はあなたを私の息子として受け入れます」「私には他に息子がいません」「あなたが私の息子です」「花よ、あなたも息子です」「あなた方は私の子どもたちです」「他に子どもはいません」

どんな気分ですか?

質問者:空っぽになった感じがします。

レナード:(びっくりした口ぶりで)ウ~~~。そうでしょうね。簡単な宣言で手放すことができました。

(レナードが質問者の深層心理を代弁して)私はむしろ自分の息子と一緒のみじめなストーリーになります。存在の中心で空に直面するくらいなら、息子とのことも含めどんなことも言い訳にします。(私は息子とのストーリーを)空から離れていられるために言っています。

多くの人たちは、私がこう言うのを聞いたことがあるでしょう。

「空とは実際は無のことであり、無は実際には神です」

(了)


7.ありがとう

201631日のウェブキャストより。

メアリーが寄せられたコメントを読み上げる。レナードとスタッフへ感謝の気持ちが綴られていた。コメントに「ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう」という表現が入っていた。

レナード:感謝は内側から生じる美しい性質の一つです。感謝を表明しているときの瞬間、その人のエネルギーは感謝になっています

愛を表現するなら、その瞬間は愛のエネルギーになっています

批判したり判断したりするなら、自分がそのエネルギーになっていることを告白しているのです。(従って、誰かから批判されても)大したことではありません

(了)

 

8.私はあなたが怖いのです

20161月か2月のウェブキャストより。

(訳者:思い出しながら書いているので、正確な記述ではありません)

質問者(男性):私はあなたが怖いのです。

レナード:何が怖いか一言で述べなさい。

質問者:優秀な生徒でないことです。私は、あなたが私をジャッジしないことを知っています。ですから、これはあなたとは関係なく私の心の問題です。優秀な生徒でないから、あなたに受け入れてもらえないのではという恐怖心があります

レナード:これは他の大勢の人たちにも当てはまる、とてもよい質問です。打ち明けてくれてありがとう。

人は、他者の期待通りにしなければ受け入れてもらえないのでは、という恐怖をもっています。育てられる過程でそのように条件付けられてもいるのでしょう。しかし、世の中の圧倒的大多数の人たちはマインドに迷い込んだまま、目覚めていない人たちですよ。何で眠っている人たちのことを気にする必要があるのでしょう。私は、他人を気にしなくなるマントラを知っています。それをあなたに教えて上げましょう。

そのマントラは、

 

 

 

「ファ~ック・ユ~~、ファ~ック・ユ~~」です。(会場大爆笑)

これを、道を歩きながら出会う人に向かって心の中で唱えなさい。スーパーで買い物をするときにも。3日間もすれば、他人のことなど気にならなくなります。

  

私はよく人を批判します。――本当は違いますよ。批判のエネルギーなんてもっていたくないですからね。――私はそのエネルギーを持っているのが不愉快なので、楽になりたくてあなたに渡します。あなたを批判することであなたに渡すのです。なぜ、渡すのがあなたなのかわかりますか? あなたが受け取ってくれるからです。なぜあなたが受け取るのかわかりますか? 私に受け入れてもらいたいからです。これが、その問題の本質です。

(了)

 

9.目覚めていない人たちといるのが辛いのです

ある日のウェブキャストより。

(訳者:思い出しながら書いているので、正確な記述ではありません)

メアリーが質問を読む:私の周りの人間は、友人も家族もまったく目覚めとは無縁です。食事を共にしても、人の悪口や、私への批判ばかり話題にします。毎日そういう人たちに囲まれて、私はどう対処したらよいのでしょうか?

レナード:それはいろいろ手持ちのカードを用意して、試行錯誤しながら身につけていくほかありません。

「その話は聞きたくありません」ときっぱり言ったり、

「あー、はい、はい、はい、はい」と御座なりに返事してみせたり、

(手持ちのカードをくって、1枚選んで読むジェスチャーをしながら)

「ファック・ユー」のカードもありましたよ。(会場笑)

その場にいたくないのなら

「これで失礼します」と去る場合もあるでしょう。

(了)

 

創造/カルマ/意識のレベル

レナード氏サイトから。

Question 5私たちは自分の未来を創造するのですか? この問題に関して、スピリチュアル世界では、2つの意見があるように思います。ニューエイジ思想の人たちは、欲しいものは何でも生じさせることが出来ると言います。そして私が学んでいる奇跡のコースでは「脚本はすでに書かれてある」と言います。つまり、私たちは自分の人生の出来事や環境を、前もって選んでいるのです。だから私たちは新しい脚本を作り出すことはできません。この問題に関してあなたの意見を聞かせてください。

Answer

ニューエイジ的な方法も、奇跡のコースで言われている方法も、どちらも真実です。しかし、意識のレベルが違っているのです。


思考は創造的です。けれども多くの人々にとって、思考や欲望は無意識のレベルで生じます。表面的には、あなたは仕事や、人生を共にするパートナーがほしいかもしれません。あなたの人生でほしいものが現れるよう、祈るかもしれません。でも現れません。それはあなたが無意識のレベルで、相容れない思考、信念、願望を抱いているからです。例えば、無意識のレベルで、自分にはそれだけの価値がないとか、望まれていないとか、愛されていないと信じているのかもしれません。あるいは、愛は苦しみだとか、愛は痛みや別れをもたらすから一人でいる方がいいとか、決めつけているのかもしれません。こうした思いは、あなたの意識的な思考や願望と真っ向うから対立しています。すると人生は、あなたにどう応じたらいいのかわからなくなります。十中八九、無意識の信念と欲望のほうが勝ります

ニューエイジ的な方法では、このような無意識の信念と欲望を意識に上げ、ポジティブな信念と置き換えます。ニューエイジ的技法の例は、アファメーションやポジティブ・シンキングを用いることです。ポジティブな状態にいて、欲しているものが非常に明確であるならば、それは創造されます


ある程度、これは真実です。しかし、それは、さらに高い法則の影響下にあります。その法則は、さらに高い意識のレベルから流れてきます。カルマの法則がここに関わっています。現在の転生に入る前、私たちは魂のレベルで存在していました。そして今生に生まれてくる主な目的の一つが、魂に影響を与えている過去のカルマを癒やして浄化することです。

私たちがここにいるのは、愛、受容、パワーと思いやりに関するレッスンを学ぶためです。

私たちがここにいるのは、愛と真実とワンネスに目覚めるためです。

私たちがここにいるのは、自らの魂を、永遠なるものを意識的に体験することに捧げるためです。

ですから、私たちが物質的な形の中に生まれてくる前に、脚本は書かれています。それは、私たちが目覚めてレッスンを学ぶための最高のきっかけと機会を与えるように意図されています。私たちが自分のレッスンを学ぶことにオープンであればあるほど、経験しなくてはならない痛みや苦しみが少なくなります

このレベルの法則が「奇跡のコース」に反映されており、それはニューエイジ的方法より優先します。言葉を換えれば、あなたが何を欲するかなんて問題ではない、ということです。あなたの人生で現れるものは、何であれあなたにとって最高のものであり、前もって魂とカルマの法則によって決められていたものです。


まだもう1つ、意識のレベルがあります。それは先の2つのレベルより勝ります。私たちが最高の、そしてもっとも崇高な意識のレベルに目覚めると、「奇跡のコース」で言うところの脚本と予定運命説をも超越します

あなたの人生で生じるものは何でも、あなたを目覚めさせて完全なプレゼンスに連れてくるための、神の計画の一部です。私たちがあまりにも早く眠り込んでしまうので、時々神は私たちを揺り起こさねばなりません。そのためには何だってします! ひとたび私たちが完全なプレゼンス状態になれば、そのときは基本的に、神は私たちの欲するものを何でも与えてくれますなぜなら、そのとき私たちは、愛に完全に気付いている、愛に目覚めた存在だからです。私たちは、私たちが誰なのかを知っています。私たちは、神が誰で、何で、どこにいるかを知っています。そして私たちは人生の真実と共に目覚めています

私たちには見えます。神はすでに、あるものすべてを創造しました私たちはその完全性の中に寛ぎます。私たちは何も創造する必要がありませんこのレベルで私たちは地上の天国を経験し始めます。そして私たちの真の、そして最も完全な未来は、「今、この瞬間」という入り口を通って展開していきます。それは必然的なことです。現在の人間の進化段階で、この段階に達するのは希なことです。しかし、それは私たちの最終的な運命です

(了)


1~4プレゼンスの状態になって..この瞬間に欠けているものはありません。それがあなただからetc.

2016-03-25 | レナードさん
Now Creationさんより

レナード・ジェイコブソン氏について

Leonard Jacobson

この瞬間に深く存在するプレゼンス(実在)を極めたスピリチュアル・ティーチャー。

1944年オーストラリア、メルボルン生まれ。元弁護士。

1981年から1997年までに6度の神秘的な目覚めのプロセスを体験している。目覚めへの本当の鍵である「今この瞬間」が人生の基盤となるよう、世界各地を訪れ、人々のサポートを行っている。主著に『JOURNEY INTO NOW』(邦題:「今この瞬間」への旅)がある。


1.息子の扱い方がわかりません

201631日ウェブキャストより。

質問者(女性):問題のある息子をどう扱ったらいいかわかりません。落ち着かせようとしてもうまくいきません。私にできるベストなことは、彼を愛し続けることだけです。 

レナード:息子さんはおいくつですか?

質問者:48才です。

レナード:例を示してください。最悪の。

質問者:携帯電話での会話がうるさいのです。静かにするように頼むと、きくときもあれば、きかないときもあります。電話がかかってくる度にこの繰り返しです。

レナード:家から出て行くように頼んだら?

質問者:いつも彼はそうしますよ。私にそばにいてほしくないのですから。

レナード:女性の人生でありがちな問題の解決策は、とてもシンプルです。

まずはプレゼンスの状態(この瞬間に、今、ここにあること)になってください。そうすれば、永遠のレベルのパワーに繋がります。それは他者を支配するパワーではありません。彼はおそらく、いつもあなたとパワー戦を展開しているのでしょうね。

息子さんも含め、誰かとの争いでは、あなたがほしいものを頼むことを学びなさい。ほしくないものを言いなさい。きっぱりと愛情深く。途中で突然交渉に入るかも知れません。自分にとって受け入れられない点を超えた妥協をしないでください。気楽に愛情深い態度でいるのですよ。取り乱しているときにはプレゼンス(今、この瞬間)にいないということです

でも、あなたがプレゼンスにいれば、彼が電話をとったとき、こう言えます。

「スウィートハート、家から出て、終わったら戻ってらっしゃい」。ただシンプルに言えばいいのです。

(にっこりと)「私の家よ。家から出て終わったら戻ってきて」。

もうあなたは犠牲者になる必要はありません。彼が理解するように話す。それが交渉です。彼がそうしないなら、家に入れてはいけない。もう犠牲者になる必要はないのです。(会場の人に向かって)犠牲者にならない準備のできている人はいますか? 手をあげて。

本当のパワーというのは、プレゼンスにあることで得られるのです。だから、まずプレゼンスにあること。あなたが欲しいものを要求しなさい。欲しくないものを言いなさい明確に、愛と共に怒る必要はないのです。怒りはパワーがない状態を示しています。欲しいものが得られると信じていないのです。嫌なことに堪えねばならないと思っている。不満を抱え、ジャッジしている。それが、パワーがないという状態のサインです。

彼が電話を取ったとき、してほしいことと、してほしくないことを伝える。でも、自分の意志を誰かに押しつけることはできません。ここにジレンマが生じます。3回息子さんに言いなさい。私はスリーストライクの法則はとても具合のいいものだと思っています。(会場笑)。「電話が鳴ったらどうか外に行ってちょうだい」。彼は出て行きません。もう1回とても愛情深く言います。「電話が鳴ったら、どうか、どうか外に行ってちょうだい。すぐに。ありがとう。愛しているわ」。まだ出て行かない。3回頼んでそうしなかったら?  

あなたには2つのことができます。1つはあなたが出ること。なぜなら彼をコントロールできないのだから。「聞きたくないから出ていくわ。終わったら呼んでちょうだい」。あなたが出て行き、彼が呼んでから戻るのです。でも、私ならドアにチェーンをかけてロックします。そうしますよ。もし彼がエレガントでいたくない、あなたの言うことを聞かない、歩み寄ろうとしない、あなたの平安をかき乱していることを理解できないなら、それは私が受け入れたくない人です。それからスーパーパワーカードが必要ですね。


まず、パワーカードはこうです。

1枚目:ほしいものがわかっています。

2枚目:ほしくないものがわかっています。

3枚目:愛をもって明確に表明します。結果に頓着せずに。


それからスーパーパワーカードです。

それは・・・

 

 

 

 

 

 

 

スーパーパワーカード:バイバイ


本当のパワーを活用すれば、決して犠牲者にはならないのですよ。

自由の対価は自由を与えることです。

あなたのプレゼンスが深まれば物事は変わります。でも、あなたが取り乱してしまうとしたら、彼は、あなたが本当のパワーを取り戻すために神が送ってくれた教師でしょう

(了)


2.欠乏感

201631日ウェブキャストより。

デビッドからの質問をメアリーが読む:私はいつも財政的に困っています。豊かさを得られずに欠乏感に苦しんでいます。

レナード:この欠けているという感覚、圧倒的な欠乏感。この手の質問は答えるのが難しいのです。なぜなら、別の次元の法則を適用するからです。

あなたが、うんと深いレベルで存在しているなら、神があなたに「愛されし者よ、何かほしいものはあるかい?」と尋ねたら、あなたはこう答えるでしょう。

「十分満たされています。何もほしいものはありません」。

しかし、この世界の次元では、スーパーで買い物をしたり、家賃を払ったりして、生活を営む責任が生じてきます。その点において、イエスの言葉が参考になります。

 

「明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自身が面倒を見る」。

 

今日の必要にフォーカスして、明日のことを思い煩わない。これは良いスタート地点です。特に財政的問題は、あなたを今の瞬間から離れたどんどん遠いところへ連れ去ります。

今の瞬間に集中しましょう。お腹がすいているなら、一片のパンを求めなさい。そうしたけりゃ、ピーナッツバターを塗ってもいいですよ。

財政や豊かさの問題は、すぐにあなたをストーリーに巻き込みます。あなたは将来を案じて心配に捕らわれます。そのときに起きていることは、あなたが過去を未来に投影しているのです。何を投影しているかというと、子ども時代に母親から植え付けられた十分でないというプログラミング。その痛みと恐れを将来に投影しています。

過去の欠乏を投影すればするほど、この欠乏感というプログラミングによる、限定された信念が作用し、その結果を受け取ることになります。

プレゼンスの状態になって、この瞬間の豊かさに気付いてごらんなさい実に豊かですよ。音が聞こえますか。空気があります。花があり、壁が、天井があります。クリネックスティシューもありますよ。この瞬間に欠けているものはありません

デビッド、常にここにある豊かさに気付き始めるとあなたが時間の世界に参加するとき、豊かさ、愛、受容、思いやり、明晰さが人生に流れ始めますなぜなら、それがあなただからそれはあなたが行うことではないし、アファメーションすることでもありません。あなたがプレゼンスにあるとき、あなたは豊かさそのものです歩く奇跡ですあなたに必要なことは、それを認識することです

欠乏感があるなら、十分でないという意識と共に育てられたなら、それを手放すために意識に上らせる必要があります。取り除こうとするのではなく意識に上らせるのです


過去から未来に投影する欠乏感はどこから来たのだろうと、自問してください。

もし、あなたの欠乏感がどこから来ているのかわからないなら、一度だけ神に聞きなさい。「神様・・・・・・」(と言いかけて)私はこれをあなたの頭に向かって言うのではなく、あなたの存在の中心に向かって言います。あなたの内なる静寂のハートに向かって言います。あなたの外側にではありません

「神様、この欠乏感はどこから来ますか?」 

そうしたら待ちなさい。答えが泡のように上がってきます約束します。質問すればすぐに答えは出てくる。

まずはプレゼンスの状態になる。

次に、あなたの謙虚さから、感謝の心から、愛から質問してください。

信仰心も信頼も必要ありませんあなたのプレゼンスで十分です


他にあなたに言うことは、デビッド、豊かさの法則があります。それは「外側の世界はあなたの内側を反映して現れている」ということです。だから、あなたの世界があなたのマインドを反映させているなら、子ども時代の過去、過去世からの辛い経験、抑圧された感情、私は十分じゃないという思いが積み重なったものを反映させていることになります。飢餓、死、戦争・・・欠乏感をもつ機会ばかりです。けれども、これはすべてストーリーです。この瞬間とは何の関係もありません。

ということで、欠乏感の起源を明らかにしなさい。びっくりすることでしょう。


(会場の人たちとのしばしの沈黙の後で)

最後に、もう一つ。もし望んでいるだけの財政的豊かさを得られず、欠乏感と共に生きているなら、それは明らかにレッスンの一つです。あなたのスターティングポイントは欠乏です。あなたのエンディングポイントは豊かさなのでしょう。でも、スターティングポイントを否定するなら、豊かさというエンディングポイントに到達しません。

欠乏感が生じる度に意識に上らせます。ああ、「欠乏感」が出てきた。ああ、「私には十分でない」が出てきた。

あなたが愛されていないという問題を抱えているなら、愛の本質を発見するためにここにいて、手がかりを与えられているのでしょう。

批判されるという問題を抱えているなら、受容の本質を、判断を越えた本当のあなたを発見するためです。

例外はないのですよ、みなさん。すべてはあなたを目覚めさせるために起きています

この瞬間から不満を言わないというのはどうですか?

(会場の人の手が上がる)

デビッドも賛成でしょう? 手を上げてくださいよ。ウェブキャストを見ていると思いますが。

(了)

 

3.シェアしたいのです

201631日のウェブキャストより。

メッツからの質問をメアリーが読む:プレゼンスにいると、誰かとその状態を分かち合いたいという気持ちに駆られます。好きな音楽もそうです。すると、楽しむつもりが議論になったりします。そうするつもりはないのですが、そうなってしまうのです。

レナード:まずあなたに直接、はっきりと言いたいことがあります。

あなたの音楽は最高です。ですからリラックスしてください


あなたにとって最高の音楽を、他者もそう認めねばならないというのは、あなたのエゴからきていますそうしたエゴを判断せず、非難せず、遊び心たっぷりに、ただ気付けばいいのです知らない人に言えばいい。スーパーのレジ係に「私の音楽は、あなたのよりも最高だと知っているでしょう」(会場笑)。エゴが生じるときには、判断したり、取り除こうとしたり、止めようとしないことです「鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番美しいのはだーれ?」。これは目覚めにも使えますね。「鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番エンライトメントしているのはだーれ?」。

ですから、そうやって「自分が、自分が」というアスペクト(面、相)と遊びなさい。自分は聡明でなければならない、ベストでなきゃならない。それはすべてエゴから来ます。それは悪いことですか?


メッツ、あなたはプレゼンスや経験していることを誰かにシェアしたがる性向があります。ちょっとした秘密を教えてあげましょう。

「それは良い考えではありません」。 

あなたのマインドが他者のマインドに話す。まったく時間の無駄です。

何とかあなたのプレゼンスから他者のマインドに話す。これもまったく時間の無駄です。

ベストなのは、ただあなたがプレゼンスの状態にあることです。そうすれば、誰か気付く人もいるでしょう。

「わあ、あなたいつもと違うね。何かあったの?」

そうしたら、私の著書 “JOURNEY INTO NOW”(邦題:「今この瞬間」への旅)を渡しなさい。(会場笑)

 

オーケー。以上が私のアドバイスです。とてもはっきりとしたシンプルなことです。あなたのエゴと遊びなさい。批判したり非難したりしないで。

「鏡よ鏡よ鏡さん、誰の音楽が最高ですか。一番利口なのはだーれ。一番悟っているのはだーれ」。

(了)

 

4.愛について

201631日のウェブキャストより。

ある人からの質問をメアリーが読む:私たちはみんな愛であるとよく言われています。すべての愛は、はっきり現れるのだと。一方、愛(する心)を発達させるということもあります。それでよくわからなくなるのです。

私は愛です。でも愛とは何ですか?

愚かな私にもわかるように教えてください。

レナード:最後の一文に同意します。(会場笑)

愛は頭で理解することはできません。理解するのはマインドの機能だからです。プレゼンスにいてマインドを越えた状態でなければ分かりません。あなたがプレゼンスにあるとき、あなたは愛です。あなたが愛についてできることは何もありません。あなたは愛のエネルギーを周りに発しています。ちょうどろうそくの灯りが周りに発せられているように。あなたが誰を、何を愛するかなんて本当に関係ない状態です。あなたが愛です。

一方、愛を発達させることは、偽りの愛で人工的です。スピリチュアルなサークルでありがちですね。

(甘い顔で)「オー、皆さんをとても愛しています」。(会場笑) 

(脱力したように頭を垂れて首を振りながら)「ア~ウ~」。

でも、愛を発達させる余地はありますよ。私たちはマインドで生きる癖がとても強いので、愛の状態にいません。それは構わないのです。ただ気付けばいい

「私はマインドにあるから、今プレゼンスに戻ろう」。

「私は愛の状態にいない。今プレゼンスして愛の状態に戻ろう」。

愛を発達させるということを、プレゼンスを思い出して、思い切って愛を表現することだと勘違いしないでくださいね。

 

もしあなたが愛なら、どうして愛を持つことができるのでしょう?

それは、おそらく子ども時代から、私たちは愛でないと条件付けられてきたからです。また、十分に愛を表現しないようにとも条件付けられてきました。そうしたらすぐに潰されますからね。

私が言っているのは、こういうことです。

あなたが静寂の中にあるとき、あなたが愛であると認めなさい。あなたが静寂の中にあるとき、あなたが愛であると知りなさい。そして思い切って表現するのです」。

でも、それはおそらく人工的な愛へとクロスラインを越えてしまいがちです。

 

あなたが愛深くある必要がないとき、プレゼンスは愛に勝ります。(愛が一番でなくて)悪いね、皆さん。(自分の胸を指差して)時々人はハートの中心を指差しますね。(その指を振りながら)「だめ、だめ、だめ」。プレゼンスはその中心を越えて、もっと深いものです。どこにあるか尋ねられても指差すところなんてありません。まさにあなたという存在の中心、静寂のハートにあります。もちろん愛はソースからあなたへと溢れ出ます。もちろん、あなたがその愛ですでも、もっと深いレベルではプレゼンスなのです。純粋な意識です愛する感情を覚えずにプレゼンスでいられることはありません。

多くの場合、あなたがプレゼンスにあるとき、あなたは愛する感情よりも、むしろ平安を感じています平安が、一番プレゼンスに結びつく感情だと思いますもちろん、あなたは愛のエネルギーです。無論、ときには中心から流れた愛を美しく表現します

(了)