星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

脱ダーク

2021-11-27 15:41:08 | 日記

11月27日

暗い気分に陥るような、それに歯止めをかけるような、自制心のギリギリの具合で平静を保つ土曜日です。

昼ごはんは共有リビングの冷凍庫に眠らされていた謎の青魚です。それを竜田揚げにして食べました。

いい感じの満腹気分に軽い眠気を覚えながらも、これを書いています。

ただいま梅田にある若者のしゃべくりで雑多としたカフェの端っこにいるわけですが、特に外出の用があったわけではなかったりします。

ただ、家の中にいるとパソコンを開く気にもならない、発狂しそうな鬱を携えた私がいるだけなので、とりあえず多少金がかかってもいいので家を出るしかないのです。

別にそこまでアウトドアの自覚もないのですが、どうしても家というのは、何かよからぬことばかりが頭に浮かんでしまう。

やたらにネガティブで、破滅的で、どうせ幸せになろうがなんだろうが、自分はいずれ召されていくことには変わらないのだから、足掻いても無駄なんだな、さあ困ったものだ、とりあえず布団に包まれば少しは意識も遠のいてマシになるだろうか、とか死ぬほどどうでもいいことを堂々巡りして、それでまた寝てしまう休日になるのです。

これでも一応社会人として歯車の一つとして生きているのだから驚きです。みんなは私のように気が狂いそうになったり、孤独で妄想を繰り返したりすることってないのでしょうか。

大阪駅すぐそばの交差点、行き交うたくさんの人たち、みんな至ってまともそうに無表情で歩いていきます。

この中で本当にまともな人は一体どれくらいなのでしょうか。どれくらいの人が、内面気が狂っているのをひた隠して平静を保っているのでしょうか。そんなことを考えている自分の頭を、どれだけまともとして捉えたらいいのでしょうか。

大人になると大体のことは鮮明にわかってしまうものだと盲信していた子供時代が懐かしくもあります。

幼少の頃は親という絶対的な存在、万物の全てに理解があるものと本気で思い込んでいました。

それこそ宇宙の果てまで知り通していて、幼き未熟な私にあれこれと指南を重ねていくものと信じ切っていたわけです。

その神話も、あっけなく崩れていく音を聴いた時は、私も既に未熟ではありえないはずの年齢にまで達していて、子供の頃に信仰していた大人の万能説を、自分自身の身を持ってして破ってしまったのです。

知らないもの、想像でしか語れないものの大半はきっとそういうものなのかもしれません。

想像は遥かに壮大である分、現実はただ等身大を表すだけなのだと。全ての罪は己の思考なのだと。

 



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