1月29日
金曜日までの5連勤に疲れ果てた私は、土曜日である今日丸一日を何もせずに眠り通すという、怠惰のようにも思える行動で締めくくりそうです。
現在夕方も終わりかけ、むしろ夜の始まりである18時半。今日一日何をしたっけなと考えると、昼まで寝て、空腹に我慢ができずにミネストローネを大量に作って食べ、個室の床を掃除機できれいにした、その程度です。
およそゆったりとした、時間の流れをただ眺めるだけの作業は、単調なようでして、最も価値のあるものなのではないかと、ふと考えたりもしました。その心は、忙しなく生きていることそのものに価値を見出すこと、それが社会的によきとされていること、そのもの自体に疑問が湧いたからです。
読書をしていると、さまざまな価値観に出逢います。それがたとえフィクションであろうとも、考えは考えです。本当にあった事実だろうと、嘘ともいえる想像の世界のお話であろうと、人の生み出したものであることは確かです。それに携わることで、既存に浮き彫りとなった私の価値観に、改めて見極めを施す猶予を与え、無自覚だった当たり前に疑問符を付け加えるのです。
そこからまた新しい自分が産まれて出てきます。
そんな自分が、今のただダラダラしている生活もいいものだと納得しているわけです。我ながら、ものや人に感化されやすい性格をしているなと、改めて思います。感受性の面では人一倍の鋭さを持っていると自負しているのは、こう言った面ですぐに変わってしまうからなのでしょう。感動を引き起こされると、ついその物事の素晴らしさを投影したくなる。
そして自分でその気になってみたりもする。小さな頃から、なりきりが好きで、ごっこ遊びには夢中でした。
ヒーローものに憧れては手足をあくせく動かして想像力を遊ばせて、人形を買ってもらえるたびにそのキャラクターに役割を与える、それが自分なのでしょう。同時に怖いことだってあります。
すぐにでも影響を受けてしまうわけですから、危ない思想や恐怖映像など、あまり携わりたくないものへの不可抗力だって、多少はあるわけです。それすらも、今まで生きて生きた中で、なんとなくうまく帳尻を合わせていく、そんな処世術を活用していきます。
そんなこんなで、今日の自分は完全なオフモード、さっきサウナにも入り、完全に体は整っています。
明日は日曜日で、これからは土曜日の夜、ということなので、みんなでゲームでもできたらいいかなと思う次第ですが、さてどうなることでしょうか。
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