【正論】京都大学大学院教授・中西寛
小沢氏勝利で政治は重大局面に
民主党政権発足から約1年となったが、その間の実績は、衆院で圧倒的多数を与えた国民の期待とはほど遠い。鳩山前政権は普天間基地移設問題で混乱を招いたうえに、首相、幹事長という2大リーダーが政治資金問題で批判を浴び、わずか8カ月で退陣した。
代わった菅政権も、参院選で敗北して参院での過半数を失うと意気消沈し、思考停止状態に陥っているように見える。経済、外交いずれも重大な課題を抱えている時に、民主党では代表選で首相と小沢前幹事長が激突するという構図にわき立っている。
◆参院敗北は前政権にも責任
実際に一騎打ちになるか否かは別にして、代表選にこれだけ振り回される中で、民主党そのものの政権政党としての資質を疑わざるを得ない。野党なら党首選は政策論争の場としても意味があるが、政権党での党首選は首相の座を争うことを意味する。
党内事情で政権を左右すること自体、国民をないがしろにするものである。政策論争なら党内機関でやれば済むことで、政策に根本的に相違があるなら同じ党にいる意味がない。
まして今回は、就任わずか3カ月の首相に対して、職を辞したばかりの小沢氏が対抗し、鳩山前首相が仲介の前面に立っていることは筋が通らない。
参院選の敗北に対しては現政権執行部とならんで、両氏も前政権責任者として責任を負うべき立場にいるはずだからである。
かかる無軌道を批判する声も出ない民主党の体質そのものが相当おかしいと考えざるを得ない。
◆「痛み」なく解決できぬ問題
代表選で小沢氏が勝利すれば、日本政治は重大な局面を迎えよう。小沢氏の首班指名をめぐり民主党が分裂するかもしれないし、仮に小沢政権ができれば検察審査会の決定をめぐり大きな不確実性が生まれる。そもそも新政権は極端な低支持率で発足することが見込まれ、「ねじれ国会」において民主党の政権運営はより一層困難となるだろう。
要するに政治の現状は行き詰まり、政界再編の機運が高まるだろう。しかし政争に端を発した政界再編ですぐに政治が安定した形をとることはありそうになく、日本政治はさらに混迷を深めることになる可能性が高い。
しかし動き出した政治の流れは止まらないだろう。菅政権が続くにせよ、小沢政権に変わるにせよ、政界再編の動乱になるにせよ、国民は日本政治が新たな体制を築くために乗り越えねばならない試練と覚悟を決めるほかない。最後には政治家を選んだ国民が責任を負わねばならないのである。
問題の原点は、冷戦終結と高度成長の終焉(しゅうえん)という日本の置かれた客観状況と、過去20年間の政治の「民主化」のミスマッチにある。客観的には、冷戦と高度成長期に日本が享受した平和と繁栄をそのまま維持することは不可能な状況となった。しかし政治の民主化の波は政治家が競って国民に甘い約束を振りまく構造をもたらしたのである。
結果として自民党政権下で巨大な政府債務の累積と外交的な行き詰まりとが生じることになった。小泉政権は確かに「痛みを伴う」改革をやろうとしたが、優勝劣敗の市場主義の結果、全体のパイが縮小する中で勝者と敗者が分かれる政策は日本人には合わず、「格差」論の反動をもたらした。
代わった民主党政権は、自民党の失政をなじり、自分ならうまくやれると空約束をしていたが、過去1年の経験は、日本が抱えている問題を小手先の技術で痛みなく解決する方策はないということを教えた。そのように理解しなければ、民主党の「実験」に意義はなかったということになろう。
◆将来への甘い見通しを捨て
15年前、10年前、いや5年前であっても多少のリスクの増大と生活水準の低下によって平和と繁栄はおおむね維持できたかもしれない。しかし「古き良き時代」に固執し、じり貧を避けようとしてきたためにもはや事態はかなり切迫することになった。
バブル崩壊以降の20年間、日本経済はデフレといわれ続けてきた。経済学的にはそうかもしれないが、20年もある状態が続くならそれが「常態」であり、経済学の方を考え直さねばならないのではないか。かつて日本を笑っていた欧米の経済学者も、そのことを認め始めているようである。
今の政治の役割は、将来に対する甘い見通しを捨て、厳しめの予測に立って国民に負担を率直に求めることである。基地や費用負担なしに日米同盟はあり得ない。同盟がなければ防衛費は今よりはるかに大きくなり、しかも日本の安全は低下するだろう。苦しくともそのことを説かねばならない。
経済政策については甲論乙駁(おつばく)の論争が続くが、ハイリスク・ハイリターンの選択をしている余裕はないのではないか。堅実に考えれば、経済成長が回復したら増税といって先延ばしをしている暇はない。国民は怒るだろうが、政治家が保身を捨てて説得するほかない。(なかにし ひろし)