人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

はげる人生など考えもしなかった【ニート後遺症の余波】

2016年02月17日 | 脱ニート者の日常
容貌。風貌。頭髪。
久しぶりに会う人、ご近所。誰もが口をそろえていうのは「大丈夫?」。
聞けば、怖いくらい痩せたという。本人には大きな自覚はない。ニート後遺症には鏡が覗けなくなる症状があり、ひげそりくらいしか鏡は覗きこまないし、極力口元だけをみるようにしてしまう。整髪も同様。顔全体をしげしげと見ることはなかった。

ニートは、現実を直視しないことが大きな要因。モラトリアムに逃げ込む。一番幸福だった時期、楽しかった時間を無限に繰り返そうと部屋の中に時間を閉じ込める。

脱ニートは、現実を直視し時間を解放する。その、時間の奔流、時間の圧に様々な肉体的・精神的失調が惹き起こされる。

だから、鏡をしっかり見るようにした。
嘔吐感がひどい。胃液が逆流する。発汗もある。鏡には、産まれてからずっと付き合ってきたはずの男がいるはずだった。誰だろうか。父に似ている。人との確執だけで半生を終えた父だ。
ほうれい線が濃くなっている。肌が荒れている。
どうやら、禿げている。父母はもちろん両祖父母にも禿頭はいない。遺伝的には禿げない。そして白髪が増えた。父が白髪だった。

老けた。
ニート時代、ほんの一年前は30代前半だと言われた。着るものによっては大学生。それがあっという間だ。年相応を突き抜けて、数年先へ行ってしまった。俺だけじゃあない。母もだ。オシャレな人で、いわゆるオバちゃんぽい恰好はしない。若づくりではないレベルでポップにまとめる。それが似合っていたから年齢を聞かれては、よく驚かれていた。それが今、一年で。体型が変わってしまったからこれまでの服は着れない。かといって買えない。あるものでなんとか形にする。服はまだいい。やはり顔。シワ。髪。肌。目。
病的だと言われた。
それにさえ気付かなかった。

鏡を覗くことはよいことなのか、悪いことなのか。
現実を直視しなくてはいけない。とはいえ止められない急速な変化を確かめる日々というのは、どうなのだろうか。最低限の身だしなみは気をつけるけれど、それ以上の確認はつらい。つらいのみならず、体調に変化が起こる。
ニート後遺症の凶悪さの一つはそこだ。
現実を直視すると、実際に、物理的に器質的に体調が変化する。こうして文章を作っていてもはぐきが痛み出し、熱感、発汗、胃液の逆流が現れる。
毎朝、それから始まるというのは、相当なこと。さわやかな朝、どこにいった。


コメントを投稿