人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

生活保護は救いなのかとどめなのか【ニート後遺症、闘病中】

2016年03月14日 | 脱ニート者の日常
洋kさま、コメントありがとうございます。

生活保護は、やはり精神的にキツいです。
体面もあります。現在、調子が悪いながらも地区の色々な会合やボランティアに参加し、そこでちょっとした役をいただいては動いていることが母の活力源となっているんですね。体面だけが問題ではなく、できるできるとは言っても実際、生保生活に入ると必要なものをほぼ全て処分せざるを得ないようなので続けるのは無理です。
処分しなくてはならないものも多く、当然ながら一度処分したら二度と元には戻りません。高価なものが惜しいとかじゃなくて、大事なもの、大切なものを失ってしまうということです。そもそもこうなったのは自分たちのせい、特に俺のせいなのでそんな甘えたこと言うな、ではあるのですが、かといってそれらを金に代えて続ける生活にどれほどの価値があるのかというと…。
恢復の見込みがまったくない現状、一時生保で生活して、ではなく、一生生保で生活、が待っています。
勿論、それでも健康の方が大事、生命の方が大事だということも分かっているのでその選択を完全に切っているわけではありません。

が、現時点でさえギリギリの精神状態なことがはっきり見て取れる母からこれ以上奪うことは非常に厳しく危険な選択だと思うんです。それは俺自身にもいえることですが。

生保について話し合うこともあります。
生きるためだけの生活には、意味がないと言います。俺も同意見です。体調不良を放っておいていいわけはないのですが、生きる支えをなくして生活だけを続けても恐らく、良い結果にはなりません。良い結果にはならないというのは、自ら最後の時を決めてしまうだろうということです。
精神的にギリギリでも安定を保っているから二人とも踏みとどまっているんですね。その踏みとどまるラインが、これまで続いてきた生活・世間との連続性なんです。それがなくなっちゃうと、別にがんばってここにいる必要ないもん、と。そこに着地します。現在はそんなことを戯言として言ってしまえますが、本当に連続性が途絶えたら、もういっか、にいってしまいそうです。

などということも考えたりして、まだもう少しだけ、生保申請は先にしようかと思っています。
手遅れにならないうちにという焦りもあります。一方で生保に動いたことがとどめになるかもという恐怖もあります。

気にしてくださって、本当にありがとうございます。
これも一つのニート後遺症との闘病。
まずは現状維持のためにがんばります。


1 コメント

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Unknown (洋K)
2016-03-16 06:41:44
そうですか
わかりました

出来ること。続けてくださいね

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