なにぶん、なりゆき なもんで
、・ 改め らくごしゃ の なりゆき(也がついたり、つかなかったり)
こわいひと
とある映像制作会社で副社長が犯した会社の公金横領、上司の立場で部下への請求書、領収書、帳簿の改竄命令事件があった。
本来なら、業務上横領罪、私文書偽造罪を問われるところ、会社への貢献を考慮して(良く分からない理屈だがよくある話だろう)、横領金の返金免除(何十年も継続し計算出来ないのもあるだろうし、そもそも社長も黙認していたようだ)、映像制作物の著作権の一切の放棄で、会社からの放逐、解雇で手打ちとなった。
手打ちと言うと、なんだが5分の交渉のようだが、10:0だったのだろう。
なぜ、この時期にという問題もあったようだが社長の腹ひとつであったであろう。満を持しての解雇する時期だったのだろう。
裁判であれば、執行猶予期間は過ぎていても、モラル的には戻れるような立場ではない副社長、そのひとが、すでに表舞台に戻って来ていた。
不動産も蓄財もたんまりあるはずなのに。金ではない、のだ。
実は、金ではないことではなく、おおいに金なのかも知れない。
大人しく出来なかったのか。この辺りがこのひと、にんげんの我欲、性(さが)なのか。なんという業、いや、病理なのか。
表舞台に出る事で不愉快に思う者もいるだろう、このひとに被害に遭われた方もいるだろう。
そして、この病理を利用する者たち(このひとも含めて)もいるという事だ。実に、人間というものはこわいものか。
犯罪を黙認して利用価値がなくなったら切り捨てる社長、物凄くこわい。
しかし、これを書いてる自分が一番こわいのかも。
だが、この世の中なら良くある話ですまされるのだろう、か。
この感覚が正常なのか、異常なのか、にんげんとはこわい、ものだ。
選挙で裁判官を⭕️❌で選ぼう、ボクらにはそれが出来るんだ。
2017年、安倍内閣が、
森友学園、加計学園を巡り
疑惑追及するため
野党の臨時国会の招集に
約3ヶ月応じなかった。
そのことを、
憲法違反として野党国会議員が国に損害賠償を求めて
3件の訴訟に上告したが、
12日、
長嶺安政裁判長、
林道晴、
渡辺恵理子、
今崎幸彦、
各4名の裁判官が
原告側の上告を棄却した。→❌
宇賀克也裁判官のみひとり
上告棄却に反対意見を付けた。→⭕️
※ 但し、憲法53条は、
招集までの期限についての具体的な規定はない。
政府は「合理的期間内」に招集を決定することが
義務と解釈している。
ちなみに、21年、菅政権は
80日間「憲法に招集時期の規定がない」など反論して、
招集の遅れを正当化した。
私たちは、裁判官の判断が、
私たちのために判断をしていないと思えば
選挙の時に、その裁判官を⭕️❌で選択出来るんです。
安倍晋三の森加計問題解明の即刻臨時国会の招集を
望んだ野党(国民)の追求の場を奪い、
(忖度・隠蔽時間を与え)(わたしの主観)
質問権や討議権の行使が不能となった訴訟に関して
上告を棄却した
長嶺安政裁判長、
林道晴、
渡辺恵理子、
今崎幸彦、
各裁判官が
国民のために三権分立として、
司法として、我々国民のために
判断が機能していないと思えば
❌印をつけて、
ダメだしが出来るんです。
⚫︎ 裁判官も人なり。
⚫︎ 疑惑の釈明をしない政治家も
我々が選んだ人なり。
⚫︎ それを問い正す政治家も
我々が選んだ人なり。
⚫︎ その政治家や裁判官を選挙で
投票するのも我々人なり。
選択の時期は選挙時にある。
ぼーっと生きてる私としても、
ちょっと考えざるを得ない。
ひとりのひとには限りある時間しかない。
マスコミが選挙前に、
各裁判官の下馬評を
出してほしいと思うのは甘えてますか?
えっ、やってる、
えっ、出すことに何か問題があるんですか?
(2023年9月13日 東京新聞朝刊 ①⑤⑥ 面 参照)
総理の耳はパンの耳
科学的根拠に基づき、
高い透明性を持って国内外に丁寧に説明していきたい。
「聞く力」を訴えている総理大臣岸田文雄は、
「断固反対」の全漁連の会長との面談を
地元漁業者らの話を聞かないまま帰途に就いた。
そんな視察だけのパフォーマンスならば、
どうぞ、海洋放出する処理水を、
総理大臣岸田文雄の意見を聞く気のない耳なら、
同様に聞く気のないパンの耳をかじり、
IAEA のお墨付きの処理水を飲んで流し込んでみる
生命(いのち)のパフォーマンスをしてみたら良いのに。
科学的根拠より自らの人体的実証的根拠。
「聞く力」がなければ、「効くカラダ」。
O157のかいわれを平らげた元総理大臣菅直人の様に。
くだらないパフォーマンスのひとつでもやってみたら、
さぞ、恥ずかしいでしょう、に。
こちらが葛飾区亀有公園前派出所
真っ青の雲ひとつない
夏空の
灼熱の太陽のもと
老舗のお酒メーカーの営業で、
亀有駅前のバス停で、
お客さんのスーパーへと向かう為に、
バスの到着を待っていた。
商談用の商品を入れたキャリーバッグを
汗だくになりながら、ガラガラ転がし携えて。
バスが来て、目的のバス停で降りた。
突然の外気の暑さで朦朧となりながら、
我を取り戻し、
商談内容を復習(さらお)うとして、
資料と商品の事を気にした時、
手もとに、キャリーバッグがない事に気が付いた。
いつも店長がいる時間なので、
幸い、先方には、アポは取っていなかった。
慌てた、ぼくは、乗って来たバス会社に連絡をして、
バスの便名を伝え、バスの中を調べてもらうと同時に、
亀有駅前のバス停に忘れていないかを訊ねた。
が、しかし、
バス会社の窓口担当が応えるには、
乗車していたバスの運転手から
見当たらないと言う報告だし
バス停に出発を待つバスの運転手も、
バス停にないと言う。
記憶をたどるが、バス停まで転がした覚えがあるが、
なんせ、茹だるような暑さだ、曖昧である。
JR亀有駅の窓口にも、キャリーバッグの特徴を伝え、
届いていないか訊ねたが、期待は、はずれた。
金銭的には、大したものではないのだが、
商談セットを、また、一式、創り直すには、
ひと苦労ではある。
太陽の強い陽射しと、
この状況に眩暈(めまい)がした。
ここは、葛飾区亀有だ、
途方に暮れ、額から汗をたらしながら、
葛飾区亀有公園前派出所に、駆け込んだ。
落し物の調書をひと通り書き、
あとは、宜しくお願い致します、と、
まだ、止まらない汗をタオルで拭いながら、
派出所を出て、申請終了のゴングが鳴りやまぬうちに、
腰の曲がった八十歳近いお婆さんが、
日傘を片手に、涼しい顔で、
ぼくのキャリーバッグをゴロゴロ引いてきた。
奇跡である。
お婆さんは、この得体の知れない、
不審物のキャリーバッグが怖くなかったのか。
すべてこの暑さが、恐怖心すら取り除いたのか。
人生の歴史の重さを感じつつ、畏(おそ)れ入った。
お礼を言い、手前勝手ではあるが、
手持ちの商材用の商品を謝礼に渡そうとしたのだが、
お婆さんの、応えた言葉に痺(しび)れてしまった。
「いや、バス停に、誰のものか判らず
このバッグがあったから、持ってきただけだよ。
そんなものは、いらない、もうバスの時間だから」
と、曲がった腰で、すたすた、猛暑を忘れたように、
立ち去ってしまった。
当たり前のことを、当たり前にした。
そこには、邪推なんてはさむ余地はない。
大変、有り難く、嬉しい事ではありますが、
複雑な気持ちであります。
この複雑の気持ちは、
八十代のお婆さんの素朴な親切な気持ちと、
現在の社会の複雑な問題との接点のない
交差点だと思うのだが、
今回、お婆さんと複雑な問題はすれ違い、
いまさら、他所(よそ)に逃げることは出来ない。
ただ、こちらは、他所でなく、
亀有区亀有公園前である。
土地柄、このような話は、当然で、
「こち亀」も200巻のネタの宝庫にも
なったんでしょうから。
ご存知でしょうが、
亀有駅前に、派出所はありますが、
「葛飾区亀有公園前派出所」という名称では
ありません。
もちろん、
派出所内を探しても、
両さんも、中川くんも、麗子ちゃんも、
見当たりません。
奇跡的に、
お婆さんが、彼らを、連れてきてもくれません。
深くは、関わっていないけど、
葛飾区亀有、いい街だと、感じた。
この猛暑の夏が手伝ってくれたから、
だけじゃない。
眼を細め、目頭がちょっぴり熱くなったのも、
まぶしい太陽のせいじゃないと思う。
初出 17/12/25 20:03 再掲載 新版改訂
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