姉は癌と、闘っていた。
西洋医学、
癌を、カラダから、物理的に、切り取る外科的治療。
抗ガン剤、
食事療法、
東洋医学、
フィリピンでの、
信頼されるスピリチャルな先生の治療。
彼女は、
自分で、勉強し、
自分の頭で考え、
自分が信じることができる、あらゆる方法を試みた。
癌になった姉を、癌と闘っている姉を、置いて、
その自分の我が娘をも、置いて、
オレの義理の兄、つまり、姉の旦那は、
昔の女と、どこかに消えた。
そういう生き方もあるだろう。
姉には、悪いが、
そういう生き方もあると、
オレは、冷静に、その男のことを、
強くは、肯定は、できないが、
強くは、否定を、できなかった。
たぶん、その当時、その男に出会っても、
拳(こぶし)も、言葉も、でなかったと思う。
ただ、目を閉じ、
あわれみの表情を、浮かべただけかも知れない。
そのなかでも、
姉は、ひたすらに、ひたむきに、癌と闘った。
生きるということを、
彼女は、馬鹿なオレに、教えてくれた。
馬鹿なオレは、
ネズミのプロダクションから、
落語に、逃げながらも、
姉のいる病室にも、通っていた。
プロダクションから、らくご してからは、
プータローという、入金のない職業に就き、
副業として、
毎朝、姉の食べたいものをたずね、
その食べ物を買い物をして、
病室に届ける仕事に就いた。
姉を観ていたオレは、
癌を、なくすんじゃなくて、
なぜ、医学は、癌との共棲の道を探らないのかと、
思った。
癌だって、棲み家を、失くせば、
自分の居場所がなくなるわけで、
癌に、そのことを、教え込み、進化させ、
転移して、殖やして、
棲み家を失くす愚かな行為に、抑制する方法を。
最先端では、温存療法って、
もう、この発想で、
進んでいるんでしょうが。
癌に、そのことを、伝える、言語を、薬を、探して、
研究中、開発中ってことなのか。
まだまだ、
癌の攻撃的な、
自我の強い増殖行為の方が、目立つようだ。
薬も、激しい副作用が、多いようだ。
姉は、突然、オレに、
「いま、なにが、一番、したい ?」と訊ねた。
突然すぎて、
コトバを探していると、
姉は、
「仕事が、したいッ」と、大きな声で、宣言した。
プータローのオレには、
耳にも、こころにも、痛い宣言だったが、
病室のベットの上で、
孤独に、癌と闘い、長く過ごしていると、
家族ではなく、他人(ひと)様に必要とされるような、
仕事という、
社会に参加したくなるものなのかと思った。
彼女らしいと思ったが、
その言葉で、
馬鹿なオレは、つまずきながらも、働いて、
いまも、こうして、生きている。
ヒトの死の間際というものは、
不可思議なことが、起こる、ものだ、
その事を、知らされた。
モルヒネで、痛みを抑えていた。
もう、昏睡し、ゆっくり、衰弱し、
死に、近付きつつあると思われていた。
モルヒネが、効いているはずなのに、
昏睡状態から意識が戻りつつあった。
だが、意識は、混濁し、
意味不明な、断片的な、言葉を、
次から、次へと、発していた。
走馬灯のまわる出来事のなかで、
現れてくる人たちと、
うわごとのように会話をしていたのだろうか。
ところがだ、仕事に追われ、
姉にも、仕事を優先するように、と含まれていた、
姉の娘が、仕事場から駆け付け、
ベットの脇に寄り添った。
姉の娘が、姉の手を握り、しばらくすると、
姉の意識が戻ってきて、
母や、姉の親友、そばで見守っていた、
オレたちと、姉は、短い会話をした。
最後は、姉と、姉の娘のふたりを、病室に残し、
オレたちは、外にでた。
姉の娘が、いよいよ、と思い、
ドクターとオレたちを、呼んだ。
これが、姉との、別れとなった。
みんなと、最後の別れをした、姉は、
優しい、穏やかな、笑顔のような顔だった。
ドクターも、
医学的にも説明がつかない、不可思議な、
こういう、出来事が、たまに、あると言った。
律儀な、姉らしい、最後だった。
オレの先祖からの実家の墓は、
オレが、一族、最後の一匹なのだが、
20年以上も前に、父も亡くなり、
母が、ひとりで、最近、苦労の末、全てを処分した。
姉のなきがらは、
浄土真宗の家に生まれ、
キリスト教で、結婚して、
キリスト教で、葬儀をし、
再び、都内の、なんの縁(ゆかり)もないが、
たまたま、浄土真宗で、宗派問わずの、
合同廟のなかで、眠っている。
娘の意向で、戒名も無く、姓もなく、
ただ、
名前(俗名というのも価値観が付くから、名前とした)
と、没年月日だけが、明記されている銀色のプレート。
数々の、戒名、姓名の書かれた、
銀色のプレートたちの中に、囲まれて、
姉のプレートだけが、ひと際、目立っている。
目立つことには、照れているんでしょうが、
これも、娘の意向ながら、
姉らしい、のかも知れない。
オレが生まれて、姉とは、八つ違いだったが、
姉が、亡くなる際(きわ)まで、
オレと姉とは、八つ違い、だった。
もう、そろそろ、
馬鹿なオレは、姉の歳に近づき、
馬鹿なオレでも、
姉の歳を越えていく事になるんだろう。
母を残して、
先に逝った姉は、親不幸になるのだろうか。
残った、馬鹿なオレに、
親孝行などという、ことが、出来るのだろうか。
「親孝行したいときには 親はなし
墓に布団は 着せられず」
小津安二郎『東京物語』で、知った言葉だ。
姉も、先に逝かなければ、
馬鹿なオレは、
無責任な駄目な弟で、頼りない息子として、
映画な中の、台詞(せりふ)として、
すんでいた言葉だ。
姉貴よぉ、
たまには、また、
生きるということを、教えてくれないと、
馬鹿は、死ななきゃ、治らなねぇン、だからなぁ。
もう、いい歳なんだから、
馬鹿は、馬鹿なりに、自分の頭で、考えなさいって、
そう、姉に、諭されそうだ。
ホントは、
オレって柄じゃないんだけどね。
馬鹿なオレ、の、姉。
鬼籍に入る。
初出 17/09/30 04:01 再掲載 一部改訂
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