あくる日、
トモちゃんは、
右眼に眼帯をしてました。
酔っ払って、転んだのか、
上司としても、心配できいた。
トモちゃんは、「言えません、」と、拒んだけれど、
ずっ〜と、見守ってきた、上司のわたくしに、
話せないことって、あるのかい、と
ズルいけど、ことの顛末の事情を聞きだした。
やっぱり、
トモちゃんは、桁が、違う。
「十字架を、背負って、
生きて行くことは、
出来ません。」って、
キリスト教を持ち出した。
信心なんて、たぶん、これっぽっちもないくせに。
(深い信仰があったなら、謝ります。ゴメンね。)
初めて、聞いたが、
トモちゃんは、彼の暴力を、愛だと、思ってたらしい。
それは、ホントに、愛だったの、トモちゃん。
その彼氏に、
正直に、昨日の一件をすべて話して、
いま、眼帯をしている状況に到り着いたんだそうです。
なにも、話さなければ、
判りもしなかっただろうに、信心のなせるわざなのか
テキトーに、会社を休めば、いいと思うんだが、
たぶん、それも、トモちゃんにとっては、
「十字架を、背負って、
生きて行くことは、
出来ません。」
と、答えるんだろう。
そもそも、
なんで、眼帯の原因(もと)となる様な
コトをしてしまったの?、と、たずねると、
「あんなになっているのに、可哀想で」と、
トモちゃんは、人類愛のひと、なのだ。
ホントは、
深い、深い、深い、
慈悲深い信仰にもとづいているのかも。
さよなら、トモちゃん、
いい思い出をありがとう。
元気でね。
しかし、
ここで、話が、終わらないのが、
わたくしなどの、理解を超えて行く、
トモちゃんなのです。
トモちゃんの伝説は、
まだ、まだ、つづきます、
初出 17/08/12 04:49 再掲載 一部改訂
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